35パン職人の修造 江川と修造シリーズ 江川 Preparation for departure

「もうすぐフランスだ」

夜の12時。

東南マンションの3階の自室で

江川は窓際のベッドに横になりながら

暗がりのカレンダーを見て呟いた。

そう、もうすぐ世界大会だ。

空手のじゃない。

パンの世界大会だ。

「色々あったなこれまで」

修造と出会ってからのあんな事やこんな事。

緊張でギラギラする。

でもまた倒れたらいけないから早く寝なくちゃ。

もうパンロンドはしばらくお休みして修造と2人で明日からホルツで特訓だ。

修造さんは凄いな。

全てを理解していてあんなに早く動けて。。

あ、早く寝なくちゃ。

修造さんも寝る前に音楽を聴くと良いって言ってたな。

リラックス音楽を選んでイヤホンで聴いていた。

でもまた考えてしまう。

他の国の人達はどんなパンを作るのかしら。

きっと凄いんだろうな。

そしてまたカレンダーを見た。

「もうすぐフランスだ」

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朝、修造と待ち合わせして電車に乗った。

もう何度となくこの電車に乗ってパンの修行に行き、そして帰る。

毎回困難な課題にぶち当たり、解決してまた一段階段を登る。

そうやって随分登った気がする。なのにまた次の段がある。

「今日は一から通しでやってみよう」

「はい」

「まあ理解を深めるって感じで」

修造はプレッシャーを与えないように軽そうに言った。

江川の目の下にクマができているからだ。

これから二人三脚でと言いたいところだが、シェフ側から見たら助手は同じ力では決して無い。

アルチザン(職人)

ブーランジェ(パン職人)

そしてその下で働く者はコミ(助手)と呼ばれる。

ちなみに「職人の・職人的な」はアルチザナルだ。

ブーランジェとコミは力のあり方が違う、だが心を合わせて頂上を目指すのだから同じ方を向いて力を合わせなければならない。

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ベッカライホルツの別室で作業中

「江川、もうパスポートはとった?」

「はい、持ってます」

「当日忘れ物が無いようにしないとな〜取りに帰れないし」

「めちゃくちゃチェックします」

「1日目は鷲羽達のとこに泊まるから」

「えっ?」

「今園部と鷲羽は学校の近くに2人で住んでるんだ。そこで受け取った※種をリフレッシュしなきゃ。それと向こうで仕入れもして当日鷲羽に届けてもらうんだ」

「もうそんな話ができてるんですね」

「うん、2泊目は大会の会場の近くに泊まる。会場でパンデコレの土台とかパーツを作らなくちゃ」

大会の後半、パンを作り終えたらすぐにパンデコレの組み立てが始まる。それまでにパーツは完璧に揃えないといけない。

そこで上手く行くかどうかまだわからない。初めて行くところで場所も設備も想像もつかない。

2人ともそこが心配だった。

「ま、条件は皆同じなんだし」

不安を打ち消すには練習しかない。

修造はパンデコレの各パーツの生地を自分の思った通りに平らに凹凸のないように焼成するよう調節した。

例えば葉っぱのパーツ一つにしても本体に添わせたいならそんな風に、立てたいならそんな風に作らなければならない。

本体に生地をくっ付けるのって凄く難しい。

やはり前回のように※相欠きのパーツ同士を継ぎ手を作ってお互いの凹凸を嵌め込むやり方と、本達に仕掛けを作って※ほぞ継ぎのパーツを刺していくやり方を組み合わせた方法がいいだろう。

大木と相談しながら時間の許す限り何度も練習した。

「縦のものに縦のものを挿すのだから継ぎ手はいるな」

「ですね」

江川は色とりどりの生地を手早く順番を間違えないようにする練習をしていた。

そして数日後

2人は動きを合わせ、やがてピッタリと欠き継ぎの様に息が合い、完成度が高まってきたと思う瞬間が増えた。

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翌日ホルツに来た2人に、大木が「紹介するよ」と言って何人かを連れて来た。

「修造シェフ!ご無沙汰しています.いや~またお会いできて嬉しいです」紺色のスーツを着た男が白い歯を見せて声をかけてきた。

「あ」見覚えがある。

「基嶋機械の後藤です。今日は社長の基嶋義信を紹介させて頂きます」

「確か、後藤さんとは選考会の会場でお会いしましたよね」

「覚えていて頂けましたか!社長!こちらが田所修造シェフです」

「田所シェフ、初めまして基嶋です」

「どうも」

「修造、基嶋機械さんは今回の大会の後押しをして下さるからな」大木が基嶋機械がスポンサーになっていることを伝えた。

「ありがとうございます」

「担当は後藤ですので困った事があったらお伝え下さい」基嶋は後藤を前に出した。

「シェフ、これからよろしくお願い致します」

「はい」

そして次のブラウンのスーツ姿の男が名刺を出してきた。

「私、興善フーズの営業主任の青木 康裕と申します。担当の五十嵐良子です」

といってもう一人の女性社員を手で指した。

「五十嵐です。ライ麦の試食をして頂いた者です」

「その節はどうも」

修造は知らないが、青木は選考会で修造が壊したパネルの後始末をしてくれた男だった。

「必要なものは五十嵐にお知らせ下さい」

「私が食材を手配致します」

「ありがとうございます」修造は頭をちょっと下げた。

他にも何社かの営業の者が挨拶に来ていた。

「そしてこれ」大木が大会のユニフオームを修造と江川に渡してきた。

「フランスから送られてきたんだよ」

江川は早速ユニフオームを広げて大喜びだった。

「わあ〜!かっこいい」

「さあ、では行きましょうか」後藤が白い歯を見せて張り切って言った。

「え?どこへ?」

「写真撮影です」

いくつかの企業がスポンサーとなることで資金面で選手も助かるし、企業側も認知の拡大、自社の製品の知名度の向上やイメージアップができる。企業共有の写真を撮りに行く事になった。

実際勤め人の選手には資金面の心配までしていては集中力が削げる。

「私がお連れします」と言って、後藤は修造と江川、大木を車に乗せてスタジオに向かっていた。

「私が大会が終わってもお付き合いしますのでなんでも相談して下さいね」

「だってさ、修造!大船に乗った気でいろよ」と大木が言った。

急接近してきた後藤になんだか背中がこそばゆいが、やはり助かる。世間知らずの修造は直球を投げた「見返りに何かするんですか?」

大木が「ほら、あるだろ?スポーツ選手の肩や腕のところに企業名が付けてあるだろ、あんな感じだよ」と、また振り向いて言った。

「あぁ!はい!あれ!」

「カタログや業界新聞のうちのスペースにシェフとうちの機械を載せるんです」何も知らないのでこちらのペースに乗せやすいかもしれないと後藤はそう思いながら言った。

「それと、次の展示会ではうちのブースでデモンストレーションをして下さいね」

「あのオーブンやらが沢山並んでる所で?」

「はい、実際に基嶋のミキサーやドウコンを使ってパン作りをして頂きます」

「後藤君、そういうのは大会が終わってからにしてね」と大木に釘を刺されたので笑って誤魔化した。

「凄い、僕達の知らない別世界」と、後部座席で黙って聞いていた江川が大人の世界を垣間見てちょっと心躍った。

スタジオに着くと早速さっきの大会指定のユニフォームに着替え、3人で並んだ。

「色んなポーズするんですか?こう?」

などと江川が張り切っているが修造は内心嫌がっていた。

本当は写真撮影は苦手だが仕方ない。。

黙って突っ立っている修造にカメラマンが穏やかに声をかけた。

「右の後ろの方、もう少し隣の方に寄って下さい。はい!笑って下さーい」

笑ってと言われてどんな笑い方をすれば良いんだろう?

何度も撮り直すので大木が振り向いて修造の顔を見た。

「おい、笑えって言われてるだろ?」

「はあ」

口角を上げてみた。

ぎこちな過ぎる。

「修造さん、こうですよ」

江川がにっこりとして見せた。

「えーと」

強い目力に更に力が入り、口の両端を上げた。

こわ

カメラマンが困っていたので江川が「そうだ!大地ちゃんを思い出したら?」とアドバイスしてきた。

あの可愛い大地を。。

修造の顔が急に綻んだのでやっと良いのが撮れた。

「江川ナイスアシスト」と大木がほっとして言った。

「次はお一人ずつ撮りますね」

「えっまだあるの?」

「良い写真が撮れないとずっと撮り直しになりますよ」

さっさと撮り終えた江川が言った。

「う、うん」

「修造さんもう少し笑って下さい」こういう事の苦手な修造は何度もカメラマンに言われていた。

「もう少し斜に構えてカッコいいポーズも撮りましょう」

「え」

もう言われるがままに指定の格好をするしか早くこの場から逃れるすべは無い。

「腕を組んで」

「もっと笑って」

色んなポーズを撮るカメラマンとなすがままの修造を見ながら後藤は考えていた。

この人優勝してもしなくても結局店を持つんだろうな。今からうちのいい中古を探しておこう。まだそんなに使ってないものを会社の者が何処かで見かけたら俺に言う様に言っておこう。どのぐらいの規模なのかな。一等地に狭い店を構えるのか、郊外に広い店を持つのか。やっぱパンロンドを拠点に考えるのかな。今ガツガツ聞くと大木シェフに叱られるな。それにしても随分この2人を可愛がってるな。息子みたいにしてる。

それと

江川を見た。

こちらの助手の少年もそのうち名前が知れ渡っていくだろう。デジタルタトゥーの意味合いとは逆に名誉なこともネットにあげたら中々消えないもんだ。

今月はこの2人の特集をうちの取材として業界新聞やホームページに載せる予定だし。

後藤はにっこり笑って「江川さん、手伝います」と声をかけ、受け取った新品のユニフォームをさっき開いた筋目の通りに畳んで袋に入れ直した。

「ありがとう。ねぇ後藤さんの仕事って何する人なの?」

「私の会社はパンやケーキ、ピザを作るのに必要な機械を作っているんです。パンロンドにも窯やホイロ、ドゥコン、ミキサー、パイローラー、※モルダーがあるでしょう?」

「はい!あります!」

「私の仕事はそれらの新製品を皆さんに広めて買っていただく事なんです。今回江川さんともお知り合いになれたので、今後何かあったら基嶋機械の後藤をよろしくお願いします」

