38パン職人の修造 江川と修造シリーズ Awards ceremony

パン職人の修造 江川と修造シリーズ Awards ceremony

審査員のパンの試食が終わった。

選手たちは控え室に戻って休憩する様に言われる。

修造は椅子にどかっと座って机に臥せながら、工程に反省点があるか考えていた。

そして顔を上げて言った。

「江川」

「はいなんですか」

「全部の工程でお前の世話になった事しか思い出せないよ。野菜のゼリーと言い、他の工程の全ても。俺の我儘を叶えてくれてありがとうな」

「僕、役に立てたなら良かったです」

「俺は俺の考えたパン作りの全てを思った通りにしたかったんだ。それが実現したのは江川のサポートのおかげだよ」

さっきまで目元が引き攣ったままだったので、江川は目尻を摩ってマッサージしながら言った。

「本当に良かった」

ーーーー

20分後

また会場に戻る。

表彰式が始まるのだ。

一か国ずつ呼ばれて出て行く。

参加者全員が並ぶ中、荘厳な曲に合わせて式典の司会が出てきた。

白い封筒を開いている。

江川はそれをじっと見ていた。

フランス語で何人かの選手が呼び出されている。

修造も江川も全然フランス語がわからないが受け取った選手は歓喜に咽び泣き、皆大喜びだ。

大木と話していた通訳の人に「ねぇ、あれが優勝カップですか?」と聞いたら違うと言われる。

今はクロワッサンやタルテイーヌなどの各部門のパンの受賞式だそうだ。司会が何か叫んだ。

ジャポネって呼ばれた気がする。

ワーっと日本チームの応援団から拍手が起こった。

大木に合図されて修造と江川は真ん中に立った。

自分達にライトが当たっている。

修造は透明のずっしりしたトロフイーを受け取った。

修造は表情を変えなかったが嬉しくないわけじゃない。空手の試合の時、勝った方は相手に敬意を表して、おおげさに喜んだりせず己を律しなければならない。

和装のパンデコレが賞を貰った。

「うわーすごーい!修造さん!おめでとうございます〜」

「ありがとう。これで安心して帰れるよ」

賞を貰ってホッとした。

元の場所に立ってると今度は大木が江川に「おめでとう」と言った。

「えっ?」

「江川真ん中に立つんだ」

呼ばれてセンターに立ち、大木と修造が拍手する中、江川はトロフィーを受け取った。

「最優秀助手賞だ」

大木の言葉にびっくりした。江川のコミとしてのサポート力が評価されたのだ。

「えーっ!僕が?みんなー!僕賞を貰いました〜」

うわーっと叫びながら、江川はトロフィーを高く上げて応援席に向かって叫んだ。

その途端応援席から声援が届いた。

後藤がみんなに賞の名前を言って驚かせている。

「すごーい!江川君」

「江川くーん」パチパチパチパチ

みんな拍手している、

「あいつちゃんとサポートしてたもんな」

鷲羽が何故か誇らしげに言った。

嬉しそうだ。

江川はその後はなんだか気が楽になって他の選手の受賞に拍手を続けた。

オリンピックで言えば金銀銅のメダルと同じ授賞式が始まった。

3位の国、2位の国の名前が呼ばれて、1位はどこかしらとキョロキョロしていたら「ジャポネ!」と言うワードが聞こえた。

大木と通訳の人が大喜びして修造と江川を真ん中に連れて行った。

1番高い台の上に立ち、修造は1番大きなトロフィーを受け取った。

バゲットを切り取った様な形の黄金のトロフィーを持って真ん中のライトを見ている修造の横で、江川は大木とハイタッチして、両腕を高く上げて「やったー!」と大声を張り上げた。

全身に全部の拍手とライトを浴びた。壮大な音楽が鳴り響き、感動を盛り上げた。

色んな人におめでとうと言ってもらってありがとうを何度も言う。

うわあ嬉しい!僕このままライトに当たり過ぎて白くなって消えていくんじゃないかしら。江川は存分にライトを浴びて、修造の代わりに倍みんなに手を振った。

「修造、せっかく優勝したんだからもっと喜べよ」

修造はあまりに直立不動だったので、大木にそう言われる程固まっていた。

「修造さん、おめでとうございます」

「ありがとうな、江川のおかげだよ。頑張ってくれたもんな」

江川は照れて「エヘヘ」と笑顔を向けた。

表彰式が終わって応援団のみんなと話していた。

「みんな応援ありがとう」全員と握手する。

鷲羽が興奮して帯の模様が手が込んでるとか、あのパンが食べてみたいとか騒いでいた時、突然後ろから大柄で白髪混じりのヒゲを濃く蓄えたおじさんが話しかけて来た。

「シューゾー」

その声に修造が機敏に反応してバッと振り返りそのままそのおじさんとガシッと抱き合った「エーベルトーっ!」

ウワーっと2人とも懐かしがって握手したり年甲斐もなくピョンと跳ねそうなぐらい修造は喜んでいた。そんな修造を見たのは初めてだった。

「あ!あの人がエーベルトさん」

江川は折に触れエーベルトの事を聞いていた。

大恩人のエーベルトと修造はドイツ語で話していて、何を言ってるのかはわからない。きっとこの大会に出ると聞いて会いに来てくれたんだろう。

しばらくしてリツコリツコと言ってエーベルトが修造をからかってるのがなんとなく分かる。

おそらく「あの時は奥さんのリツコの事ばかり言ってたな、ワッハッハ」みたいな事なんだろう。

「わしも鼻が高いよ」とわからないのに江川は2人を見て勝手に訳していた。そのうちに江川を手招きで呼んだのでそっちに歩いて行く。エーベルトと握手した。あったかい。「江川です」と言ってすぐ修造を見た。なんて言ったらいいのかわからない。修造は見た事ないぐらい顔が赤らんでニコニコしていたので、表彰式の時にこんな笑顔するもんなのにと思っていた。

その後まだまだずっと話している2人をほっといて、江川は山々コンビのところに行った。

おや、山々コンビと鷲羽達はすっかり打ち解けている。全員が日本チームを心を一つにして応援しているうちに通い合うものがあったんだろうか。

北山と篠山は昨日パリのルーブル美術館やベルサイユ宮殿に行った後、カフェでパリ気分を満喫していた。

明日はモンサンミッシェルに行くのだが詳しい行き方を園部に聞いた。が、園部は「うーん」と言って考えている。鷲羽がその場で色々調べて教えたので山々コンビは本当にびっくりした。

「モンパルナスから※TGVで行ってレンヌの北口ターミナルでバスに乗換えだって。モンパルナスわかる?」

鷲羽って意地悪な印象だったが、こうしてパリに来て充実してるのか表情もイキイキしていてなんならちょっとかっこいい。

「モンパルナス、、、」聞いた事しかない。

「心配なら明日一緒に行ってやろうか?」

「え?いいのぉ?」なんて

今から夕食に行って明日はモンサンミッシェルに行くとか楽しそうに話が展開している。

それを側で見ていた江川の様子を観察していた後藤が優しく話しかけて来た。

「江川さん、本当にお疲れ様でした。大変だったのに頑張りましたね」と、キラッと輝く白い歯を見せた。

「後藤さんありがとう」

「せっかくだから世界大会で優勝したパンの前で記念写真を撮りましょう」

「はい」

後藤はトロフィーを持たせたり手を前にやったり横にやったりと、江川の写真を何枚も撮った。

そしてそれをさっき撮った授賞式の写真と一緒にすぐに会社のネットに何枚も載せた。ここに基嶋の機械が無くて残念だ。

それを江川に見せながら「これをみんなが見るでしょうから江川さんも業界の有名人ですね」

「えー」

「前途有望な若者のサクセスストーリーなんですから」

「サクセス?」

「これから修造さんはお店を持つのですから江川さんもますます活躍できますね」後藤は修造が江川をとても大事にしていると思っていた。それは江川の打算や欲のない一生懸命さのせいなんだろう。なので行く末に自分も関わっていくつもりなのだ。