「僕がいつか自分でパンの機械を買う日がくるのかしら、想像もできないです」

まだ貯金もないのに大それた買い物は考えも及ばない。

「なので修造さんがもしもパン屋さんをやったら僕もついて行くつもりです」

「そうなんですね、私とはずっと仲良くして下さいね」後藤は笑顔を見せた。

「ところでね江川さん」

「なあに?」

「修造さんは何か趣味とかあるんですか?休みの日は何をされてるんです?」

「修造さんはパンロンドに来るまで空手をやっていたそうですよ。休みの日は家族と過ごしてるんだ、結束が固くてその時は僕は近づけないんだ」

「そんなに寂しそうに言わないで。修造さんのお店でまっさらの綺麗な設備に囲まれて仕事している所を想像してみて下さい」ちょっと新品案件も刷り込んでみる。

「それ凄くいいですね。楽しそう」なんだかアミューズメントパークみたいな感じがする。

「希望が湧いてきたでしょう」

「はい」江川の表情がぱっと明るくなった。

「これ見て下さい、うちのピカピカのオーブンです」

後藤はカタログを見せながら、江川にこれまでのパンの活動について聞いた。

その後

やっと修造の撮影が終わった。

着替えを手伝ってやりながら後藤は頭の中の算盤が止まらない。選考会の時、修造のパンを見てグンとテンションが上がったままなのだ。

後藤は自販機の所に行き修造にカップのコーヒーを入れて控室に戻った。

「修造さん、お疲れ様でした。これどうぞ」

「あ、どうも」

これを飲みながらうろうろする者はあまりいない、座った修造の横に自分も座る。

「私は2人子供がいましてね、休みの日なんて家族サービスで大変です、でも子供達の笑顔を見ると不思議と疲れが吹っ飛びます」

「後藤さんのお子さんはまだ小さいんですか?」

「はい5歳と3歳です。良いですね子供は」

共感とシンパシー。後藤が客に対して営業で心がけている事だ。

「俺も子供がいるんです。上の女の子はとても好奇心が強い子で、下はもうすぐ4か月になります。可愛いですよね」

「ね!」

2人は顔を見合わせて笑った。

そのまま後藤はレコーダーのスイッチを押して修造にパン作りについて色々話しかけていった。

ーーーー

アパートの部屋に帰った修造は黙って入って来た。

「お帰り修造」律子が静かに小声で言った。

「ただいま」と帰って来たよのハグをした。

「子供達は?」

「寝てるわ」

「今日ごめんね遅くなって」

「なにかあったの?」

「今日撮影があって。それにインタビューめいた事もあったよ」

ソファに座ってふ~と息を吐く。

頭を背もたれに乗せて「スター選手の真似事は俺には向いてない。ああいうのは江川に任せておけばいいんだ」と泣き言を言った。

律子が横に座って手を握る「もうすぐフランスに行くからその準備が忙しいのね」

「何かのカタログとか新聞にに載るんだってさ」

「早く見たいわ」

「出来上がったら貰って帰ってくるよ」律子は疲れた修造の顔を覗き込んだ。

「大会が終わるまではパンの事だけ考えて。私達は大丈夫。何も心配いらないわ。そのカタログと新聞を部屋に飾っておくね。ずっと応援してるわ」

気丈夫な愛妻らしいきっぱりとした言い方に修造は愛おしさが倍増した。

「律子ありがとう」

「大好きよ修造。ずっと」

「俺、律子に出会えて良かったよ。何に感謝していいか分からないぐらい」

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後藤は社に戻ってすでに出来ていた原稿の枠に記事と写真を載せて印刷するように指示した。

そうしてできた記事の載ったカタログと新聞は広く業界に送付された。

私達は日本チームを応援しています。とでかでかと載せた。

基嶋のホームページは新しく作り変えられた。

基嶋は本気を見せた。

内緒だが世界大会で優勝した時の為のものもすでに出来上がっている。

カタログなどを持ってきた後藤と五十嵐と他数名がフランスに応援に来てくれるらしい。現地で知り合いが多いのは心強い事だ。

「よろしくお願いします」修造も何度も営業の人達と話すうちにそんな挨拶が身についてきた。

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「親方、みんな、俺たち行ってきます」

修造と江川は選考会の時の様にパンロンドの人達に挨拶した。

「修造、フランスに一緒に行けないけど、俺はずっと応援してるからな」

どんな時でも仕事の手を休めない親方らしい応援の仕方た。

「修造さん、江川さん頑張って下さいね」と藤岡が

「イェ〜ファイト〜。トロフィー見せてくださいね〜」と杉本がはじけた。

「忙しい時に休んでごめんね。僕頑張る」

「行ってきます」皆それぞれグーをトントンと突き合わせて2人を見送った。

全ての荷物を送って無事に会場に就くように祈る。·

「行こうか江川」

「はい」

成田を21時40分に出てシャルル・ド・ゴール空港に9時40分着。

19時間でフランスだ.

とうとう旅立つ時が来た。

おわり

※種をリフレッシュ  ライ麦のサワー種は固い生地で低温で長期間保存すると酢酸が多く生成される。今回はそれを防ぐ為に種継ぎ(リフレッシュ)する。旅先だが、あまり酸味を強くせず、乳酸を増やす操作をしようと修造は考えていた。

相欠き(あいがき)は木材の継手の一種で、下の上の図のように板物や角材の継ぎ方をいう。角材などを互いに半分ずつ欠きとって、切り取った部分を繋ぐ方法。おおむね材の厚さ分の長さを、互いに重ねることが多い。

ほぞ組みとは、脚物家具(椅子やソファなど脚付きの家具)に使われる木材の接合方法のひとつ。

※モルダー  製パン用の機械のひとつ。丸めた生地をモルダーに入れると伸ばして生地のガスを抜き、機械の中でコロコロ転がってロール状(コッペパンみたいな細長い形)になって出てくる。プラス板の間隔の調節で食パンなどの大物から小さなロールパンまで対応できる。

この投稿は2022年08月10日(水)にパン屋のグロワールのブログに投稿した物です。

34パンの職人の修造 江川と修造シリーズ  Annoying People

パンの職人の修造 江川と修造シリーズ  Annoying People

今日もまたグーググーグーグーっていう喉の奥から響く音が聞こえる。

江川は杉本と一緒にパンロンドの工場の奥で生地の分割と丸めをしていて修造に背を向けていたが、例のハミングが聞こえてきたので修造の方を振り向いて確認したかった。

でも珍しいものをみる様な目で見たら失礼だし、、

江川はちょっとだけ振り向いてまたパッと元に戻った。

凄い嬉しそうな顔してる。

夏が終わり、修造の家族の律子、緑、大地が実家から帰ってきたのだ。

久しぶりに会えて嬉しい限りだった。なので例の謎の鼻歌も止まらない。

江川がちらちら修造を見ていると、向かいに立っていた杉本も江川の顔をじーっと見てきた。

「何?杉本君」

「江川さん、顔と首にに赤いブツブツがいっぱいありますよ?」

「半月前、滝にマイナスイオンを浴びに行ったら虫に刺されちゃったんだ。それが全然治らなくて、、これでも随分マシになったんだ」

滝壺に飛び込んだからびしょ濡れになっちゃって、着替えてる間も蚊に襲われて。

思い出しただけでも泣けてくる。

おまけに大会の為のスケジュール表を暗記したいが複雑で完全に覚えるのはなかなか、、

「杉本君みたいに書いて覚える特技があったらなあ。僕スケジュールが覚えられないんだ」

「なかなか俺みたいな天才にはなれませんよね」

なんだかすごく腹の立つマウントの取り方をされて頭にくる。

「なにそれ!」

だが杉本は藤岡と2人して製パン技術士3級の試験に受かって、しかも彼女に指輪をプレゼントして幸せそうだ。

呑気で悩みのない感じの杉本をみてちょっと羨ましい。

「グ〜」っと江川も喉の奥から変な声を出した。藤岡がいたら冷静に杉本に何か言ってくれたかもしれないが今日は休みだし。。。

目を三角にしながら分割した生地の乗ったバットを持ってきた江川を見て親方が心配した。

「おい大丈夫か?疲れが溜まってんのか?無理すんなよ江川」

疲れてる時に優しい言葉をかけられると泣けてくる。

「親方、僕工程が複雑で覚えられなくて」ちょっと涙が浮かぶ。

「うーん。修造の助手は正直大変と思うけど、折角鷲羽に勝って得た座なんだしな〜」

と親方も応援するしかないなあと思っていたら。

「江川君、私が良い方法を教えてあげる!」

「えっ?」

2人の会話を聞いていた親方の奥さんが得意げに言い放った。

「良い方法があるんですか?」

「そう!暗記方があるのよ」

「へえ」

「漢字の暗記法なんだけどね、まず覚えたい言葉を見ながら膝に書いてその後眼を瞑って同じように3回ぐらい書いてみるの。どんどん書いていったら良いんじゃない?」

「やってみます」

奥さんは「覚えられなかったらごめんね〜」と言って店に戻って行った。

江川は早速家に帰ってやってみた。

えーとまず目を開けて膝に書いてそのあと目を瞑って膝に書く、、と」

それをびっしり書いてある工程表の上から下へと何回かやってみた。

一行目から二行目へそして三行目へ、、

ーーーー

一方田所家では

「大地はまた重くなったな。首もグラグラしなくなったね」と修造は大地に話しかけていた。

「あー」

「うー」

とお話の量も増えて、お返事してくれる。

「可愛いなあ」とほっぺをぷにぷにした。

さて、夕方になり、東南マートのセールの時間が近づいてきた。

「さ、緑、出かけよう!」

「うん」

2人はスーパーへの道のりでいつも色んな話をしていた。

「夏休みは楽しかった?」

「うん、おじいちゃんとサンマリーンに行ったりラーラに行ったりしたのよ」

サンマリーンながのとラーラ松本は流れるプールやらでっかい滑り台やらある楽しい施設らしい。

「ラーラ松本は結構おじいちゃんの家から遠くない?」

「朝早くから車で行ったのよ」

「それは、、」

修造はそんなに若くない巌が朝早くから夜遅くまで面倒見てくれてたのを想像して「疲れただろうなあ」と申し訳なく思った。

「それとね、花火とかスイカ割りとかもしたよ。楽しかった」

「おじいちゃんも楽しそうだった?」

「うん、ニコニコしてたよ。みっちゃんとおじいちゃんは仲良しだもん」

「そうなんだ」

ひと夏自分の修行の為に家族の面倒を見てくれた巌の気持ちに応える為にも「俺、頑張らないとな」

夕陽が眩しい坂道を降りながら修造は決意を新たにした。

スーパーでチラシを見ながら特売品を探していると「修造シェフ」

と声をかけてきた40ぐらいの年齢でグレーのスーツ姿の男がいた。

「はい?」

「初めまして、私株式会社石田・メリットストーンの有田悠と申します」

名刺を受け取り有田の顔を見た。

メリットストーンって中堅の製パン会社で関東の各駅に一軒あるだろう有名店だ。

「職場以外のところで中々お会いできないのでここまで来ちゃいました」

有田は人懐こい笑顔を見せた。

ほうれい線と目尻に深い笑い皺がある。

「シェフ、業界のシェフへの期待感は凄いですよ。勿論我々メリットストーンもです。シェフが世界大会で優勝されると皆信じています」

なんだか嘘くさい大袈裟な言い方の様に修造には感じた。

「ここには俺を探して来たんですか?」

「シェフ。そうなんです。是非シェフにお伝えしないといけない事があって、居ても立っても居られなくて来ました」

「ご用件は?」

「シェフの様な素晴らしい方がうちの会社で私達を導いて下さったら我々ももっとパン業界にお返しが出来ると思うんです」

え?

なんの話だこれ。

「大会が終わったら是非弊社においで下さい」

え?引き抜き?