「将来的には江川さんもお店を持つわけなんですから」

「先の事すぎてわかんないや。それに僕貯金が全然無くて」

有れば使うのもあるが、この何ヶ月か結構移動費も含め色々必要だった。

「まだまだ若いんですからそりゃそうですよ。積み立てを始めたら意外と溜まっていくものですよ」

「積み立てかあ。考えた事なかったです」

「それに今日までの事は全て江川さんの財産なんですよ」

江川は後藤が今まで考えたことも無かった事を色々教える大人だと思っていた。

「後藤さん、勉強になるな。確かにこれからの事って考えなきゃ。もっと色々教えて下さいね」

「はい」

ーーーー

エーベルトが帰った時の修造は寂しそうだった。

後ろ姿が見えなくなるまで2人で手を振った。

もう片付けて帰らないと。

後藤や五十嵐に手伝って貰って荷造りを済ませて日本に送り返す。

パンデコレを包みながら「これ、パンロンドの出窓に並べよう」と親方を思い出しながら修造が言った。

「はい、3っつ分なのでキチキチですね」

「本当だ、入るかな」

ーーーー

その後、2人はみんなと別れて飛行場に移動し、マカロンやヌガー、ぬいぐるみやらのお土産を買ってるうちに時間が足りず走って行く。

どうにか間に合った飛行機の中で

「修造さん、今日凄い良いことが二つありましたね」

「表彰式とエーベルトだろ?」

「ウフフ」

「江川」

「はいなんですか」

「俺はドイツにいた頃、エーベルトに言われた事があるんだ」

「はい」

「修造よ、マイスターとは若手に製パン技術を教え、知識を教える立場なんんだよ。伝統的な技術や決められた製法を守るんだ。いつかお前もお前が教わった様に下の者に継承して行くんだ。ってな」

「はい」

「俺は今からそれを実現しようと思う」

「あ!僕にも教えて下さいね」

修造は江川をまっすぐ見て「そういう事だ」と言った。

「江川、俺は店作りをしようと思ってる。その前にパンロンドで改めてみんなにも伝えておきたいんだ」

「はい」

藤岡と杉本の顔が浮かんだ。

「僕達2人が抜けたら大変ですものね。誰か新しい人を探すんでしょうか?」

「親方と話し合ってみるよ」

そういった後修造は待ち受け画面の家族の写真を見ていた。

そろそろあれが始まるぞ。

なんて考えていると、江川の思った通りに「早く帰ってトロフィーを律子に見せてやろう。緑と大地に会いたいなあ。大地は産まれて5ヶ月経ったんだ。寝返りもできて離乳食もちょっとずつ始まったんだよ」と可愛い写真を見せてきた。

「ホッとしたら家族に無性に会いたくなるんですもんね」

「そうなんだよ江川」

「早く逢いたいですね」

「うん」

修造はそう言いながらふーっと安堵の吐息を吐き、椅子に深くもたれてそのまま寝てしまった。

律子さんの恋人で夫でお父さんなんだ。そして空手家で世界一のパン職人だ。

江川はその横顔に

「お疲れ様」

と言った。

江川は帰りの飛行場の免税店で自分へのご褒美にリュックを買った。

それと凱旋門のマグカップと置物。

そしてみんなにはエッフェル塔のスノードーム。

柚木の奥さんと風花にはトリコロールカラーのスカーフだ。

ちょっと使い過ぎちゃったな。

後藤の顔を思い出して、帰ったら積み立てを始める決心をした。

ーーーー

その時

成田ではドイツから来た飛行機から1人の女が降り立った。

質素ななりだが遠くから見ても女性らしいフォルムでスタイルの良いのが分かる。

髪色は派手でシャンパンゴールドに赤いメッシュが入っている。

ぱっと見強い印象なのに、よく見ると表情は儚げで歩き方もおずおずとしている。

空港から出たあと、日本の空を眺める。

「これから私はどうすればいいのかしら」小声で呟く

女は目的があったが行く先は決まっていなかった。

駅の券売機の横にあった無料の求人雑誌を開いて電話をした。

しばらく相手の質問に答えた後電話を切り、人混みの中に消えていった。

おわり

※TGB フランスの超特急列車。最高速度は300キロを越え日本の新幹線と並ぶ速さ。

このお話は2022年10月04日(火)にパン屋のグロワールのブログに投稿した物です。

37パン職人の修造 江川と修造シリーズ stairway to glory

パン職人の修造 江川と修造シリーズ stairway to glory

はじめに

このお話はフィクションです。

修造達はとうとう世界の一流パン職人の方々と戦うところまで来ました。格闘と違い選手は各ブースで自分との闘いをするのです。色々と配慮し、どこの国に勝ったとか負けたとかはこの場では伏せることにします。他の国のパンデコレで想像でこの国だな、とかあの国だなとか思い描いて頂けるとありがたく存じます。パンの説明は分かり易い様に時系列ではなく種類別にしています。

世界大会の前日

ホテルの洗面台で修造はまた髭を綺麗に剃った。

「気合を表してるんですね?」江川が不思議そうに見ている。

髭の無い修造が別人の様で新鮮な気持ちがする。

会場に着くと大木が呼びに来た。

「修造、10時から順番に写真撮影があるから」

「ええ?」写真撮りは嫌だけど仕方がない、大木に着いて行く。

この時に初めて参加国の各コーチ、選手、助手を見ることになる。

「カッコいい」江川が憧れの眼差しで見ている。

色んな国のチームが並んで順番待ちをしていて確かにカッコいい。

「きっと凄いパン作りをするんだろうなあ」

自分の国の国旗を持った選手を見て2人共感動していた。

さて、自分達の番が来て、日本の国旗を大木が手に持ち3人で並んだ。修造は前回の経験があるので今日は顔を引き攣らせない様に家族の事を思う浮かべながら微笑んだ。

そのうちに鷲羽と園部が荷物を両腕に振り分けて沢山持って来た。

出汁用の乾物とオーガニックの野菜や果物が入っている。

「修造さーん」

「あ!2人共どうもありがとう」修造も内心心配していたのか荷物が届いてホッとしていた。

なるべく新鮮な野菜を手に入れたかったので、お店の人に頼んでおいたのだ。一旦パリに行って買い物してまた戻ってくれるなんてありがたい。

「俺たち明日は応援席にいるから頑張って下さい」

「うん!ありがとうな。これから開会式だから見て行って」

「はい。修造さん、アンフリッシユザワーは上手く行きましたか?」

「うん、フィードしたよ。上手くいきそうだ」

「よかった!心配だったので」

鷲羽は修造に渡した種の次の段階が上手くいくか気がかりだった。上手く育てて本番で使ってくれるなんてテンションが上がる。

「よしっ!江川!頑張れよ」鷲羽は拳を横から前にグッと握ってガッツポーズをした。

「頑張るね」江川は鷲羽達と長年の友の様に手を振って見送った。

ーーーー

開会式では主催であるフランスのパン職人の重鎮達が揃い、世界から集まった9か国のチームは順番に呼ばれて、やがて全員がずらりと並んだ。

これからここで繰り広げられる戦いは敵とではなく、常に自分との闘いなのだ。

開会式を見ていた鷲羽は複雑な心境だった様だが、こうなったら自分の実力で這い上がってくるしかない。

会場から立ち去る時二人は黙ったまま橋の上を歩いていたが、急に園部が「江川で良かったな」と言ったので、鷲羽は見透かされてると思い顔が真っ赤になった。

実際他の者が助手になっていたら嫉妬でどうにかなりそうだったろう。買い物なんてしてやるわけが無い。

もう自分達は友情で結ばれている仲間なんだ。そう思う。

ーーーー

さて

前日準備は1時間しかない。

各選手達は自分たちのブースに入って作業を始めた。

江川も兼ねてから練習していた物を作り始めた。素早く下ごしらえした各野菜(アスパラ、大根、ナス、インゲン、パプリカ、ズッキーニ、トマト、ジロール茸)の9種類を型に敷き詰めた。特訓通りに綺麗に並べる。そこにあらかじめ水に浸けていた真昆布と、鰹、いりこで出汁をとり、醤油、酒、塩、味醂、寒天を溶かして型に入れた。結構素早くできたのは練習の賜物だ。

温度帯が明日どうなるかわからない、その時の為に2つのレシピを用意する。若干濃い味、若干薄い味。初めは3種類用意するつもりだったが、修造が江川の為に2種類に絞った

綺麗にラップで蓋をして冷蔵庫にしまいながら江川はホッとして額の汗を拭った。

江川はこの前日の1時間の為に野菜と出汁を使った寒天のゼリー寄せを作る練習をしてきたのだ。そして包丁も研ぎ澄ませてきた。

材料がキチンと手に入ったのは下調べをしてくれた2人のおかげだよ。ありがとう鷲羽君園部君。そう思いながら江川は小さくガッツポーズをした。

ゼリー寄せができたら今度は豚塊を味付けする。ミールで挽いた岩塩とハーブ、砂糖を擦り込み、紙で包んでジップロックに入れて冷蔵庫にしまった。

修造は明日の為の生地作りをしていた。まず鷲羽がさっき言っていた種を育てたグルントザワーの次の段階、フォルザワータイクを仕上げる。

それと小麦粉で作った中種フォアタイク。

次にイーストを少しだけ使った長時間発酵の生地。

そしてヴィエノワズリー(クロワッサンやデニッシャープルンダーなどの甘い系のパンなどの折り込み用の生地)などを順に作っていた。

江川は素早い動きの邪魔にならないように生地の仕込み中の修造の欲しいものを用意したり、後片付けをしていく。

その様子を審査員がつぶさにチェックしていた。

2人とも練習の成果でギリギリのスケジュールをこなす事ができた。

「ふぅ〜」

江川は疲れをほぐす深呼吸をした。

1時間でクタクタだ。

明日どうなるかな?

きっと8時間マラソンみたいなんだろうな。

帰ったらもう一度スケジュールを確認しよう。

なんだか緊張でガチガチになってきた。

ーーーー

その夜

修造はベッドの中で工程のおさらいをしていたが、やがて考えるのをやめ目をつぶると早々とイビキをかき出した。

それを聞きながら明日の事を思い浮かべてスケジュール表を見てイメトレをしてみる。

明日この通りに動いて修造さんの足を引っ張ったり足手纏いにならない様にしなきゃ。

江川はスケジュール表を見ながらウトウトして紙を持つ手が下がりそのまま眠りについた。

大会当日。

後藤と五十嵐が声をかけにきた「修造シェフ、江川さんどうぞ頑張って下さい」

「皆さんのおかげでここに来れました。感謝してます。集中力途切れさせずにやります」

修造は決意の様な言葉を2人に対して言ったが、修造を取り囲む全ての人に対する誓いの様にも聞こえた。

江川は後藤と五十嵐にすっかり懐いてハイタッチをして「行ってきまーす」と笑顔を見せた。

これを見た後藤は、一昨日見た江川の決意を思い出して心が震えた。

「ほんと頑張ってね」江川の背中に呟いた。

応援席は2人の立つブースから随分離れていたが、全ブースを見渡せる。逆に選手からは隣のブースとも仕切られていて様子を見る事はできない。

選手の前には審査員がすぐ間近まで来て全て丸見えだ。

さて、とうとう開始の時間を審査員長が告げた。

昨日の準備で手近に置いたラックに必要な用具は全て揃えてある。

例えば鉄板に敷く板や紙一つ、上に乗せるシートひとつとっても大切なのだ。

全ての作業が『これにはこれを』と決まっている。使う順に置いて上から使って使い終わると陰に置いた箱にしまう。

江川は修造の素早い動きに沿っているものを準備したりしながら自分の作業をしていく。

昨日仕込んだ豚塊を常温に戻し、一旦洗って拭き取り、フライパンでオリーブオイルを回しかけ焼いてからオーブンに入れた。それを予熱で火を通す。その間にソースを作って一緒にタッパに入れてカットする時間まで冷蔵庫に入れておく。

次に芋類を細長くカットして炒め始める、甘辛い香りが辺りに立ち込めた。

そのあと小型のミキサーで色とりどりの生地を仕込んでいきながら「僕世界大会に出てるんだ」と一瞬忙しく動いている修造を見た。

僕今修造さんと世界大会に出てるんだ。

いつもの練習と違う、本番中だ。顔が紅潮してドキドキするがいつもの練習を思い出して手を動かす。冷静に冷静に。

修造は前日に作ったザワータイクの乳酸菌を増やし酸味のコントロールを心がけていた。

Dinkel(ディンケル)小麦全粒粉を石臼製粉機を使い製粉して粉の自然な甘さと風味を大切に仕込む、そして朝一番から緩やかで長めの発酵をとりたい。

※ストレッチアンドフォールド4回

焼きあがったミッシュブロートは裏を指でコンコンと叩いて焼き上がりを確認していく。

この様に書くといっぺんにできるみたいだが、実は長い発酵時間を経てできるので、全ての生地の時間のかかる作業をうまく工程に組み込んでいく。香りと食感に殊更注意した。

会場が開き、応援の人達が到着した。選手のいるブースから通路を隔てて更に後ろのラインからは出てはいけないが、大型のモニターで各国の選手の手捌きを見る事ができる。

後藤と五十嵐が来ているみんなに名刺を渡して挨拶した。

「俺たちは以前ホルツに居たんです」鷲羽が挨拶した。

「私達は今ホルツで働いています」北山も頭を下げた。

後藤はニコニコして「そうなんですね、同じパン業界の者同士、今日はみんな心を一つにしてお二人を応援しましょう」

「はーい」

後藤から受け取った応援グッズを持って皆応援の言葉を繰り返し叫んだ。

また日本に居ながらにして、世界大会の今の状況が配信されていて、家族やパンロンドの人達も応援していた。

鷲羽は遠くから2人の動きをじっと見ていた。脳内に刻み込む為に。スピードや手順、どっちが何を作っているかなど動画にも撮って帰ってから何度も見るつもりでいた。

絶対にいつか自分もこの場に立ってやる!

そんな気持ちで。

ーーーー

修造達のブースでは

バゲットはデインケル小麦を使い長時間発酵で。皮はパリッとして小麦の甘味を感じ、内層は艶やかな断面のバゲットが焼きあがる。大型のパン、パンスペシオの生地も発酵して、それぞれに成形されて窯に入れられた。

焼き上がりが楽しみだ。

窯の開け閉めと共になのか、昼間の太陽のせいなのか。前に聞いていた通り会場はどんどん暑くなって来た。

江川は顔がほてってきた。

「暑かったんだ」

実は暑い時とそうでない時の二つのプランを練っていた。なのでタルティーヌの為には2つの温度用に作っていた。

その後、修造は生地を細長く切り、それを束ねてゴムのようにぴょんぴょんと伸ばした。それをまた折って伸ばしまた折って伸ばしまるで麺のように伸ばした後、江川が少しずつ丸めてボーゲルネスト(鳥の巣」のような形にして、揚げ、中に紫いもと※オレンジ色のSüßkartoffelズースカルトッフェルのきんぴらを包んで焼いたクロワッサンの上に飾った。

それを見ていた大木は写真に撮って「ボーゲルネスト」と書いて鳥井に送ってやった。鳥井の店の名前はボーゲルネストだ。

写真を見た鳥井は1人嬉しくなってニヤニヤした。修造の鳥井への尊敬の気持ちを受け取った。

成形を済ませ、発酵した生地が焼きあがって行くと審査員達が厳かにテーブルに着く、

各国の選手が作るバゲット、ブリオッシュ、クロワッサンの審査が始まった。

バターの効いたブリオッシュは親方の言うところの「ぶちかましスペシャルの大型で、生地の一本にラズベリー生地とマンゴーの生地を使ったカラフルな編み込みパンを作った。

クロワッサンはブーランジェリータカユキの那須田に教えて貰った月形のパリッとしたものを。

焼成後イメージ通りの出来栄えを見てホッとした。

次にチェリーのシロップ煮を使ったバイカラークロワッサンの生地を細長く切り半分に折って真ん中に切り込みを細かく入れていく。それを花のように巻いて先を菊の花弁のようにカットする。それとは別に、赤い生地でステンシルを施した小箱を作り花を中に入れて焼く。花弁の先が焦げないように上に途中から厚紙をのせて気をつけて焼いた。焼成後江川がキルシュワッサー使用のシロップを塗る。

次に

各選手のタルティーヌがカットされて審査員に配られ出した。

それを見た江川が焦ってきた。

自分達のチームだけタルティーヌはまだできていない。

「もうカットしましょうよ」

「まだまだ」 

「まだ?」

「まだだ」

と言いながら修造は編んだ竹墨の生地で包んだスペルト小麦の薄型のカンパーニュに朝仕込んだ豚肉の薄切りを挟んでスタンバイした。

「もういい?」

「まだ」

とうとう次は日本チームの番が回ってきた。

「よし!素早くカットして江川」

「はい」

練習の賜物だ。顔が引き攣ったが、江川はとても薄く上手に濃い味付けの方の8種の野菜のゼリー寄せをカットしてパンと※アイスプラント、ローストポークの上に置いた。竹墨配合の薄い生地の焼き立てに燻製のチーズを四角く切って素早く並べて格子状にしたものを斜めに立てかける。ゼリーにピンと角があるうちに修造は素早くそれを前のテーブルに並べた。

それを係の者がカットして、ピールに乗せて審査員に順に配っていく。審査員達はピールに置いた現物の見本を見ながらカットされたパンを手に取り口に運んでから点数をつける。

固めに仕込んであるので溶ける心配はないが、時間が経つとゼリーの余計な水分が少しずつパンに染み込んでいくだろう。なのでぎりぎりまでカットしたくなかったのだ。

審査員達は、和風の味付けの野菜と薄切りのローストポークを丁度よく食べることができた。

上の薄皮をパリッと噛んだあとゼリーと豚肉が一緒に噛み込まれて生地に到達する。最後はパンの旨味と出汁の旨味がコラボする。

それを見た修造は密かにしたり顔をした。

審査員達は点数を採点表に書き出している。

江川はハラハラした。

ゼリーを使った人なんているのかしら。

さあ!