修造は思いもよらない声掛けに驚いた。

有田はホルツやパンロンドと離れている瞬間を狙ってスカウトしに来ていた。

「俺、パンロンドで働いてるんです」

「存じております。ですが〜シェフの可能性を拡げる為にもですね、是非弊社で辣腕を奮って頂けたらと思っています」

「すみません、俺、そのうち独立する事は社長にも言ってあるので」

有田は修造の表情が固くなって来たのを見た。

「わかりました。今日はご挨拶に来ただけです。またそのうちに、こちら御目通しを」

と茶色の封筒を渡して頭を下げて立ち去った。

修造はその中の紙を見て「えっ」と有田の会社が提示した給料の額を見て声を上げた

「統括主任、、月80万!ボーナスはその3倍!」

さっき夕陽に誓いを立てたのにもう金の話なんて気が散るなあ。

もらった紙を丸めてポケットに入れ「緑ごめんね、お待たせ」と言って

お菓子売り場の食玩コーナーをウロウロしていた緑と買い物を済ませて帰った。

ーーーー

後日、修造と江川はホルツに来ていた。

修造は有田の話を大木にした。

「メリットストーンはお前の目指すパン作りとは違うだろう」

「会社と俺のパン作りを摺り寄せようとしてるんですかね?」

「ま、お前のステイタスが欲しいんだろうよ」

「俺の?」

「独立するとそういう話は無くなるよ」

修造は花を付ける予定の編笠の土台を作りながら「そうですね、どっちにしろ行かないので」と言った。 

そしてパンデコレのあれこれを考えを巡らせながら作っていった。

それはこんな風だった。

編笠とそれに付ける花を窯に入れてタイマーをセットした。そして留木板金から届いた蝶の抜き型を台の上に伸ばした生地にあてた。留木は応援の意味も込めて生地に付く全ての面を尖らせてスパッと抜ける様に施していた。

「留木さん、良い仕事するな」と呟いた。

蝶の色は青に紫に濃い茶色。「よし、良いのができそうだ」修造はしたり顔をした。

修造が作っている大会のパンデコレは和装の女性だ。

1番難しいのは流れる帯の模様の土台の生地に、色違いの生地をピッタリ嵌め込むところ。上手く行くかどうか。

出来るだけ滑らかな曲線を大切にしたい。

修造は大工の様に、嵌め込む生地の膨らみを計算して設計図を作り台紙をその通りにカットした。それを元に生地をカットして焼成後また引っ付けると2色の帯の出来上がりだ。地味だけど案外難しい。

次に土台作り。平らで安定感が大切だし、本体をセットしてぐらつかないようにしないと。

本体と土台はフランスには空港便で送れるのかな?全部の用具も送るのを忘れないようにしないと。他の部品は現地で製作だ。

フランスには食べ物の持ち込みは禁止だ。荷作りの箱を空港で検閲犬にクンクンされて見つかったらはねられてしまうかも。

そんなことを考えながら窯に入れた時江川が話しかけてきた。

「ねぇ修造さん、僕、柚木奥さんに暗記法を教わって随分工程が頭に入ってきました。イメトレもできます」

「そう?じゃ今度から通しでやってみよう。特訓だな」

「はい」

出来るだけ練習しないと頭で覚えただけでは動きが染み付かない。あとはもうギリギリまで何度もやってみることだ。バドミントン選手の様に与えられた場所で2人で入れ替わり立ち替わり自分の作業をして、お互い邪魔にならない様にしなくてはならない。

機械の置き場を大木に教わって動けるように考えた。

「江川、虫刺されのあと、治ってきた?あの時は悪かったな。俺集中しちゃってて気が付かなかったんだ」立ち回りを決める時に修造が江川に話しかけた。

「修造さんが精神統一をしに行ってたって途中で気が付きました」

「まあ心と身体を鍛えに行ってたんだよ。集中力は大事だしな」

「僕なら何をやったら良いですか? 座禅?」

「寝る前に呼吸を整えるとか、音楽聞くとか?」滝行を江川にやらせて首がどうかなったら困るのですこぶる優しい方法を薦めた。

ーーーー

次の日

修造は工場の奥でいつもの様に仕込みをしていた。出来上がった生地をどんどんケースに入れていく。そして計量、ミキサーへそしてケースへ。

その時奥さんがお店から大声をだして「誰か〜配達に行ける人いる?」と聞いてきた。

丁度仕込みの手が空き、次の作業まで時間がある。その間ロールインとか他の者の作業を一緒にする予定だった。

「俺行きますよ。すぐ戻れると思うんで」

「じゃお願いね」

「はい」

修造は奥さんに届け先の住所を聞いてメモした。

「ここって最近毎日注文が入るのよ。昨日は親方、その前は藤岡君が行ってくれたの」

「はい」修造はパンの入った2段のケースを受け取り配達用の軽バン『パンロンド号』に運んだ。

カーナビに住所を入力して出発する。

その時青色の軽自動車が少し離れてこっそり跡をつけていったのを修造は全然気がつかなかった。

現場に到着。

閑静な民家の間に配達先の建物がある。

4メートル程の道幅の道路に車を止めて荷物を運んだ。

「ここでいいのか?」

建物の中には誰もいない様だった。

窓の中を見ると、中は何かの調理場の様だが電気も消えてて人はいない。

修造はドアに貼ってあるメモを見つけた。

『パン屋さんへ この建物の裏に回ってください。

5軒のうち真ん中の建物の赤い入り口を開けて入ってください』

と書いてあるので修造はその通りに行った。

空き家っぽい家が並んでいる。

メモの通り真ん中の廃屋の様な家の赤い入り口の横開きのドアを開けて入った。

「あの〜すみませーん」

返事もない。

ここでいいのか?誰もいないのか?と思って2、3歩入ったその時、ケースを持って両手が塞がっている修造の背後から何者かが袋みたいな物を頭に被せた。

「うわ!モガガ!」こんな時でもパン箱を落とすのは嫌だ。地面に置いた時足を掬われ、両手を後ろに縛られて奥の部屋に放り込まれた。

「なんだー⁈」

ーーーー

一方その頃パンロンドでは、江川が工場の奥から店の方をチラチラ見ていた。

「ねぇ藤岡君、修造さん遅いと思わない?藤岡君と親方が行った時なんて20分もかからずに戻ってきたよね?」

「あ、ほんとだ。出発してから40分以上経ってますよね」

「でしょう?親方、修造さん遅いと思いませんか?」

「何かあったのかな?江川、ちょっと電話かけてみて」

「はい」

江川は何度もしつこくコールしてみたが出ない。

「出ませんよ!何かあったのかな?」

「事故ったとか?」

「どうしよう!修造さん!」

江川が色々想像してパニくりだしたので「落ち着いて江川さん。大丈夫、俺が見てきますよ」と藤岡が言った。

「俺、道を覚えてるから自転車で現場まで行きます。また連絡しますね」と江川を宥めて出発した。

ーーーー

藤岡が配達先に着いたがパンロンドの車は無い。

「おかしいな」

自転車を停めて中を覗いたが電気が消えてて建物は閉まっている。

「あの〜すみません!誰かいますか?」

ベルを鳴らしたが誰も出てこない。

一昨日は人が何人かいて調理中の様だった。建物の中にテーブルが置いてあって、取り仕切ってるっぽい女性が出てきて「ここにお願いします」と言うから挨拶してパンを置いて代金を貰った。

「誰もいないのか、どう言うことなんだ」

藤岡がキョロキョロしていると、道の脇に青い軽自動車が停めてある。

中を覗いたらパンフレットらしいものや封筒が後部座席に置いてある。封筒やらに書いてある文字を見た。

メリットストーン?聞いたことあるな、、

そうだ!パン屋の名前だ。一体なぜこんな所に?

建物の周りを一周しようと裏に回ったら40代ぐらいのスーツ姿の男が少し離れた民家の前でウロウロしている。

こいつがメリットストーンのやつかな?

動きが怪しい。

藤岡はちょっとその男を観察した。

一軒ずつ背伸びしたりかがんだりして中を覗こうとしている。

「何やってるんだ?」藤岡はその男の背後に行って「おい」と声をかけた。

「ヒェッ」男は心底驚いた様で腰を抜かしたが、藤岡のコックコートを見て「パン屋さん?」と聞いてきた。

「そうだよ。俺はパンロンドの藤岡だ。何でここでウロウロしてるの?」

「怪しいものじゃ無いんです。修造さんに話があってパンロンドの車を追いかけてきたらこっちに向かって修造さんが移動するのが見えて。。いつまで経っても戻ってこないんです」

「それでどこに入ったのか覗いてたの?」

「そうですそうです」

倉庫の裏には建物が4.5軒あってどれに向かって入ったのかは分からない。

「どれかな?」

「おい」

一軒ずつ見ていこうとする男に藤岡が詰め寄った。

「それも早く見つけなきゃだけど、お前は何で修造さんに着いて来たんだよ」

「えっ」

ーーーー

一方その頃

修造は

椅子に縛られていた。

「おい!誰だ!お前らなんなんだ!モガモガ」

何者かが修造に被せた布を取った。

「あ?」

「え?!」

と2人の社員風の男が修造の顔を覗き込んだ。

1人はロン毛でもう1人は短髪、2人ともカッターシャツでネクタイ姿だ。

一体何故こんな奴らが?

「こんなむさ苦しい感じでしたか?」

「いやもっと綺麗だろ、、、」

「ひょっとして間違えた?」

2人は顔を見合わせてまた修造を見た。

「なんだむさ苦しいって!」

失礼だし、どうやら間違って捕まった様だし。

「どうする?こいつ」

「こんなの連れてったらダメだろ」

はあ?

あ、そうだそろそろ生地の※パンチの時間だ。

江川に言わなくちゃ。

修造は縛られていた紐を手首をグニグニして紐を緩めて思い切り広げた。

「うおりゃあ〜っ!」

そして引きちぎって1人目の男の肩を掴んだ。

ーーーー

その廃屋の前の路端では

藤岡に問い詰められて男は白状していた。

「私はメリットストーン・株式会社石井の営業部主任の有田と言います。実はこの数日、、修造シェフについて回ってまして」

「怪しいなあ。何故?」

「修造シェフに大会が終わったらうちに転職して頂こうと思っていたんです」

「転職、、しないでしょう?修造さんは」

「はい、断られましたが。周りからの圧があって再びお願いしようと思いまして。そしたらシェフが消えてしまったんです。それでどうしようかと」

有田は一軒一軒覗きながら言った。

どうやら悪いやつじゃなさそうなので今のところは信用するか。。と藤岡は思った。

「パンロンドの車は知らないですか?」

「えっ?車?」有田は少し戻って車がないのを見た。

「誰か隠した奴がいるのかな?さっきまでありましたよ」

「あ、この家から何か聞こえませんか?」

空き家っぽい家の方からドン!と言う音が聞こえる。

藤岡は耳を澄ませた。

ーーーー

修造は手首を摩った後、1人目の左脇腹を右足で回し蹴りでふっ飛ばした。

一撃必殺。

こんな所師範に見つかったら叱られるな。と思ってかなり手加減した。

1人目は「うがっ」と脇腹を押さえながらよろよろ立ち上がり、椅子で殴りかかってきたので、後ろ回し蹴りで椅子を壊して振り向き様に踵落としを決めた。

「グフォ」っとアニメの様な声を出して立てなくなった様なので、もう1人の所にツカツカと歩み寄った。

「ひいい〜」っとびびる男の肩を掴んで「おい!電話を返せ!」と言った。

慌てて修造のスマートフォンを渡して警察を呼ばれると思っていたら「もしもし江川?あ、ごめんごめんちょっと手間取っちゃって。そろそろパンチの時間だから頼むよ。うん、うん、大丈夫。そう。じゃあすぐ帰るから。え?藤岡が?わかった」と言った。