ぼやぼやしてる暇はない。

とうとう江川と修造はパンデコレを仕上げる時間に差し掛かった。

まず土台を用意して着物の生地を貼り付けていく。

生地の接地面に水飴をつけてから帯やら編笠やらを修造得意の十字相欠き継ぎでしっかりと組み合わせる。それを冷却スプレーで固めていくのだ。

そのあと飾りをつけていく。帯の模様の違いを表面が平らになる様に付けていき、本体に後輪をつける。

「あと5分」の声が上がる

最後まで諦めない。

江川は練習しすぎて随分実力がつき、修造と言葉を交わさなくても同じように動き、2人で完成させた。

江川、ありがとうな。感謝してるよ。

修造さんは今、世界最速だ。

2人とも心の中でピッタリと気持ちが合っていた。

2人で土台の周りに重石(おもし)代わりのパンを並べた。

「完成だ」

「はい」

その時2人は初めて周りの選手の作品をみた。

流石世界のレベルはとても高い。

「うわーすごーい」

「だな」

最後の1分

江川はこれまで会った全ての人に感謝の気持ちを込めながら、台の上を綺麗にしてそこら辺を片付けた。

修造も片付けに取り掛かり、作業を終了させた。

5・4・3・2・1 とフランス語で声がする。

タイムアップだ。

審査員はまだまだ各選手の作ったパンを順に試食していた。審査員は皆パンの全体を眺めながら本体をカットしたものを食べる。視覚と味覚両方に鋭敏に厳しく審査が行われる。

その前で大木がずっと修造のパンについての説明をしてくれている。

それを見ていたら胸に込み上げるものがあり、感極まって目から水分が浮かぶ。

やる事はやった。

全力を尽くした。

江川と一緒に

おわり

※Süßkartoffel ズース(甘い)カトフェル(ジャガイモ)

※ストレッチアンドフォールド 生地を捏ねるのではなく優しく伸ばして折り畳んでグルテンを形成するやり方

#デニッシャープルンダー   ドイツ語でデニッシュの意味

#フィード 供給すること。この場合は種に新しいライ麦を足して餌を与えるなどの意味。

※アイスプラント 表面に水滴状の細胞があり、プチプチシャキシャキした独特の食感がある。色合いが美しく、サラダに入れると映える。

この作品は2022年09月20日(火)にパン屋のグロワールのブログに投稿された物です。

36パン職人の修造 江川と修造シリーズ surprise gift

パン職人の修造 江川と修造シリーズ surprise gift

朝10時 シャルル・ド・ゴール空港に到着した。

Paris par Train(パリ行き電車)の文字を頼りに歩く。

「あぁ!着いた~!僕フランス初めてです」江川は飛行機が到着してからこの言葉を何度も言っていた。

「だな」

「これがフランスの匂いかあ」

江川は空港の空気を吸ってみた。

「何やってんだよ。そうとは限らないだろ」ときつめの言葉が江川にぶつけられた。

江川が驚いて振り向くと鷲羽と園部が2人を迎えに来ていた。

「あっ鷲羽君、園部君」

「修造さんお久しぶりです」

「お、鷲羽!久しぶり」

「修造さん、俺達、頑張ってます。フランス語は全然わかんないですけど」

「これから楽しみだなあ」

「はい」

「園部も元気だった?」

相変わらず一言も発しない園部は静かに頷いた。

パリには※SNCFという電車会社だけがあるので、同じチケットで地下鉄、トラム(路面電車)、バスも使える。

荷物をガラガラと押して※RER B線第1ターミナル駅から移動し30分でパリ北駅に到着。

街を散策しながら東駅へ歩く。

「へぇー!綺麗~」

江川達は何もかも珍しくてかっこいいパリの街を見回した。

4人はその後オペラ駅へ移動して鷲羽達の案内で※日本の食材を扱っている店をチェックした。

味噌や醤油などお馴染みのものが並んでいる。

「なんでもあるもんだなあ」

「そうでしょう」

修造はいるものをメモして鷲羽に渡して、それを日にちを指定して注文して貰った。

その後プラス・ディタリー駅 経由でコルヴィサール駅で降りて目当ての※お洒落なパンとケーキとチョコのお店に入る。

店内はパンとバターの香りで満たされている。

「江川、これがパリの香りだよ」と鷲羽がかっこいい事を言う。

バゲットとショーケースの※ポワトゥ=シャラント産のバターを使ったクロワッサンを買った。

袋に顔を突っ込んで香りを嗅いでみる。

スーと吸ってウーンとのけぞる良い香り。

店の前のヴルツ通りを渡り、3本の木の下のペンチに座る。

「うまーい」

「本場の味だなあ」と味わう。

「ここの近くに住みたいぐらいだ」

歩道を歩く人達はみなパリで当たり前に暮らしてるんだ。と思うと羨ましい。

「ねえ、ちょっとぐらい観光しましょうよ~」

「あれとあれは見とくか」

「エッフェル塔!観に行こう」4人はまたパリメトロ6号線で移動してビラケム駅で降りた。

エッフェル塔はすぐだ。

観光客でごった返す中「鉄の貴婦人」と呼ばれる塔を繁々見た。

青い空に映えるレース状のトラス構造やエッフェルタワーブラウンの事を鷲羽が言っていたので「へぇ〜」っと口を開けて上を見上げた。

その後セーヌ川にかかるイエナ橋を渡り、カフエ ド トロカデロでまた休憩

ビールとポテトフライやアイスカプチーノとパン オ ショコラやラズベリーケーキなどをそれぞれ楽しんだ。

テーブルからもエッフエル塔が見える。

「おしゃれ!」と何を見ても大げさに感動する江川を皆微笑ましい目で見ている。

トロカデロ庭園からアベニュークレベールを真っ直ぐ歩いてエトワール凱旋門へ。

「うわ~フランス~」

「どこに行っても名所だなあ」

凱旋門近くのシャルル・ド・ゴール=エトワール駅からサンザラール駅へ

フランス国鉄(SNCF)の運行するTER(テー・ウー・エール)に乗り、サンラザール駅から製パン学校のあるルーアン駅迄1時間45分。

そこからまた移動して4人は7両編成の路面電車でフランシストリュフオー駅に辿り着いた。

近所にドラッグストアのある3階建てのアパートの、2階の鷲羽と園部が2人で借りている部屋に行き、ルヴァン種とサワー種をを受け取った。

「恩にきるよ鷲羽」

「そのかわり俺達が大会に出る時は協力して下さいね」

「勿論だよ」

大会で選ばれるのは1人だが、今までなら「俺」と言ってた鷲羽が「俺達」と言った事に江川は気がついていた。

鷲羽君ってちょっと変わったな。

「そうだ、鷲羽君、園部君。応援に篠山さんと北山さんも来るって」

「篠山と北山?」

鷲羽はすぐに思い出せない様だった。

「誰だっけ?」

「同期の、ほら」と園部が補足した。

「あー!?」

顔と名前が一致しない鷲羽を笑い、そのまま4人は夜遅くまで学校とパンの話ばかりしていた。

深夜、修造はヨガ用のマットを床に敷き眠ろうとしていた。

江川は2人掛けのソファで横になりながら

「修造さん、一緒にここまで来れて夢みたいです」

「まだその言葉は早いよ。これから大会だよ江川」

「でしたね、明日から頑張ります」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

と言葉を交わし、その夜は流石に疲れてぐっすり眠ることができた。

ーーーー

翌日

朝食は園部が当番らしく、バゲットにクリームチーズとラズベリー。そしてアツアツの※キッシュロレーヌをカフエオレと頂く。

「園部君これ最高!」と朝からテンションの高い江川に園部が黙って微笑んだ。

修造と園部が後かたずけをしていた時、窓の外を通る路面電車を見ていた江川に

「あのさ」と鷲羽は恥ずかしそうに話しかけた。

「俺は今までお前のパン作りを見てきたよ。だからお前の底力も分かってる。俺の分も上乗せして修造さんを助けてくれよな。俺はお前を信じてるぞ」

「鷲羽君」

信じてる、、そんな言葉が鷲羽の口から出て来るなんて!

江川の大きな瞳がみるみるうちにウルウルしてきたのを見て鷲羽もちょっとウルっときた。

江川は鷲羽と握手して「ありがとう。そんな風に言ってくれて僕本当に嬉しいよ。今になって、鷲羽君は僕の事ずっと見てきた理解者なんだってわかった」

思いがけない鷲羽の言葉に江川が本気で感動しているのを見て「やめろよ照れ臭い奴だな」と背中を向けたら話を聞いてニコニコして見ている修造と園部と目が合う。

「え、江川に喝を入れてただけですよ!」と言い訳した。

ーーーー

2人は鷲羽から受け取った種を持って

ベルノン駅で降りた。

セーヌ川の見える橋を渡り綺麗で広い会場に入る。

興善フーズの五十嵐良子を探した。

「田所さん、江川さん、お疲れ様です」

「どうも」

「早速おふたりの練習場に行きましょう」

そこには既に送った荷物と興善フーズの手配した材料が置かれていた。

「五十嵐さん。助かりました。どうもありがとうございます」

「何か困ったことがあったら相談して下さいね」

「はい」

早速粉を石臼挽きで挽き、それで種をリフレッシュして冷蔵庫に入れた。

そのあとはパンデコレの部品を作っていく。

本体を焼いた後、ナイフで正確に刻んでいき、継ぎ手を差し込んで水飴で留める。帯、蝶の羽や花など本番で組み立てるものは次々と作り上げて並べていった。

江川は鷲羽のパンデコレの一件を思い出して、もしこれを誰かが倒して壊したらと思うとゾッとした。

これを組み立てるのは大会の終盤なのだ。

「ここから外に絶対出さないようにしよう」

明日はいよいよ前日準備だ。

2人が興善フーズの用意した材料や資材をチェックしていると「ボンジュール!ムッシュ田所、ムッシュ江川」とスーツ姿の男が声を掛けてきた。

「どうも、後藤さん」

「あ、後藤さん。ムッシュだって、ウフフ。もう早くもフランスかぶれですか」と江川がからかった。

「まだそこまではいってませんが、お2人を応援する気持ちが高まってきています」と言って大げさに両手を広げて白い歯を見せ、上着を脱いでエプロンを付けた。

「私もお手伝いしますね」

洗い物を始めた後藤は「それで全部ですか?」と荷物を整理している江川に聞いた。

「明日知り合いが肉や野菜や乾物を持ってきてくれるんだ」と言いながら間に合わなかったらどうするのかなと心配になるが鷲羽と園部を信頼するしかない。

「向こうは僕を信じてくれてるんだから僕だって、、、」

「お友達ですか?」

「うん、僕今まではライバルと思っていたけど今朝凄く頼りになる友達なんだって気が付いたんだ」

「今日の朝、そんな素敵な事があったんですか」後藤はにっこりした。

素敵と言われて今までの経験が全て無駄にならず自分を押し上げる波のようにやってきて、高い所に運んでくれるようなそんな気持ちに気が付く。

「うん、僕勇気を貰ったんだ」

今の気持ちを言葉にするなら『勇気』が一番ピッタリな気がする。

頼りなそうに見えた江川が急に大人びていい顔つきになった。

こりゃやってくれるな。

後藤は大会が楽しみになってきた。

おわり

※RER B線  イル=ド=フランス地域圏急行鉄道網の5つの路線のうちの1つ。

フランス国有鉄道(フランスこくゆうてつどう、フランス語: Société Nationale des Chemins de fer Français, SNCF)

※オペラ駅の付近に日本の食材を扱っている店が何軒かある。韓国の食材も豊富。

※※ローラン・デュシェンヌLaurent Duchêne  MOF取得の職人さんのお店。2 Rue Wurtz 75013 Paris, France コルヴィサール駅から徒歩8分

※ポワトゥ=シャラント産のバター  AOP(欧州レベルでの原産地呼称保護)認証を受けた ポワトゥ=シャラント産のバター。原材料の産地及び伝統製法の厳しい規制をクリアした製品。

※キッシュ・ロレーヌ  ロレーヌ地方風キッシュの意。パータプリゼ(パイ生地)に卵、ベーコン、玉ねぎ、チーズなどの具とアパレイユ(液状の生地)を流して焼く。

このお話は2022年08月25日(木)にパン屋のグロワールのブログに投稿した物です。

35パン職人の修造 江川と修造シリーズ 江川 Preparation for departure

「もうすぐフランスだ」

夜の12時。

東南マンションの3階の自室で

江川は窓際のベッドに横になりながら

暗がりのカレンダーを見て呟いた。

そう、もうすぐ世界大会だ。

空手のじゃない。

パンの世界大会だ。

「色々あったなこれまで」

修造と出会ってからのあんな事やこんな事。

緊張でギラギラする。

でもまた倒れたらいけないから早く寝なくちゃ。

もうパンロンドはしばらくお休みして修造と2人で明日からホルツで特訓だ。

修造さんは凄いな。

全てを理解していてあんなに早く動けて。。

あ、早く寝なくちゃ。

修造さんも寝る前に音楽を聴くと良いって言ってたな。

リラックス音楽を選んでイヤホンで聴いていた。

でもまた考えてしまう。

他の国の人達はどんなパンを作るのかしら。

きっと凄いんだろうな。

そしてまたカレンダーを見た。

「もうすぐフランスだ」

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朝、修造と待ち合わせして電車に乗った。

もう何度となくこの電車に乗ってパンの修行に行き、そして帰る。

毎回困難な課題にぶち当たり、解決してまた一段階段を登る。

そうやって随分登った気がする。なのにまた次の段がある。

「今日は一から通しでやってみよう」

「はい」

「まあ理解を深めるって感じで」

修造はプレッシャーを与えないように軽そうに言った。

江川の目の下にクマができているからだ。

これから二人三脚でと言いたいところだが、シェフ側から見たら助手は同じ力では決して無い。

アルチザン(職人)

ブーランジェ(パン職人)

そしてその下で働く者はコミ(助手)と呼ばれる。

ちなみに「職人の・職人的な」はアルチザナルだ。

ブーランジェとコミは力のあり方が違う、だが心を合わせて頂上を目指すのだから同じ方を向いて力を合わせなければならない。

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ベッカライホルツの別室で作業中

「江川、もうパスポートはとった?」

「はい、持ってます」

「当日忘れ物が無いようにしないとな〜取りに帰れないし」

「めちゃくちゃチェックします」

「1日目は鷲羽達のとこに泊まるから」

「えっ?」

「今園部と鷲羽は学校の近くに2人で住んでるんだ。そこで受け取った※種をリフレッシュしなきゃ。それと向こうで仕入れもして当日鷲羽に届けてもらうんだ」

「もうそんな話ができてるんですね」

「うん、2泊目は大会の会場の近くに泊まる。会場でパンデコレの土台とかパーツを作らなくちゃ」

大会の後半、パンを作り終えたらすぐにパンデコレの組み立てが始まる。それまでにパーツは完璧に揃えないといけない。

そこで上手く行くかどうかまだわからない。初めて行くところで場所も設備も想像もつかない。

2人ともそこが心配だった。

「ま、条件は皆同じなんだし」

不安を打ち消すには練習しかない。

修造はパンデコレの各パーツの生地を自分の思った通りに平らに凹凸のないように焼成するよう調節した。

例えば葉っぱのパーツ一つにしても本体に添わせたいならそんな風に、立てたいならそんな風に作らなければならない。

本体に生地をくっ付けるのって凄く難しい。

やはり前回のように※相欠きのパーツ同士を継ぎ手を作ってお互いの凹凸を嵌め込むやり方と、本達に仕掛けを作って※ほぞ継ぎのパーツを刺していくやり方を組み合わせた方法がいいだろう。

大木と相談しながら時間の許す限り何度も練習した。

「縦のものに縦のものを挿すのだから継ぎ手はいるな」

「ですね」

江川は色とりどりの生地を手早く順番を間違えないようにする練習をしていた。

そして数日後

2人は動きを合わせ、やがてピッタリと欠き継ぎの様に息が合い、完成度が高まってきたと思う瞬間が増えた。

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翌日ホルツに来た2人に、大木が「紹介するよ」と言って何人かを連れて来た。