拍子抜けして修造を見ていたらもう一度肩を掴まれて「何故俺を捕まえた?誰と間違えたか言え!」と詰め寄った時、ドンドン!とドアを叩く音がした。

修造が2人目の男の首根っこを掴んだまま玄関のドアを開けると藤岡と有田が飛び込んできた。

「修造さん大丈夫なんですか?」

「ああ!今からこいつが白状するから聞いてみよう」

2人目の男は藤岡を見て「こっちが正解だったんだよ」と言った。

ーーーー

5人は壊した椅子を片付けて部屋の真ん中に突っ立って話をし出した。

「私たちは鴨似田フードって言う会社の中途採用で入ったばかりの社員です。私は歩田、こちらは兵山と申します」とショートヘアーの方の男が話しだした。「3日前、会社が仕切っているレセプションパーティーがありまして、材料を料理教室で作って私達が会場に運ぶ予定だったんです。それでこっちのイケメンがパンを配達に来た時に奥さんが一目惚れしまして、、次の日はもうパーティーが終わってんのにまたパンを頼んだらその日はものすごい大男が来て、次の日にもう一度頼んでこのイケメンが来たら連れてくる様に言われてたんです」

「それで俺を捕まえたのか」

「はい、すみませんでした。実はここの何軒かの空き家は鴨似田が買い取ってマンションにする予定で、その一軒を使ったんです」

「連れてくるなんて簡単に言われたけど凄く難しい様に思えて、それで捕まえて連れていくことにしたんです」

「俺を連れて帰ってどうするつもりだったんだよ」と藤岡が冷静な口調で言った。

「お金でなんとかできると思ったんじゃないでしょうか?」

「そんな訳ないだろう!車もお前達がやったのか?」

「あれは私が裏口から回ってこの建物の裏に隠してあります」ロン毛のほうの男が答えた。

「ちょっと調べればすぐ足がつくだろう!」

「だな、そろそろ警察を呼ぼう」修造も呆れて言った。

修造が電話をしかけた時、なぜか有田が遮った。

「え?」

「あの〜そのレセプションパーティー、私も出ておりまして」

「そうなんですか?」

「はい、うちと取引があるんです。奥さんの鴨似田湘子さんは存じていますがそんな悪い方ではないと思います。警察沙汰になって鴨似田フードに何かあって納品が滞るとうちの会社も他の会社も困るんです。それに大会前にシェフの名前がこんな所で上がるのはどうかと思いますし」

なんと有田は手を合わせて隠蔽を頼んできた。

「仕方ないな、その奥さんを呼べよ。俺が説教してやる!」

「え〜」っと修造以外の全員が言った。

「踵落としは勘弁してくださいよ」

「ガツンと言ってやる!」修造が力強く言った。

ーーーー

鴨似田フードの鴨似田幸代を怒鳴りつけてやると息巻いていた修造だったが、案外だらしないもんだと藤岡は修造を冷たい目で見た。

「あのー奥さん、困りますよこういうの。俺が攫われそうになっちゃうし、仕事にも支障をきたしてますし」

「この度は私の勝手な思い込みによりご迷惑をお掛け致しました」

高級菓子折りを渡されて修造は頭をかきながらつい受け取ってしまった。

「色々誤解があった様で申し訳ございません」幸代はややくねりながら頭を下げた。

「藤岡さんには次のパーティーに花を添えて頂ければと思ってお願いしようと考えておりましたが、この様な事になってしまい申し訳ございません」

「具体的にはどんな事を望んでらっしゃったんですか?」

「次のパーテイーでパンとサンドイッチのコーナーに立って頂ければと考えておりました」

それが本当だとするとお前らどんな受け取り方をしたらこんな事になるんだよ。修造はそんな眼差しを、歩田達に向けた。

「すみません」

2人は小さくなっていた。

「私が悪いんです。2回目と3回目の注文は関係ないのにしましたし、きっと熱が篭ってたんですわ」と言って藤岡を見つめた。

それを見て修造は考えた。

確かに藤岡はイケメンだが再びトラブルになるのは本人も周りも困るよな〜。。そうだ!

「奥さん、こいつめっちゃ頭と足が臭いし性格も悪いし客受けが悪いったらないですよ」と藤岡に指を差して幸代に向かって言った。

「な、、、!」

藤岡は悔しそうに修造を睨みつけた。毎日一緒の職場にいれば修造がこんな事を言うような人間じゃないとわかってはいるが腹が立つ!

「グ〜」藤岡も喉の奥から声を出した.

「ねっ!こんな顔をいつもしてるんです」

「はい」

奥さんの顔から少しずつ血の気が引いてる気がする。

「おっと!俺そろそろ分割の時間なんで帰ります」と言って振り向き「車を出してこい!」と2人を走らせた。

物凄く不機嫌な藤岡はそのまま出て行き、自転車で帰ってしまった。

車を持ってきた2人は修造に言い訳をした。

「確かに奥さんはどうやってもあのイケメンを連れてきて!って言ってたのになあ」

「本当すみませんでした」

「今回は有田さんの手前許してやったけどさぁ。藤岡には2度と迷惑かけないでくれよ」

と言って2人を後始末に戻らせた。

修造はもう一度江川に電話した「ごめん、分割しといて。もうすぐ帰るよ」

と言って有田の方を見た。

「修造シェフ、お怪我なくて良かったです」

「あのぐらい全然平気ですよ。。それより有田さん。なんで藤岡と一緒に入ってきたんですか?」

「はい、実はもう一度話を聞いて頂こうとしてここまで追いかけて来ました。で、藤岡さんと修造シェフを探していました。会社へのメンツもありますが、さっきの鴨似田さん達を見ていて金や力づくでは人の心は動かないと思い直しました」

「すみません、力になれなくて」

「今日はいい勉強になりました。私も応援していますから」と言って青い軽自動車に乗って帰っていった。

ーーーー

パンロンドに戻ると江川が慌てて出てきた「修造さーん!大丈夫なんですか?」

「全部藤岡に聞いた?」

「はい、凄い怖い顔してますけど」

「えっ」

ひょっとしてまだ怒ってるのか?と江川の小さな身体の陰に隠れて藤岡を見た。

「おい修造大変だったな」と声をかけてきた親方の後ろに回り、隠れたまま親方を押して工場の奥へ進んでいく。

すると藤岡が言った「丸見えですよ、何隠れてるんですか!」

「藤岡ごめん、嘘も方便だよ。」ひょっこり顔を出して修造が申し訳なさそうに言った。

「もう良いですよ、あれで事件が解決したんですから」まだまだ悔しそうだったが自分を納得させようとしてるのは分かった。

「クッ」と時どき藤岡の方から聞こえる。

「ねぇ修造さん、藤岡さんがあんなに怖い顔してるのは何故ですか?」江川が藤岡を観察しながら言った。

「えっ?さあなあ」

もう一度掘り返す勇気はない。

修造はとぼけた。

おわり

Annoying People  迷惑な人々

どんな時もパンチと分割の時間は忘れない。

※パンチ  ケースに入れた発酵中の生地をそっと持ち上げ空気をふくませるように折りたたみまた横にしてたたみ休ませ、また蓋をして発酵させる製パンの作業。パンチのやり方は様々だが、こうすることでグルテンが強くなり発酵を促します。