「修造シェフ!ご無沙汰しています.いや~またお会いできて嬉しいです」紺色のスーツを着た男が白い歯を見せて声をかけてきた。

「あ」見覚えがある。

「基嶋機械の後藤です。今日は社長の基嶋義信を紹介させて頂きます」

「確か、後藤さんとは選考会の会場でお会いしましたよね」

「覚えていて頂けましたか!社長!こちらが田所修造シェフです」

「田所シェフ、初めまして基嶋です」

「どうも」

「修造、基嶋機械さんは今回の大会の後押しをして下さるからな」大木が基嶋機械がスポンサーになっていることを伝えた。

「ありがとうございます」

「担当は後藤ですので困った事があったらお伝え下さい」基嶋は後藤を前に出した。

「シェフ、これからよろしくお願い致します」

「はい」

そして次のブラウンのスーツ姿の男が名刺を出してきた。

「私、興善フーズの営業主任の青木 康裕と申します。担当の五十嵐良子です」

といってもう一人の女性社員を手で指した。

「五十嵐です。ライ麦の試食をして頂いた者です」

「その節はどうも」

修造は知らないが、青木は選考会で修造が壊したパネルの後始末をしてくれた男だった。

「必要なものは五十嵐にお知らせ下さい」

「私が食材を手配致します」

「ありがとうございます」修造は頭をちょっと下げた。

他にも何社かの営業の者が挨拶に来ていた。

「そしてこれ」大木が大会のユニフオームを修造と江川に渡してきた。

「フランスから送られてきたんだよ」

江川は早速ユニフオームを広げて大喜びだった。

「わあ〜!かっこいい」

「さあ、では行きましょうか」後藤が白い歯を見せて張り切って言った。

「え?どこへ?」

「写真撮影です」

いくつかの企業がスポンサーとなることで資金面で選手も助かるし、企業側も認知の拡大、自社の製品の知名度の向上やイメージアップができる。企業共有の写真を撮りに行く事になった。

実際勤め人の選手には資金面の心配までしていては集中力が削げる。

「私がお連れします」と言って、後藤は修造と江川、大木を車に乗せてスタジオに向かっていた。

「私が大会が終わってもお付き合いしますのでなんでも相談して下さいね」

「だってさ、修造!大船に乗った気でいろよ」と大木が言った。

急接近してきた後藤になんだか背中がこそばゆいが、やはり助かる。世間知らずの修造は直球を投げた「見返りに何かするんですか?」

大木が「ほら、あるだろ?スポーツ選手の肩や腕のところに企業名が付けてあるだろ、あんな感じだよ」と、また振り向いて言った。

「あぁ!はい!あれ!」

「カタログや業界新聞のうちのスペースにシェフとうちの機械を載せるんです」何も知らないのでこちらのペースに乗せやすいかもしれないと後藤はそう思いながら言った。

「それと、次の展示会ではうちのブースでデモンストレーションをして下さいね」

「あのオーブンやらが沢山並んでる所で?」

「はい、実際に基嶋のミキサーやドウコンを使ってパン作りをして頂きます」

「後藤君、そういうのは大会が終わってからにしてね」と大木に釘を刺されたので笑って誤魔化した。

「凄い、僕達の知らない別世界」と、後部座席で黙って聞いていた江川が大人の世界を垣間見てちょっと心躍った。

スタジオに着くと早速さっきの大会指定のユニフォームに着替え、3人で並んだ。

「色んなポーズするんですか?こう?」

などと江川が張り切っているが修造は内心嫌がっていた。

本当は写真撮影は苦手だが仕方ない。。

黙って突っ立っている修造にカメラマンが穏やかに声をかけた。

「右の後ろの方、もう少し隣の方に寄って下さい。はい!笑って下さーい」

笑ってと言われてどんな笑い方をすれば良いんだろう?

何度も撮り直すので大木が振り向いて修造の顔を見た。

「おい、笑えって言われてるだろ?」

「はあ」

口角を上げてみた。

ぎこちな過ぎる。

「修造さん、こうですよ」

江川がにっこりとして見せた。

「えーと」

強い目力に更に力が入り、口の両端を上げた。

こわ

カメラマンが困っていたので江川が「そうだ!大地ちゃんを思い出したら?」とアドバイスしてきた。

あの可愛い大地を。。

修造の顔が急に綻んだのでやっと良いのが撮れた。

「江川ナイスアシスト」と大木がほっとして言った。

「次はお一人ずつ撮りますね」

「えっまだあるの?」

「良い写真が撮れないとずっと撮り直しになりますよ」

さっさと撮り終えた江川が言った。

「う、うん」

「修造さんもう少し笑って下さい」こういう事の苦手な修造は何度もカメラマンに言われていた。

「もう少し斜に構えてカッコいいポーズも撮りましょう」

「え」

もう言われるがままに指定の格好をするしか早くこの場から逃れるすべは無い。

「腕を組んで」

「もっと笑って」

色んなポーズを撮るカメラマンとなすがままの修造を見ながら後藤は考えていた。

この人優勝してもしなくても結局店を持つんだろうな。今からうちのいい中古を探しておこう。まだそんなに使ってないものを会社の者が何処かで見かけたら俺に言う様に言っておこう。どのぐらいの規模なのかな。一等地に狭い店を構えるのか、郊外に広い店を持つのか。やっぱパンロンドを拠点に考えるのかな。今ガツガツ聞くと大木シェフに叱られるな。それにしても随分この2人を可愛がってるな。息子みたいにしてる。

それと

江川を見た。

こちらの助手の少年もそのうち名前が知れ渡っていくだろう。デジタルタトゥーの意味合いとは逆に名誉なこともネットにあげたら中々消えないもんだ。

今月はこの2人の特集をうちの取材として業界新聞やホームページに載せる予定だし。

後藤はにっこり笑って「江川さん、手伝います」と声をかけ、受け取った新品のユニフォームをさっき開いた筋目の通りに畳んで袋に入れ直した。

「ありがとう。ねぇ後藤さんの仕事って何する人なの?」

「私の会社はパンやケーキ、ピザを作るのに必要な機械を作っているんです。パンロンドにも窯やホイロ、ドゥコン、ミキサー、パイローラー、※モルダーがあるでしょう?」

「はい!あります!」

「私の仕事はそれらの新製品を皆さんに広めて買っていただく事なんです。今回江川さんともお知り合いになれたので、今後何かあったら基嶋機械の後藤をよろしくお願いします」