このお話は2022年08月01日(月)にパン屋のグロワールのブログに投稿した物です。

33パン職人の修造 江川と修造シリーズ One after another 江川

パン職人の修造 江川と修造シリーズ One after another 江川

このお話はフイクションです。実在の個人、団体とはなんら関係ありません。

自転車でもなんでもそうだが始め到底無理だと思っていても、練習するうちになんとかなる。そして身につけば後は楽勝。

今日はホルツでの練習の日だ。

鷲羽と園部は大木に必ずここに帰ってくると約束してフランスに旅立った。

今頃は働きながら語学学校に通っている事だろう。

その為練習は修造と江川の2人きり。

江川は修造の立てた「大会前日のプラン」を練習し続けていた。

大会では前日に割り当てられた時間は1時間。

手順を覚えて準備をして、野菜を切り並べる。型に入れてそして、、

「江川バラバラにならない様に丁寧に重ねてね。固さに注意して」

「はい」

時々江川を見ながら修造は細かい柄の精巧なステンシルを彫っていた。

茶色い厚紙に鋭いカッターで彫り進めていく。

少しでも手先が狂うと切れてしまう。

修造は刃先に全神経を集中させていた。

「ふうー!できた」

と言って菊の柄を透かしておかしなところがないかチェックした。

その横では江川は昨日作ったものを型から出して切っていた。

それを大木と修造が試食して「ちょっと緩いかな?」

「もう少ししっかりした感じが欲しい」

とチェックが入った。

「わ、わかりました」

何度練習してもいまいちうまくいかない。

「もっと細かい微調整が必要なんだ」

毎回配合と温度をメモに書き、今日は少し変えてみる。

現場では理想の固さにしないと。

「江川、ミスは許されない」と大木が厳しいことを言ってくる。

「何個か作っていいのを使いましょうよ」

「何個も作れるほど早くできるならそれでもいい」

「え〜」

江川はメモにまだ工程があるのをもう一度確認した。

他にもやる事はある。

ここでつまづく訳にはいかないんだ。

「僕もう一度やってみて良いですか?」

「勿論だ、選考協会から援助が出てるから多少は無理が効く」

それに『あいつ』に前回の領収書を送ったら振り込んできたしな。と、大木は心の中で思った。

「ま、スポンサーもいるしな」

「江川、味の事なんだけど旨みがもう少し欲しいと言うか、もっと和風に近づける味に寄れないか考えてみるよ」

次に修造は蝶の羽の形をダンポールに4種類描きカッターで型通りに切り抜いた。

そして大木に

「これなんですが」

と原案の型を照らし合わせて見せた。

大木は蝶の羽を手に取って観ながら言った。

「ふん、この形なら生地の上に乗せて切り取ればいけるだろう。こりゃ留木さんの出番だな」

修造は江川がコンテストの時に六角形の型を何種類か作ってもらった留木板金の名前が出てテンションが上がった。

「うわ!留木板金!」

「江川、練習を続けといて」

と言って大木は修造と車で出かけた。

車の中で「江川には無理させちゃってます」と胸の内を打ち明けた。

「なんとか乗り越えて貰わんとな」

「まだまだやる事があって」

「登り始めだな」

「はい」

何かを成し遂げるのは大変な事だよ。今やっている事は無駄にはならん。

江川もいつかきっとわかる日が来るだろう。

大木は留木板金の前に車を停め入り口に向かって歩きながら誰に言うともなしに言った。

「投げ出すのが1番の無駄だ」

入り口のドアが開いた。

「どうも大木さん、今度は誰を連れてきたんですか?」

ーーーー

江川が一人で練習していると北山と篠山がこっそり入ってきた。

「江川さん、こんにちは」

「あ、こんにちは」

「ねえ、これって世界大会と関係あるの?」2人は江川の作ってる物を見て言った。

北山と篠山はホルツに練習に来てる間に親しくなった職人で、結構優しくしてくれる人達だ。

二人とも名前に山がつくので江川は心の中で仲良し二人組を『山々コンビ』と呼んでいた。

「ねぇ、私たちもフランスに応援に行くわね」

「えっ!本当?嬉しいな。二人だけで行くんじゃないんだね」

「大木シェフとホルツからは私達、それに業界関係の人や一般の応援の人もいるんじゃない?」

「そうなんだ、なんだか頼りになるなあ」

「それにね、、」

二人は顔を見合わせた。

「鷲羽君も来るわよきっと」

「園部君は良いとして、ねぇ」

ねぇ、の言い方に鷲羽への嫌悪感が露わになっていた。

どうやら会場で会うのも嫌っぽい。

「二人は見てないかもしれないけど、鷲羽君は色々あって変わったみたいだよ」

「え?本当?人ってそんな簡単に変われるものなの?」

「それは、、変わったんじゃ、、ないかな?」

江川はモゴモゴと誤魔化した。

話を変えよう。 

「2人共もうお昼食べた?」

時計は12時を指していた。

「これ食べて! 感想を聞かせてよ」

江川はさっき切ったものを出して皿に入れて渡した。

「わあ綺麗。これ大会と関係あるの?」

「内緒だけどそうなんだ。誰にも言わないでね」

「うん、わかった」

「ヘルシーだし、味はナチュラルで美味しいけどこれをパンにどうやって使うの?」

「それは大会で見てよね」江川はそう言いながら

「少し緩いから調整しなきゃいけないんだ。それに味付けも物足りないかな」

と二人の皿ににもうワンカットずつのせた。

それを食べながら北山は「小耳に挟んだんだけどね、会場って凄く暑いんでしょう?」

「えっ?そうなの?どのぐらい暑いのかな」

江川は手に持ってるものの温度の影響を考えた。

「大丈夫なのかな?」

ーーーー

一方その頃大木と修造は

「腹減ったな。そろそろ昼か」

「そうですね」

留木板金から出てきた時、凄く良い匂いが漂ってきた。

「そう言えばこの近くに人気のうどん屋があるんだよ。行こうか」

「はい」

2人は通りを渡ってうどん屋の前に来た。

清潔感のある老舗っぽい店の入口を開けて「どうぞ」と、大木を先に入らせた。

店内に入ると客でいっぱいだった。

大木と修造は端の空いている席を見つけて座った。

この香りは出汁の香りだ。修造は意識して香りを嗅いでみた。

カツオと昆布、それと何か他にも入ってるかな?そして醤油に味醂に、、

「修造は何にする?俺はざる蕎麦」

「じゃあ素うどんってありますかね?具が無いやつ」

「素うどん?」

と不思議に思いながら大木は「すみません」と手を挙げ店員さんを呼んだ。

やってきたエプロンと三角巾の女性に「ざる蕎麦と天ぷらうどん、あとさ、出汁だけ少し貰えない?味見させてよ」

店員さんは復唱してしばらくして注文通りに持ってきた。

「ありがとうね」

と言って修造に出汁だけ入った丼を渡した「ほら。これだろ」

「すみません」修造は受け取り、濁りのない澄んだ出汁を香りを嗅いだり飲んだりしてみた。

「合わせ出しですね。美味いなあ」

「添加物も使ってないらしいよ、ほら」

なんと壁に配分が書いてある。

当店は同量の鰹、煮干しと利尻昆布で出汁をとっています。

ほんとだ

そうだ

これをベースにすれば添加物なんてなくても和風のうまい味が出せる。

これを江川の作ってる物のに使えば!

移りゆく修造の表情を見ながら大木はふふふと笑った。

「早く食えよ、饂飩が伸びるだろ」

二人が食べ終えた時修造が話しだした。

「俺、もし大会で勝ったら江川に恩返ししようと思うんです」

「もしってなんだよ。勝つんだろ?」

「はい、やるからにはそのつもりですが、、これまでにも大木シェフや鳥井シェフ、親方、うちの義父にも世話になっていて、その分を江川に返して、そしてまた江川が次の世代に何かしてあげれば良いと思ってます」

「自分が受け取った分を江川にしてやる訳だな」

「はい」

ーーーー

ホルツに戻ると江川が待っていた。

「ごめん、大木シェフにお昼をご馳走になったんだ」

「大丈夫です。僕、お腹と胸もいっぱいで」

「さっき北山さんと篠山さんにこれを試食して貰って、その時会場が暑いって聞いたんです」

「え!そうなの?」

「はい、僕心配で」

「暑いって事は味の濃い薄いも気をつけなきゃならない。様子を見て味付けを濃くするかもしれない」

「もし過去に暑かったから逆にクーラーバリバリ効かせてたらどうしますか?」

「その時の為に3つのレシピを用意しておこう。丁度良い標準、若干濃い味、若干薄い味。

江川、まずその丁度良い標準の固さと味を見つけるんだ」

「それと」

「えっ?」

修造は帰りに買ってきた真昆布と鰹といりこを出してきた。

「なんですか?これ」

「美味しい出汁をとる練習をして貰う」

「えー!」

江川は修造の言う通りに合わせ出汁をとる練習を始めた。

昆布は30分は水に漬けとかないといけない。

その間に野菜を用意して型に詰め、次の作業に取り掛かり、そのあと鰹を入れて10分したら濾す。

そして例の液を流し込む。

そして次の作業へ。

江川は額の汗をキッチンペーパーで拭き取りながら、なんか前日準備って僕の想像と全然違うなと思っていた。

「計量したり種を準備すると思ってました」

「江川、それは俺がやるんだ」

「工程表にこんなにびっしり書いてありますよ、こんなに?」

「うん」

「こんなにだ!」

修造は工程表を手に持ち高く上げた。

夕方

練習もそろそろ終わり。

「さて江川、俺は今から寄る所があるんだ」

「え?どこへ行くんですか?僕も連れてって下さいよう」

「一緒に行くのか?」

「はい、片付けるから待って下さいよう」

「本当に良いんだな?」

「え?」

ーーーー

2人は一旦家に帰った。

江川はワクワクしながら修造の言う通り着替えを用意した。

「どこに連れっててくれるのかな」

「歯ブラシやタオルに、ドライヤーとかいるのかな?」

沢山の荷物をリュックに詰めて東南駅に集合した。

電車で2時間半移動してる間、2人とも疲れてい寝ていた。

「江川」

修造が江川を起こした。

「もうすぐ着くんですね?その駅に何があるんですか?」江川が除いた電車の窓の外は真っ暗だ。

「滝だよ。道場の田中師範にいい滝があるって教えて貰ったんだ」

「滝!良いですね。」マイナスイオンをいっぱい浴びるんですね」

その時電車が駅に着いた。

「着いたぞ」

全く聞いた事のない駅に辿り着く。

江川はもう帰る電車は無さそうだから民宿にでも泊まって明日滝に行くのかと思っていた。

「ここどこなんだろう?今日この近くに泊まるんでしょう?」

早歩きで行かないと修造はどんどん歩いていく。

江川が慌ててついて行くと真っ暗な山道に入った。

細い車道を照らす薄い照明だけが頼りだ。

昼間雨が降ったのか、道の脇から伸びた草を踏むと湿った感触がする。

しばらく行くと川の音が近づいてきた。

「滝の音かな」

ドドドっと勢いのある音が遠くに聞こえてくる。

修造は突然ガードレールの切れ目から下に降り出した。

「どこ行くんですか?」

「滝だよ。滑るから気をつけて」

「今から?」

修造はそれ以降何も話さなくなった。

河原に降りて来ると奥の方に滝の音がはっきりと聞こえてくる。

「何するの?」

修造は荷物を置き着替えだした。

「あっ」

ザバザバと音を立てながら滝の方へ降りていくのがうっすら見える。

明かりは上に通っている道路を照らす小さなライトだけだ。

それより木々の後ろに広がる暗がりが怖くて仕方ない。

「ひっ」

身を強張らせて見ていると、道着を着て滝に当たりながら手を合わせてるのが何となくシルエットで分かる。

精神統一していた修造は突然

両手を三角にして前に出してから「はーーーー〜っ」とお腹から息を吐き出して、その三角の手をまた胸元に引き寄せた。

それを何回かやった後

「えーいっっっっ!」っと気合いを入れながら正拳突きを始めた。

夏場とはいえ夜の山の空気は冷たく、水を触ると「冷た」と言うぐらいだ。

昼間降っていた雨のせいか水の勢いがすごい。

ドドドドドドド、、、

あんなに水に当たって首が大丈夫なのかしらと心配していたが、いつまで経っても正拳突きの勢いはおさまる事は無い。

あ、分かった。

千本突きってのをやってるんじゃない?

ひょっとして試合前に気合を入れてるの?じゃなかった大会前に⁉︎

滝の音に打ち勝つようにエイ!とも、せい!とも付かない修造の声が響く。

しばらくして突きがが止まり、もう一度精神統一している様だ。

何?これ

かゆ〜い!

じっと見ていた江川はいつの間にか大量の蚊に刺されて顔も首も腫れまくっていた。

「ヒーっ」と叫んで纏わりつく蚊を避けるために滝に飛び込んだ。

「お、江川もやるのか?お先に」

すっきりした声の修造は爽やかに言った。

おわり

このお話は2022年07月15日(金)にパン屋のグロワールのブログに投稿した物です。

32パン職人の修造 江川と修造シリーズ A fulfilling day 修造

パン職人の修造 江川と修造シリーズ A fulfilling day 修造

「ねぇ?何か変な音が聞こえない?」

機械の故障だろうか?低い擦れる様な音がする。

グーググーグーグー

みたいな?

パンロンドの奥の工場で作業中

江川がキョロキョロしながらカスタードクリームを炊いている藤岡に言った。

「シッ。聞こえますよ本人に」

藤岡がホイッパーから手を放し、そっと指差した音の方を見て江川の大きな丸い目がもっと丸くなった。

修造の鼻歌の音だったのだ。

えっ

修造さんってあんなに歌が、、

音痴というか、この音はどこから?

喉?

肺の奥?

修造はと言えばすごく気分良さそうに謎のドイツ語の歌を歌いながら生地を分割している。

ウキウキして喜びで胸がはち切れそうだった。

修造は2人目の子供が無事産まれて

大地と名づけた。

自分の育った山から見える緑の大地のイメージだそうだ。

「なあ聞いてくれよ江川!ほんとちっちゃくて可愛いんだよ」

「はい」

今日だけでも3回くらい聞いた。

そしてビニールシートに生地を3000グラム測って包み、江川に抱っこさせた。

「産まれた時なんてこんなにちっちゃかったんだ」

「わあ軽〜い」

「それにしても生まれたての赤ちゃんってこんなに軽いんだ、おーよしよし」

杉本があやし始めた。

「生きてるって不思議、こんなに小さく生まれて、どんどん大きくなって、やがて修造さんぐらい大きく成長するんだ」江川が感動して言った。

その時店から奥さんが修造に声をかけた。

「明後日の昼に一升パンの注文が入ったからお願いね。名前は歩と書いてあゆむ君よ」

「わかりました、明後日の昼に」と言って注文書を受け取った。

「一升パンってなんですかあ?」と杉本が聞いた。

「一升パンって一歳のお祝いに子供さんの背中に背負わせて一生食べ物に困らない様にとか健康であります様にと願いを込めるんだ」

「へー」

「元々は一升餅と言って、2キロの餅米をついて作るもので最近はパンでお祝いする様にもなったんだ。だからステンシルで名前とか可愛い模様を彫って生地に乗せて粉をかけて焼くんだ」

「はー」

まずパソコンで文字を書き印刷する(もちろん手描きも)、紙に良い感じに貼りつけたり絵を描く。レイアウトが完成したら文字や絵の残したい部分を切り抜く(直に発酵した生地に直接文字を貼り付けて粉をかけるやり方もあります)生地に乗せてくり抜いた所に粉を振りかける。そのあと落ちる粉に気をつけてそーっと剥がす。それを焼くと焼成後は文字がくっきり出るのです。お願いしたら近所のパン屋さんでもやって貰えるかも。

「俺も大地が一歳になったら凄いのを作るぞ!」

「はい」

拳を高く上げ決意表明をした修造にみなどうぞどうぞのジェスチャーをした。

ーーーー

日曜日の昼

若い夫婦が小さい男の子を抱っこして

パンロンドにやって来た。

「一升パンを受け取りに来ました」

親方が窯の前から「可愛いなあ」と男の子を見て言った。

修造も奥から見ていてニコニコしている。

他のものは子育てに縁のない生活をしてるが、最近の修造を見て良いもんなだなあと思っている。

「あのイカつい修造さんがあんなに笑顔で」

と杉本が言った。

「誰よりも早く帰って赤ちゃんとお風呂に入るのがなによりも楽しいんだって」

「へぇ〜」

ーーーー

さて、その湯船では

修造は大きな手に大地の頭を乗せて親指と小指で耳に水が入らない様に耳たぶのところをそっと抑えて、小さなガーゼで優しく大地の顔を拭きながら「もうちょっと大きくなったらお父さんと空手に行こうな」とか話しかけていた。

「俺がお前を守るからな」

成長する迄危険のない様に、でも色んな体験をさせてやりたいなあ。

「なあ」と気持ちよさそうに身体を湯船に浮かべている大地に言った。

まだまだ睡眠のサイクルが短い大地を抱っこして寝かしつけ、そーっとベビーベッドに運ぶ。

週2回休みがあるし、パン屋は朝は早いがその分帰りも早い。なるべく緑や大地と過ごすことにした。

こんな風に静かな時に修造は度々世界大会のパンの構想を練っていた。

生地の旨味を追求するのはもちろんの事、その他にも考えて実際に作ってみる為のレシピを作ったり、ステンシルの柄を考えたりしなくちゃな。

そんな風に考え

宿題をやってる緑の横で一緒になって紙に書いたりした。

パンデコレのデザインを考えて律子に超小声で「これどう?」と見せた。

「こないだ京都に行ってきて勉強になったんでしょう?」

「そうなんだ、行って良かったよ」

とか話してるうちにパンデコレのデザインに緑が色鉛筆で色を塗り出した。

それを見ながら紫は紫芋やブルーベリー、※青はバタフライピー、赤はラズベリーとかパプリカ、黄色はカボチャやウコン、ベニバナなどと考えていた。

「和装の女性はどう?」

「着物の?」

「そう」

凄い小声で律子と話し合って色々デザインを描いてみた。

うん、だんだん形になってきたな。

「よし!みっちゃん、スーパーに行こうよ」

そろそろ夕方なので修造は晩御飯の材料を買いに行く事にした。

「うん」

緑と手を繋いでスーパーに続く坂を降りながら「お母さんはね、時々お父さんと緑と一緒にドイツに行けば良かったって言ってるのよ」

「えっほんと?」

しかし思い出してみれば、呼び寄せるどころか律子は段々メールの返信もしてくれなくなってたからなあ。

「お母さんも複雑だったんだろうな。。緑!今日お母さんの好きなおかずにしよう!」

修造はスーパーで山賊焼きの材料と生クリーム、無塩バターなどを買った。

山賊焼きは長野県松本市近辺の名物で、ニンニクの効いた醤油ベースのタレに鶏もも肉を漬け込んで丸ごと揚げる旨いやつだ。

「美味しい」

カットした鶏肉を箸で摘んで噛むと、鶏皮のカリッとした美味い食感の後にジュワッとジューシー感、その後にタレの付いた鶏肉の味が広がる。

「だろ?律子!今日デザートもあるからね」

と言ってさっき作っていた牛乳入りのふわふわのパンにミルククリームをたっぷり挟んだ。

「ほら牛乳パン!」

「あ!懐かしい」

律子は大喜びでフワフワの牛乳パンを頬張った。

牛乳パンは戦後長野県周辺に流行したご当地パンで、いわゆるバタークリームがサンドしてある。生地もバタークリームも店によって様々。パン屋によっては可愛い袋に入れて販売しているので、デザインの違いも楽しい。

今日は生クリームが多めのクリームをつくって食感を軽くした。

「美味しいねお母さん。もうちょっと大きくなったら大地ちゃんも食べれるね」

「そうね」

授乳中の律子はそこそこ食欲もあり、それが大地の為にもなる。

いつもなら「したり顔」をするのだが、そんな顔してる所を奥さんに見つかったら叱られる。修造は密かにニヤッとした。

「ねえ、今度の日曜日お父さんとお母さんが来るの」

「え」

修造はギクッとした。

律子の父親高梨巌はその字の通り案外厳しい。

ーーー

さて、日曜日

修造はその日仕事だった。

巌と容子は長野からやってきて、可愛い孫の所に直行した。

「いらっしゃい。おじいちゃん、おばあちゃん」

「みっちゃん、久しぶりだね。会いたかったよ」

早速可愛い孫の緑に巌がデレデレし出した。

「大地ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんがきましたよ〜」

緑は小さなお母さんの様に大地を抱っこして巌に渡した。

「わあ〜また大きくなったね」

巌は早速容子と代わる代わるで大地を抱っこした。

「あいつはどうした?今日は仕事なのか?」

「お父さん。あいつなんて呼ばないで!名前で呼んでよ」

と律子に叱られた。

「ええ?」

実は巌はまだ修造を名前で呼んだ事がない。

「おい」

とか

「こっちだ」とか

「あっちだ」とか

おおよそ会話とは言えない。

しかし一度は心が通い合ったことがある。

大地が生まれる知らせを初めて律子から聞かされたその時、2人は確かに心が通い、微笑みあったのだ。

とそこへ緑が話しかけてきた。

「お父さんはお仕事よ。ねぇ、おじいちゃん。一緒にパンロンドまでお散歩に行こうよ」

「お散歩かい?みっちゃん案内してくれる?」

可愛い孫と歩けるので喜んで出かけたが、修造の所に向かって歩いて行ってるだけなので行き先に何の興味もない。

2人で楽しく話をしながら歩いて東南商店街まで来た。

「ここら辺は変わらないなあ」そう言って和やかな昼間の商店街を歩いていると

「おや」

何故あそこだけ賑わってるのかとふと見てみた。

人が出入りを続けているお店がある。

「あのパン屋だ」

店の手前にあるガラスから見えるものは?

こりゃなんだ?

パンロンドの外から巌は店内に置いてあるものを見た。

「おじいちゃん、これ、お父さんが作ったのよ。小さいのは江川さん」

え!

これ手作りなのか?

「パン?」

パンでできてるのか?

これをあいつが?

修造のパンデコレをじっと見てると柚木の奥さんが気がついて店内から出てきた。

「いらっしゃい、緑ちゃんとおじいちゃま」

「どうもご無沙汰しております」

修造がドイツに行ってる間、律子は緑を育てながらパンロンドで職人として働いていた期間がある。その時は巌も度々パンロンドを訪れていた。

「ちょっと待っててね」奥さんが店内に入って行った。

するとすぐコックコートにコック帽姿の修造が走って出てきた。

「お、お義父さん。。こんにちは」

「お父さん、おじいちゃんと散歩してきたのよ」

「そうなんだ。どうぞ店内へ。パンを見て行って下さい」

「うん」

巌はいい香りの店内に入った。

なんか並んでるパンが変わったな。

巌が店内を見回した。

「先日改装したんですよ」と奥さんが説明した。

ここは前なかったパンが並んでる。

「この棚は修造さんのドイツパンコーナーなんです」

なんだか誇らしげに奥さんに言われる。

高校を卒業してすぐパンロンドで働き、その後メキメキ頭角を表した修造をとても大切にしているのがよく分かる。

修行に行ってこれを造ったんだな。

「どうもみっちゃんのおじいちゃん」

「あ、親方。その節は娘がお世話になりました」

2人は売り場の棚を見ながら話した。

「うちのパンも変わりました。なんというか修造が運んできた空気がうちをそうさせるんです。前向きにと言うか、いい方向に流れていますよ」

「へぇ」

「もうすぐ大会がある。フランスでの試合があります。誰でも出られるってもんじゃない」

巌は親方の真剣な顔つきをじっと見ていた。

「色んな事のちょっとずつがあいつの時間を奪ってる気がします。大会前は修造にはガッチリ修行に行かせるつもりです」

巌は修造のパンを沢山買って店を出た。

確かに親方の言う通りだ。

生半可な事をしていては

頂点は目指せないだろう。

山の上に立てるものも立てなくなるのか。

帰ると容子と律子が食事の用意をしていた。

「おかえりなさい」

「ただいまお母さん。パン買ってきたよ」

「沢山おまけして貰ったね、みっちゃん」

「うん」

しばらくして修造が帰って来た。

「先程は」

修造は巌にペコっと頭を下げた。

「うん」巌は一言だけ返した。

「修造おかえり。先にお風呂に入ってきて」

「うん、身体を洗ったら呼ぶから大地を連れてきて」

「はーい」

そんな会話を聞いていた巌は大地を抱っこして「お父さんとお風呂に入ってるんだな」と大地に話しかけた。

「可愛いなあ大地ちゃんは」

目を細めて大地を見つめながら「こんな可愛い子供たちなんだ。みんなで守っていかないといけないね」と言った。

その時「大地を連れてきてー」と声がしたので風呂場に連れて行く。

「わっ!お義父さん、すみません」と言って大地とお風呂に戻った筋肉質の修造を見て「あいついい男だなあ」と緑の宿題を見ている律子に言った。

「嫌だお父さんったら何言ってんの?」

「ふん」

「ふんって何よ褒めたくせに」

「フフン」

夕食の時、巌は白胡麻のカイザーゼンメルにハムと信州から持ってきた野菜を挟んで食べてみた。

うーん美味いなあ。

サクッと香ばしいパンだわい。

こっちの黒パンはどんな味なんだ?