「僕がいつか自分でパンの機械を買う日がくるのかしら、想像もできないです」

まだ貯金もないのに大それた買い物は考えも及ばない。

「なので修造さんがもしもパン屋さんをやったら僕もついて行くつもりです」

「そうなんですね、私とはずっと仲良くして下さいね」後藤は笑顔を見せた。

「ところでね江川さん」

「なあに?」

「修造さんは何か趣味とかあるんですか?休みの日は何をされてるんです?」

「修造さんはパンロンドに来るまで空手をやっていたそうですよ。休みの日は家族と過ごしてるんだ、結束が固くてその時は僕は近づけないんだ」

「そんなに寂しそうに言わないで。修造さんのお店でまっさらの綺麗な設備に囲まれて仕事している所を想像してみて下さい」ちょっと新品案件も刷り込んでみる。

「それ凄くいいですね。楽しそう」なんだかアミューズメントパークみたいな感じがする。

「希望が湧いてきたでしょう」

「はい」江川の表情がぱっと明るくなった。

「これ見て下さい、うちのピカピカのオーブンです」

後藤はカタログを見せながら、江川にこれまでのパンの活動について聞いた。

その後

やっと修造の撮影が終わった。

着替えを手伝ってやりながら後藤は頭の中の算盤が止まらない。選考会の時、修造のパンを見てグンとテンションが上がったままなのだ。

後藤は自販機の所に行き修造にカップのコーヒーを入れて控室に戻った。

「修造さん、お疲れ様でした。これどうぞ」

「あ、どうも」

これを飲みながらうろうろする者はあまりいない、座った修造の横に自分も座る。

「私は2人子供がいましてね、休みの日なんて家族サービスで大変です、でも子供達の笑顔を見ると不思議と疲れが吹っ飛びます」

「後藤さんのお子さんはまだ小さいんですか?」

「はい5歳と3歳です。良いですね子供は」

共感とシンパシー。後藤が客に対して営業で心がけている事だ。

「俺も子供がいるんです。上の女の子はとても好奇心が強い子で、下はもうすぐ4か月になります。可愛いですよね」

「ね!」

2人は顔を見合わせて笑った。

そのまま後藤はレコーダーのスイッチを押して修造にパン作りについて色々話しかけていった。

ーーーー

アパートの部屋に帰った修造は黙って入って来た。

「お帰り修造」律子が静かに小声で言った。

「ただいま」と帰って来たよのハグをした。

「子供達は?」

「寝てるわ」

「今日ごめんね遅くなって」

「なにかあったの?」

「今日撮影があって。それにインタビューめいた事もあったよ」

ソファに座ってふ~と息を吐く。

頭を背もたれに乗せて「スター選手の真似事は俺には向いてない。ああいうのは江川に任せておけばいいんだ」と泣き言を言った。

律子が横に座って手を握る「もうすぐフランスに行くからその準備が忙しいのね」

「何かのカタログとか新聞にに載るんだってさ」

「早く見たいわ」

「出来上がったら貰って帰ってくるよ」律子は疲れた修造の顔を覗き込んだ。

「大会が終わるまではパンの事だけ考えて。私達は大丈夫。何も心配いらないわ。そのカタログと新聞を部屋に飾っておくね。ずっと応援してるわ」

気丈夫な愛妻らしいきっぱりとした言い方に修造は愛おしさが倍増した。

「律子ありがとう」

「大好きよ修造。ずっと」

「俺、律子に出会えて良かったよ。何に感謝していいか分からないぐらい」

ーーーー

後藤は社に戻ってすでに出来ていた原稿の枠に記事と写真を載せて印刷するように指示した。

そうしてできた記事の載ったカタログと新聞は広く業界に送付された。

私達は日本チームを応援しています。とでかでかと載せた。

基嶋のホームページは新しく作り変えられた。

基嶋は本気を見せた。

内緒だが世界大会で優勝した時の為のものもすでに出来上がっている。

カタログなどを持ってきた後藤と五十嵐と他数名がフランスに応援に来てくれるらしい。現地で知り合いが多いのは心強い事だ。

「よろしくお願いします」修造も何度も営業の人達と話すうちにそんな挨拶が身についてきた。

ーーーー

「親方、みんな、俺たち行ってきます」

修造と江川は選考会の時の様にパンロンドの人達に挨拶した。

「修造、フランスに一緒に行けないけど、俺はずっと応援してるからな」

どんな時でも仕事の手を休めない親方らしい応援の仕方た。

「修造さん、江川さん頑張って下さいね」と藤岡が

「イェ〜ファイト〜。トロフィー見せてくださいね〜」と杉本がはじけた。

「忙しい時に休んでごめんね。僕頑張る」

「行ってきます」皆それぞれグーをトントンと突き合わせて2人を見送った。

全ての荷物を送って無事に会場に就くように祈る。·

「行こうか江川」

「はい」

成田を21時40分に出てシャルル・ド・ゴール空港に9時40分着。

19時間でフランスだ.

とうとう旅立つ時が来た。

おわり

※種をリフレッシュ  ライ麦のサワー種は固い生地で低温で長期間保存すると酢酸が多く生成される。今回はそれを防ぐ為に種継ぎ(リフレッシュ)する。旅先だが、あまり酸味を強くせず、乳酸を増やす操作をしようと修造は考えていた。

相欠き(あいがき)は木材の継手の一種で、下の上の図のように板物や角材の継ぎ方をいう。角材などを互いに半分ずつ欠きとって、切り取った部分を繋ぐ方法。おおむね材の厚さ分の長さを、互いに重ねることが多い。

ほぞ組みとは、脚物家具(椅子やソファなど脚付きの家具)に使われる木材の接合方法のひとつ。

※モルダー  製パン用の機械のひとつ。丸めた生地をモルダーに入れると伸ばして生地のガスを抜き、機械の中でコロコロ転がってロール状(コッペパンみたいな細長い形)になって出てくる。プラス板の間隔の調節で食パンなどの大物から小さなロールパンまで対応できる。