うん、酸味があって滋味に溢れている。

こないだのクロワッサンも美味かったがこれもこれも美味い。

巌はパンを噛み締めた。

緑が寝る前に容子が本を読んでやっていた。

律子が風呂に入ってる間に、巌は大地を抱っこして寝かしつけている修造に話しだした。

「修造君、ワシは今日お前の造ったパンを見てきたよ」

「はい」

「親方も言っていた。フランスの大会には誰でも出られるもんじゃないってな。もうすぐ夏休みだ。ひと夏長野で私達大人が子育てをちゃんとするからお前はパンの練習をしなさい」

「えっ?」

突然の巌の申し出に驚いた。

妻子を取り上げられるのかと思ったがどうやら違う。

巌はなんだか凄そうな大会の特訓をするべきだと考えていた。

「人生にチャンスは何度もない。一つの事に集中しなさい」

「お義父さん」

今の生活はハリがありとても楽しいが、確かに一抹の不安はある。

身体が2つあったらいいかもしれないが、、

「わかったな」

「はい、律子と話し合ってみます」

ーーーー

巌達が長野に帰った日、修造は律子に巌の申し出の事を話した。

「そうよね、お父さんの言う通りがも」

律子は父親がそんな事を考えていたのかと驚いた。

「私達、夏休みになったら長野に行くわ。その間ホルツで練習させて貰ってね」

「ごめんね律子」

修造

本当は一緒にいたい。

でもいつか私達パン屋さんをするんだもの。その時は毎日一日中一緒に過ごすわ。

「大地、緑、みんなでお父さんを応援しようね」

修造が家族と離れ、1人で修行を始めてまもなく

ベッカライボーゲルネストの鳥井シェフが修造と江川を呼び出した。

3人は鳥井の知り合いの経営するビストロムラタに来ていた。

「僕、フランス料理とか初めてです。緊張するな」

「ビストロは気楽に楽しめる所だよ。ここの料理は美味いから食べさせたいと思ってね」

鳥井は予めオススメコースを予約していた。

オードブルが運ばれてきた。

「わーオシャレ!」

江川は大きなお皿に並んだ色とりどりの前菜に感動した。

シックな調度の店内で少し薄暗い空間に、料理の部分だけLEDのスポットライトが当たって綺麗。

どれも手が混んでいてひとつひとつの形や味に理由がある。

「うわ〜美味しい」

スープとパンの後メインの鴨肉は村田シェフが運んできた。

「どうも鳥井さん」

「今日はお願いします」

江川と修造には1人2枚づつ皿がある

「これは?」

「2つとも食べ比べてみなさい」

江川はひと皿目の鴨肉をカットして口に入れた。

うわ、ちょっと油っぽいかな?

名店なのに後口に臭みが残ってる、なんか古いものを出されてるのかなって思っちゃう。

江川は修造の方を見た、口には出さないが江川と同じような顔をしている。

もうふた皿目も同じように食べてみる。

「あ、美味しい。同じ料理なのにこんなに違うなんて驚きだ」

「やわらかくて甘味もある。どうしてこんなに違うの?」

2人は顔を見合わせた。美味しい物を食べた時の顔をしている。

村田が説明した「ひと皿目は脂をいい加減にとって高温で調理しているので鉄分の匂いが残るし肉が硬くなる。ふた皿目は鴨肉の下拵えがきちんとしてあります。すばやく室温に戻してドリップをきちんと取ったり、ナイフで余分な脂を丁寧に取ったり、冷蔵庫で脂をしめたり、低温調理したりと各工程で基本がきちんとしてる方は味が整っているんです」

「そうなんだ、こんなに味が違うんですね。僕知りませんでした」

鳥井も2人に説明した「例えば肉の下拵えは前の日にやるのかやらずに始めるのかで随分違ってくる。勿論パン作りも同じだ。会場では沢山のことを忘れずにやらなきゃならん。初段階のうちにタルティーヌの具材の下拵えをしておきなさい。修造はサワードウに何が合うのか考えておきなさい」

「はい、素材の下処理一つでもそれぞれ理由があり、キチンと準備することで味が調和し美味さを整えられるんですね」

食べるのは美食家の審査員ばかりだ。工程のどの部分にも油断はならない。鳥井が言いたかったのはそこなんだろう。

デザートの前に口直しのフロマージュが運ばれてきた。

コンテチーズ、ロックフオール、カマンベール・ド・ノルマンデイーの次に

燻製のチーズを食べた時口の中にスッと風味が通り抜ける。

「美味い」

他のチーズと違う

「うちで燻製にしてるんですよ」と村田が説明した。

「美味いものを記憶に刻みなさい。もっと自分の可能性を高めるんだ」

鳥井はそう言って、次に食材の豊富な輸入専門店に連れて行った。

「世の中には沢山の食材がある。それらの味をなるべく沢山覚えておくんだ。自分の中に味の引き出しを沢山持て。何と何を合わせると何に合うのか、いくらでも計算出来るようになるんだ」

そう言いながら鳥井はカゴの中に商品を選らんで入れていった。

修造は、その様子を見ながら鳥井の言う『前日準備の重要性』について覚悟した。前の日の下拵えと種の準備、当日の段取りが勝利の8割だ。後の2割はいかに失敗なく他にない自己表現をするか。

「前の日の1時間にどれだけできるか何度も練習をしておけよ」

そう言って鳥井は袋いっぱいのおすすめ食材や香辛料を渡してきた。

「応援してるぞ修造」

「ありがとうございます」

「江川もな」

「はい、今日はご馳走様でした。僕勉強になりました」

鳥井は2人に目で合図して去っていった。

「渋いなあ。かっこいい」江川は受け取った袋を両手にぶら下げ、へ〜っと首を横に傾げながら鳥井の背中を見送ってそう言った。

ーーーー

そのまま2人は修造のアパートの部屋に移動した。

鳥井に貰った物を全部開けて順番に味見してメモに書いていく。

「あのチーズの味。あれは美味かったな」

「美味しかったですね」

「うん、あれをタルテイーヌに使えなかったとしても何か他の事に使いたいな」

タルテイーヌにパテドカンパーニュを使いたい。しかしあれは完成までに3日かかるから無理だ。鳥井シェフの言うとおり、基本に忠実にしなければ上手くいかないだろうな。

そうだ!

修造は何かを閃めいてそれを紙に書いてみた。

「江川」

「はいなんですか」

江川は修造を観察していて何かを思い付いたのに気がついていた。

修造はニヤリと笑いながら言った。

「明日からこれを練習して貰う」

紙を受け取り「えっつ」と声を上げた。

「大会前日の1時間にやって貰う」

「僕やったことありません」

江川の顔が引き攣った。

おわり

A fulfilling day  充実した日々

修造が江川に課した大会前日にやる事とはなんなのか?

修造はまだまだやる事が多いようです。

#バタフライピーとは  マメ科の植物、チョウ豆(蝶豆)の事。ハーブ。生地に青い色を着けられる。ハーブテイーとしても楽しめる。レモンやライムを垂らすと紫に変色する。

このお話は2022年07月06日(水)にパン屋のグロワールのブログに投稿した

31パン職人の修造 江川と修造シリーズ Genius杉本 リングナンバー7 後編

パン職人の修造 江川と修造シリーズ Genius杉本 リングナンバー7 後編

前編のあらすじ

パンロンドで働く杉本龍樹は書くとなんでも覚えられる特技を他の職人に発見される。交際中の森谷風花にもスキルアップを進められるが勉強なんて大嫌い。社員旅行で京都に来たパンロンド一行。2日目はどうなる?

京都旅行2日目の朝

「なあ、昨日夜指輪買いに行くって言ってたろ?早く寝たじゃん」と同室の藤岡が聞いてきた。

「え、風花が俺に試験の事を言い出して、、」

「逃げたな?受ければ良いじゃん」

「嫌ですよ勉強なんて」

「風花はお前のために言ってんだろ」

そこに別室の江川が部屋をノックしてきた。

「朝ごはんに行きますよ〜」

「江川さん朝から元気ですね」

「うん。今日時代村に行った後、修造さんとパン屋さん巡りするんだ」

「昨日も行ったじゃないですか。好きだなあ」

「パン屋さんが沢山あり過ぎて昨日随分計画を練ったんだ。バスや電車の乗り継ぎも色々あって」

「俺も行きますよ、杉本は風花と用があるらしいから」

「そうなの?じゃあ一緒に行こうね藤岡君」

「はい」

ーーー

時代村では親方がみんなの為に計画を練っていた。

入り口の所にある大きな土産物屋の奥に、お江戸の館があり、全員を連れて行った。そこでは好きな着物を選んで時代劇気分を味わえる。

「みんな好きな衣装を選んで!記念撮影もしよう」

風花は町娘の衣装を選んで、江川は衣裳の1番派手な振袖若衆を、藤岡は新撰組隊士、など其々好きな衣装を選んでいた。

「修造さんは?」

「俺は良いよ」

江川は恥ずかしがる修造を奥に連れて行き、スタッフの人に「すみません、この人にも似合うのをお願いします」と引き渡した。

「どれにします?」

「じゃあ、、、この1番地味なのを、、、」

全員が着替えて写真撮影の後、修造は着物の柄をシゲシケ見ていた。

「ちょっと!風花をジロジロ見過ぎですよ」

「え?違うんだよ杉本。俺はただ日本の文化を学ぼうと思って」

「えー?本当ですかあ?」

「ほ、本当だよ」

修造は忍者の扮装の唯一見える目の周りが真っ赤になって走っていった。

「あれ?修造さんどこ行ったの?」

「忍者はあっちに行きましたよ」

「探してくる」

と言って派手な江川侍も走って行った。

杉本は、新撰組の格好で爽やかに決まっている藤岡を見てにやにやしながら「お化け屋敷行きましょうよ~藤岡さ~ん」と背中を押して言った。

「えー!お化け屋敷!」

聞いただけで足がすくんで背中がゾワゾワした藤岡は「キャーっ」と叫んで走って行った。

「ちょ、みんなどこ行ったのよ?」みんな走って行ったので風花が驚いて言った。

「そのうち合うかも」

「そうね。私達も行きましょ。ねえ、お芝居見に行きたい」

2人は町娘と侍の格好で江戸時代調の建物の中を歩き、芝居小屋を探した。

「あ、あれ」

「うん」

芝居小屋の建物の前に忍者と芸者の格好をした人がいて、呼び込みをしている。

「もうすぐ始まるから入ってって下さい」

中に入ると薄暗い中、みんなそこに座っている。

「あ、杉本君こっちこっち」

江川が手招きした。

お芝居は抜け忍が悪と戦うストーリーで、音とか光とかで演出されている。

「殺陣がすげえ」

杉本はみんなの後ろに座りながら全員の背中を見て「ほのぼのしてあったけえ人達だな。うちのオカンとオトンの言う通りパンロンドに入って良かったよ。それに、、、杉本は横に座ってお芝居を見ている風花の横顔を見た。