この投稿は2022年08月10日(水)にパン屋のグロワールのブログに投稿した物です。

33パン職人の修造 江川と修造シリーズ One after another 江川

パン職人の修造 江川と修造シリーズ One after another 江川

このお話はフイクションです。実在の個人、団体とはなんら関係ありません。

自転車でもなんでもそうだが始め到底無理だと思っていても、練習するうちになんとかなる。そして身につけば後は楽勝。

今日はホルツでの練習の日だ。

鷲羽と園部は大木に必ずここに帰ってくると約束してフランスに旅立った。

今頃は働きながら語学学校に通っている事だろう。

その為練習は修造と江川の2人きり。

江川は修造の立てた「大会前日のプラン」を練習し続けていた。

大会では前日に割り当てられた時間は1時間。

手順を覚えて準備をして、野菜を切り並べる。型に入れてそして、、

「江川バラバラにならない様に丁寧に重ねてね。固さに注意して」

「はい」

時々江川を見ながら修造は細かい柄の精巧なステンシルを彫っていた。

茶色い厚紙に鋭いカッターで彫り進めていく。

少しでも手先が狂うと切れてしまう。

修造は刃先に全神経を集中させていた。

「ふうー!できた」

と言って菊の柄を透かしておかしなところがないかチェックした。

その横では江川は昨日作ったものを型から出して切っていた。

それを大木と修造が試食して「ちょっと緩いかな?」

「もう少ししっかりした感じが欲しい」

とチェックが入った。

「わ、わかりました」

何度練習してもいまいちうまくいかない。

「もっと細かい微調整が必要なんだ」

毎回配合と温度をメモに書き、今日は少し変えてみる。

現場では理想の固さにしないと。

「江川、ミスは許されない」と大木が厳しいことを言ってくる。

「何個か作っていいのを使いましょうよ」

「何個も作れるほど早くできるならそれでもいい」

「え〜」

江川はメモにまだ工程があるのをもう一度確認した。

他にもやる事はある。

ここでつまづく訳にはいかないんだ。

「僕もう一度やってみて良いですか?」

「勿論だ、選考協会から援助が出てるから多少は無理が効く」

それに『あいつ』に前回の領収書を送ったら振り込んできたしな。と、大木は心の中で思った。

「ま、スポンサーもいるしな」

「江川、味の事なんだけど旨みがもう少し欲しいと言うか、もっと和風に近づける味に寄れないか考えてみるよ」

次に修造は蝶の羽の形をダンポールに4種類描きカッターで型通りに切り抜いた。

そして大木に

「これなんですが」

と原案の型を照らし合わせて見せた。

大木は蝶の羽を手に取って観ながら言った。

「ふん、この形なら生地の上に乗せて切り取ればいけるだろう。こりゃ留木さんの出番だな」

修造は江川がコンテストの時に六角形の型を何種類か作ってもらった留木板金の名前が出てテンションが上がった。

「うわ!留木板金!」

「江川、練習を続けといて」

と言って大木は修造と車で出かけた。

車の中で「江川には無理させちゃってます」と胸の内を打ち明けた。

「なんとか乗り越えて貰わんとな」

「まだまだやる事があって」

「登り始めだな」

「はい」

何かを成し遂げるのは大変な事だよ。今やっている事は無駄にはならん。

江川もいつかきっとわかる日が来るだろう。

大木は留木板金の前に車を停め入り口に向かって歩きながら誰に言うともなしに言った。

「投げ出すのが1番の無駄だ」

入り口のドアが開いた。

「どうも大木さん、今度は誰を連れてきたんですか?」

ーーーー

江川が一人で練習していると北山と篠山がこっそり入ってきた。

「江川さん、こんにちは」

「あ、こんにちは」

「ねえ、これって世界大会と関係あるの?」2人は江川の作ってる物を見て言った。

北山と篠山はホルツに練習に来てる間に親しくなった職人で、結構優しくしてくれる人達だ。

二人とも名前に山がつくので江川は心の中で仲良し二人組を『山々コンビ』と呼んでいた。

「ねぇ、私たちもフランスに応援に行くわね」

「えっ!本当?嬉しいな。二人だけで行くんじゃないんだね」

「大木シェフとホルツからは私達、それに業界関係の人や一般の応援の人もいるんじゃない?」

「そうなんだ、なんだか頼りになるなあ」

「それにね、、」

二人は顔を見合わせた。

「鷲羽君も来るわよきっと」

「園部君は良いとして、ねぇ」

ねぇ、の言い方に鷲羽への嫌悪感が露わになっていた。

どうやら会場で会うのも嫌っぽい。

「二人は見てないかもしれないけど、鷲羽君は色々あって変わったみたいだよ」

「え?本当?人ってそんな簡単に変われるものなの?」

「それは、、変わったんじゃ、、ないかな?」

江川はモゴモゴと誤魔化した。

話を変えよう。 

「2人共もうお昼食べた?」

時計は12時を指していた。

「これ食べて! 感想を聞かせてよ」

江川はさっき切ったものを出して皿に入れて渡した。

「わあ綺麗。これ大会と関係あるの?」

「内緒だけどそうなんだ。誰にも言わないでね」

「うん、わかった」

「ヘルシーだし、味はナチュラルで美味しいけどこれをパンにどうやって使うの?」

「それは大会で見てよね」江川はそう言いながら

「少し緩いから調整しなきゃいけないんだ。それに味付けも物足りないかな」

と二人の皿ににもうワンカットずつのせた。

それを食べながら北山は「小耳に挟んだんだけどね、会場って凄く暑いんでしょう?」

「えっ?そうなの?どのぐらい暑いのかな」

江川は手に持ってるものの温度の影響を考えた。

「大丈夫なのかな?」

ーーーー

一方その頃大木と修造は

「腹減ったな。そろそろ昼か」

「そうですね」

留木板金から出てきた時、凄く良い匂いが漂ってきた。

「そう言えばこの近くに人気のうどん屋があるんだよ。行こうか」

「はい」

2人は通りを渡ってうどん屋の前に来た。

清潔感のある老舗っぽい店の入口を開けて「どうぞ」と、大木を先に入らせた。

店内に入ると客でいっぱいだった。

大木と修造は端の空いている席を見つけて座った。

この香りは出汁の香りだ。修造は意識して香りを嗅いでみた。

カツオと昆布、それと何か他にも入ってるかな?そして醤油に味醂に、、

「修造は何にする?俺はざる蕎麦」

「じゃあ素うどんってありますかね?具が無いやつ」

「素うどん?」

と不思議に思いながら大木は「すみません」と手を挙げ店員さんを呼んだ。

やってきたエプロンと三角巾の女性に「ざる蕎麦と天ぷらうどん、あとさ、出汁だけ少し貰えない?味見させてよ」

店員さんは復唱してしばらくして注文通りに持ってきた。

「ありがとうね」

と言って修造に出汁だけ入った丼を渡した「ほら。これだろ」

「すみません」修造は受け取り、濁りのない澄んだ出汁を香りを嗅いだり飲んだりしてみた。

「合わせ出しですね。美味いなあ」

「添加物も使ってないらしいよ、ほら」

なんと壁に配分が書いてある。

当店は同量の鰹、煮干しと利尻昆布で出汁をとっています。

ほんとだ

そうだ

これをベースにすれば添加物なんてなくても和風のうまい味が出せる。

これを江川の作ってる物のに使えば!

移りゆく修造の表情を見ながら大木はふふふと笑った。

「早く食えよ、饂飩が伸びるだろ」

二人が食べ終えた時修造が話しだした。

「俺、もし大会で勝ったら江川に恩返ししようと思うんです」

「もしってなんだよ。勝つんだろ?」

「はい、やるからにはそのつもりですが、、これまでにも大木シェフや鳥井シェフ、親方、うちの義父にも世話になっていて、その分を江川に返して、そしてまた江川が次の世代に何かしてあげれば良いと思ってます」

「自分が受け取った分を江川にしてやる訳だな」

「はい」

ーーーー

ホルツに戻ると江川が待っていた。

「ごめん、大木シェフにお昼をご馳走になったんだ」

「大丈夫です。僕、お腹と胸もいっぱいで」

「さっき北山さんと篠山さんにこれを試食して貰って、その時会場が暑いって聞いたんです」

「え!そうなの?」

「はい、僕心配で」

「暑いって事は味の濃い薄いも気をつけなきゃならない。様子を見て味付けを濃くするかもしれない」

「もし過去に暑かったから逆にクーラーバリバリ効かせてたらどうしますか?」

「その時の為に3つのレシピを用意しておこう。丁度良い標準、若干濃い味、若干薄い味。

江川、まずその丁度良い標準の固さと味を見つけるんだ」

「それと」

「えっ?」

修造は帰りに買ってきた真昆布と鰹といりこを出してきた。

「なんですか?これ」

「美味しい出汁をとる練習をして貰う」

「えー!」

江川は修造の言う通りに合わせ出汁をとる練習を始めた。

昆布は30分は水に漬けとかないといけない。

その間に野菜を用意して型に詰め、次の作業に取り掛かり、そのあと鰹を入れて10分したら濾す。

そして例の液を流し込む。

そして次の作業へ。

江川は額の汗をキッチンペーパーで拭き取りながら、なんか前日準備って僕の想像と全然違うなと思っていた。

「計量したり種を準備すると思ってました」

「江川、それは俺がやるんだ」

「工程表にこんなにびっしり書いてありますよ、こんなに?」

「うん」

「こんなにだ!」

修造は工程表を手に持ち高く上げた。

夕方

練習もそろそろ終わり。

「さて江川、俺は今から寄る所があるんだ」

「え?どこへ行くんですか?僕も連れてって下さいよう」

「一緒に行くのか?」

「はい、片付けるから待って下さいよう」

「本当に良いんだな?」

「え?」

ーーーー

2人は一旦家に帰った。

江川はワクワクしながら修造の言う通り着替えを用意した。

「どこに連れっててくれるのかな」

「歯ブラシやタオルに、ドライヤーとかいるのかな?」

沢山の荷物をリュックに詰めて東南駅に集合した。

電車で2時間半移動してる間、2人とも疲れてい寝ていた。

「江川」

修造が江川を起こした。

「もうすぐ着くんですね?その駅に何があるんですか?」江川が除いた電車の窓の外は真っ暗だ。

「滝だよ。道場の田中師範にいい滝があるって教えて貰ったんだ」

「滝!良いですね。」マイナスイオンをいっぱい浴びるんですね」

その時電車が駅に着いた。

「着いたぞ」

全く聞いた事のない駅に辿り着く。

江川はもう帰る電車は無さそうだから民宿にでも泊まって明日滝に行くのかと思っていた。

「ここどこなんだろう?今日この近くに泊まるんでしょう?」

早歩きで行かないと修造はどんどん歩いていく。

江川が慌ててついて行くと真っ暗な山道に入った。

細い車道を照らす薄い照明だけが頼りだ。

昼間雨が降ったのか、道の脇から伸びた草を踏むと湿った感触がする。

しばらく行くと川の音が近づいてきた。

「滝の音かな」

ドドドっと勢いのある音が遠くに聞こえてくる。

修造は突然ガードレールの切れ目から下に降り出した。

「どこ行くんですか?」

「滝だよ。滑るから気をつけて」

「今から?」

修造はそれ以降何も話さなくなった。

河原に降りて来ると奥の方に滝の音がはっきりと聞こえてくる。

「何するの?」

修造は荷物を置き着替えだした。

「あっ」

ザバザバと音を立てながら滝の方へ降りていくのがうっすら見える。

明かりは上に通っている道路を照らす小さなライトだけだ。

それより木々の後ろに広がる暗がりが怖くて仕方ない。

「ひっ」

身を強張らせて見ていると、道着を着て滝に当たりながら手を合わせてるのが何となくシルエットで分かる。

精神統一していた修造は突然

両手を三角にして前に出してから「はーーーー〜っ」とお腹から息を吐き出して、その三角の手をまた胸元に引き寄せた。

それを何回かやった後

「えーいっっっっ!」っと気合いを入れながら正拳突きを始めた。

夏場とはいえ夜の山の空気は冷たく、水を触ると「冷た」と言うぐらいだ。

昼間降っていた雨のせいか水の勢いがすごい。

ドドドドドドド、、、

あんなに水に当たって首が大丈夫なのかしらと心配していたが、いつまで経っても正拳突きの勢いはおさまる事は無い。

あ、分かった。

千本突きってのをやってるんじゃない?

ひょっとして試合前に気合を入れてるの?じゃなかった大会前に⁉︎

滝の音に打ち勝つようにエイ!とも、せい!とも付かない修造の声が響く。

しばらくして突きがが止まり、もう一度精神統一している様だ。

何?これ

かゆ〜い!

じっと見ていた江川はいつの間にか大量の蚊に刺されて顔も首も腫れまくっていた。

「ヒーっ」と叫んで纏わりつく蚊を避けるために滝に飛び込んだ。

「お、江川もやるのか?お先に」

すっきりした声の修造は爽やかに言った。

おわり

このお話は2022年07月15日(金)にパン屋のグロワールのブログに投稿した物です。

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