町娘の格好も可愛い。

杉本はキュンとした。

修造さんは良い先輩だけど風花は譲れません。

と、勝手にまだ誤解して思っていた。

よし!今日こそ指輪を買いに行くぞ。

ーーー

時代村を出て自由時間になった。

「夜までには昨日のホテルに戻ってきてね」と奥さんがみんなに言った。

「はーい」

杉本と風花は四条大宮駅まで移動した。

ここから河原町までの間に探すつもりだったのだ。

こうなりゃ雑貨屋でも百貨店でも良いから指輪売ってるところを探すぞ。

色んな店に風花が入りたがって指輪の店には中々入れなかったが、それはそれで楽しい。

錦市場で食べ歩きを楽しんだりお土産を買ったり、細い路地に迷い込んで、こんな所にこんな店があるんだねとか、あちこち見て時間の経つのは早い。

「楽しいわあ。旅行に来れて良かったね」

「うん、風花そろそろ指輪見に行こうよ。俺サイズ分からないから」

「それは昨日言ったじゃない?合格したらね」

「なんでそうなるの?なんでみんな俺に勉強させたがるの?俺は遅刻も欠勤もしないで仕事してるのにまだ不満?」

不満と言われて風花も言った。

「不満じゃないわよ。でもやればできるのにそんなにやる気ないのって不思議なだけ」

「だから真面目にやろうとしてるでしょうが?」

「そうじゃないんだってば!ひょっとして磨けばもっと光るのに自ら曇らせてる気がして勿体ないの!」

「俺は修造さんみたいにガチ勢になるのはカッコ悪りぃんだよ」

「なにそれ!どこがカッコ悪いのよ!めちゃくちゃカッコいいじゃない!」

2人は寺町通りの通行人が大勢いる中でどんどん声が大きくなっていった。

風花は売り言葉に買い言葉で、とうとう修造がカッコいいと言い出した。

「俺はただのプレゼントで指輪を渡したいだけじゃないのに!」嫉妬も相まって、普段は絶対怒らない、どちらかと言えば温厚な態度の杉本が語気をちょっとだけ強めてしまった。

風花はその事がショックで「龍樹のバカ!」と言って来た方と反対の、河原町の方に走り出した。

「待ってくれよ!危ねぇって」

人混みの中をうまく避けて風花はどんどん見えなくなっていく。

杉本も瞬発力と動体視力を駆使して人混みを避けて走って行った。

四条河原町の大通りを越えて行く時、ここどこなんだと全く土地勘のないまま心配になる。

そのうち橋が見えて来た。

「風花!」

杉本は段々距離が縮まって来た。

四条大橋の手前で信号を渡り、風花はこのままでは追いつかれると思ったのか急に左に折れて鴨川の方へ降りて行った。

「えっ」

川に向かう階段からピョンと飛んで風花に追いついた。

2人はハアハアと息が上がり話せないまま河原に座った。

辺りは段々暗くなり、川の脇の小道にはカップルがどこからともなくやってきて等間隔に距離をあけて座って何か楽しげに囁いている。

杉本は風花が逃げられないように手を繋いだ。

「ごめん」

風花は下を向いて言った。

「何が腹立ったの?」

「修造さんがカッコいいって言うから」

杉本は正直に言った。

「あの人の事は最近怖いのが少しマシになった程度よ。カッコいいって言ったのはパン作りに対する姿勢の事じゃない」

そうだったのか、、ちょっとホッとしたりして。

それにあんな愛妻家見たことねえもんな。修造さんごめんなさい。

「俺風花が誰かに取られたらどうしようって心配だったんだ」

「私は物じゃないのよ取られるって何よ。私の事信用してないの?」

風花の声は等間隔に並ぶ二人組の遠くまで響いた。

揉めてるの?揉めてはるね。

などと聞こえる。

サワサワと流れる鴨川の音以外には囁きしか聞こえない。

辺りは暗く薄明かりに人のシルエットだけが見える。

杉本は小声で言った。

「風花、パンロンドに入って途中からは俺なりにパン作りを教わった通りにやってきたつもりだよ。俺、まだまだ頼りないけど進歩してるつもり」

「知ってるわ。龍樹は頑張ってる。いつもそばで見てるもの」

「だろ?だから俺はこのままで進んで行っていいと思ってる」

「でもね」

と風花は言い出した。

「何故」

「え」

「そんなに勉強を嫌がるの?書いたら覚えられるなら書いたら良いんじゃない?」

「風花、俺は生涯机に座っての勉強はしないと決めてるんだ」

「大人になっても勉強は続くんじゃない?」

「普通に仕事してるのが俺の勉強だよ。それこそガチ勢の先輩もいるし」

「そりゃそうだけど。何故嫌がるの?」

堂々巡りの会話に気がつきもうやめようと思った時「答えて」と言われて杉本の何かがプチっと音がした。

「しつけえな。絶対やらないから。めんどくせえし眠くなるし」

「そう、わかった」

風花はそう言って立ち上がり、さっき降りた階段を登って泊まるホテルのある四条大宮に向かって歩き出した。

杉本は離れて歩き、風花を見守りながら「もうダメかもな」と呟いた。

ロビーでは修造、江川、藤岡が今日行ったパン屋の話をしている最中だった。

店舗の様子や各店の特徴や売れ筋、シェフの事など。

入ってきた杉本を見て江川が声をかけた「おかえり杉本君、さっき風花ちゃんは上がって行ったよ?」

「そうなんですよ。俺、疲れたんでもう寝ますね。お休みなさい」と言ってエレベーターに乗った。

お風呂に入ってベッドに横になったが全く眠れない。

戻ってきた同室の藤岡が「喧嘩でもしたの?」と聞いてきた。

「風花とはもうダメかもしれません。俺、なんでこんなに勉強が嫌なのか過去を振り返ってました。覚えてないけど何かあったんだろうな」

「トラウマとか?」

「そうかな。勉強の2文字が働いてからもついて回るんだって驚いてます」

「一生勉強だろ。ただ風花の言う勉強はまた違うよね」

「どっちでも俺の嫌いな言葉に変わりありません」

ーーー

「なあオカン」

「ん?」

「俺、いつから勉強嫌いになったっけ?なんでかな」

旅行から帰ってしばらく風花と業務上の最小限の事しか話さず、みんなもなるべく気にしないようにしていた。

ある時帰ってから台所に座って夕食後、洗い物をする母親に聞いた。

恵美子はエプロンで手を拭きながら息子に向き直った。

「あんたは小さい時、神童って呼ばれてたのよ,物覚えが早くて誰よりもやる気あった。そんな時、2階にあった教室から飛び降りて両足首を骨折してね、しばらく休んでから一切勉強しなくなってたわ」

「そんな小さい時に?」

あ、そう言えば俺、小さい時入院してたわ。

その後学校に行ったら、勉強が進んでて浦島太郎みたいになんか色々ガラリと変わってて、1番だった俺が1番ダメになってたんだっけ。

小さい俺はいじけて勉強におさらばしたんだっけ?

つまんねえ理由だな。

大体低学年だったんだからすぐ取り返せたのに、本当にやらなくなって、他との差がどんどん開いていったんだ。

それから荒んでいったんだったな。

やりゃあ良かったな。

今からでも遅くねえってか。

磨けばもっと光るのに自ら曇らせてる気がして勿体ないの!

って言われたな。

もう遅いけど。

マジなバカだな俺は。

——

次の日パンロンドで

藤岡と杉本はバゲットを成形しだした。

細く折りたたんだ生地を伸ばしながら

藤岡は言った。

「お前のスティタスを上げることの方が貴金属より上なんだね」

「なんで俺に資格を取らせたいんですかね」

相変わらず勘が鈍いな、、、

「お前の格を上げたいのさ

愛が故に」

「愛!」

愛か

パッと店の方を見た。

すると杉本の方を見ていた風花と目があった瞬間風花が目を逸らした。

風花

いつも俺のことを1番に考えてくれてる人。

俺が意地になって大切な事を逃したんだ。

「お前には勿体ないのかもね。誰も何も言ってくれなくなって、そのままで良いの?」

うーんそれは、、

杉本は頭を抱えた。

発酵した生地が入った箱を渡しながら修造が言った。

「なあ、勉強じゃなくて知識を身につけるって考えてみたら?※パン屋で2年働いたら2級が受けられるんだ。その5年後に1級、その7年後に特級の試験が受けられるんだよ。先に2級を受けて合格したら自信がついて先に進みたくなるもんだって」

「そうですよね、修造さん、俺も一緒に受けようかな。目標ができますし」

「え?藤岡さんも?」

「とりあえず2人で2級の試験を受けてみようよ杉本。俺達もうすぐパンロンドで働き始めて2年経つじゃん。だから受験資格はあるし」

「はあ」

「勉強は自分の為にやるものだ。書いて書いて書きまくれ!知識をどんどん上書きして行くんだ」修造が力強く言った。

試験の内容は実技試験と筆記試験の両方。

筆記は65点以上あると合格。

実技は食パンを3本作る。その際に中力粉と強力粉を当てなければいけない。

実技試験と学科試験は違う日にある。

学科試験は試験日は決められてるが、実技は2ヶ月間のうちのどれか。

杉本はとうとう藤岡と一緒に申し込みをした。

色々もう遅いかもしれないけど

俺やらなきゃ

自分の為に

毎日実技を意識して

山食パンを仕込んだ。

修造に色々教えてもらい説明を聞く。

ガチ先輩

確かにカッコいいぜ

その時店から風花は杉本を見ていた。

毎日

藤岡が風花に話しかけた。

やっとやる気になったみたいだよ。

来月の11日に試験があるって。

俺達受けてくるよ。

試験は昼前に終わるからね。

ーーー

とうとう学科試験の時が来た。

試験は4択、50問で時間は1時間40分だ。

同じ教室の斜め前に座ってる藤岡はスラスラ書いてるように見える。

杉本も今迄書いてきた全ての問題を暗記してきた。

それに実際にやってみて覚えた事もある。

手応えを感じて試験が終わったが、まだ合格の2文字を見るまではわからない。

藤岡と2人で答え合わせをしながら階段を降りて行く。

「あ、風花」

杉本は校門の前に立っている風花を見つけた。

「お疲れ様」

「まだ合格したかわからないけど、結構早く発表あるみたい」

「うん」

「腹減ったなあ。なんか食べて帰ろうよ」

「あ、俺寄りたいパン屋があるから。じゃあまた明日」

「お疲れ様です」

歩き出した藤岡はちょっとだけ振り向いて2人を見た。

「全然元通りじゃん」

2人は駅の辺りのカフェを探しながら歩いて行った。

「来週実技試験があるんだって」

「そう、頑張ってね」

「うん」

2人は探り探り会話をしながら

少しずつ距離を縮めていった。

「こうやって歩くのも久しぶりだね」

「そうだね」

あのね

毎日お店から

龍樹を見てたわ

一生懸命な姿

私、好きが止まらなかったの。

「実技試験頑張ってね」

うん

「合格したら約束守ってもらうぞ」

「はい」

風花は

マジックを出して

杉本の手の甲に7と書いた。

あ!

これ!

おわり

※お話の中では技術士と書きましたが

製パン製造技能士 という試験が実在します。

特級、1級、2級があります。

パン製造技能士とは パンづくりの実務経験者を対象として、製パン工程における技能を認定する国家資格

(資格の王道より引用)

https://www.shikakude.com/sikakupaje/panseizo.html

過去問 試験問題コピー申込書

https://www.kan-nokaikyo.or.jp/doc/copy-service0601.doc

技能検定試験問題公開サイト

3級と2級の実技の問題が載っています。

https://www.kentei.javada.or.jp/list02.html?v1=%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B4%E5%BA%A6&v2=%E9%9A%8F%E6%99%82&v3=F58&v4=%E3%83%91%E3%83%B3%E8%A3%BD%E9%80%A0%EF%BC%88%E3%83%91%E3%83%B3%E8%A3%BD%E9%80%A0%E4%BD%9C%E6%A5%AD%EF%BC%

テキストが販売してないとよく書いてありますが、私はモバックショーの仮設の本屋さんで書いました。

あとはネットでラクマなどで売りに出されるのを見ました。

この作品は2022年06月15日(水)にパン屋のグリワールのブログに投稿した物です。

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