パン職人の修造 江川と修造シリーズ Mountain View
※このお話はフイクションです、実在する人物、団体とは何ら関係ありません。

「修造、用意はできたの?」選考会の前々日親方が聞いて来た。
「はい、大体は。実は荷物は送ろうと思ってましたが意外と多くて、俺と江川、鷲羽と園部の二手に分かれて車で行くことにしました。これから江川とホルツに行って自分で持っていく荷物を再点検して準備して出発します」
「そうか、大荷物だな。俺達応援に行けないけど頑張ってくれよな。心の中でずっと応援してるからな」
「はい、勝手ばかりさせてもらってすみません。俺、親方の好意に必ず応えてみせます」
「修造!」
「親方!」
2人は親指を上にして掌をガシッと合わせた。

なんだか少年漫画の様なシーンを見て江川の大きな瞳がウルウルしていた。
「修造さん、江川さん、俺も応援してますね」藤岡も2人に握手を求めて来た。
「俺もっす!」杉本も勢いよく言ってきた。
「ありがとう」
修造の瞳にも水分が滲み出る。
「おい、江川」
「はい親方」
「皆、江川が修造の助手と自分のコンテストの2つに挑戦する事を心配してるよ。今となっちゃ後には引けねぇ!精一杯やってこい」
「はい、ぼく頑張ります」
「よし!」
親方は江川の二の腕を挟んでヒョイと持ち上げトン!と降ろした。
ーーーー
関西への車の中で
東名自動車道に入って車を走らせながら
「親方って僕のこと子供みたいに扱いますよね」とこぼした。
「可愛いって思ってるんだろ。親方なりの愛情表現だよ」
「そうなんですかねぇ?修造さん、2時間毎に交代だから休んでて下さいね。途中パーキングで休憩しますね」
「はいよ」というが早いか修造は目を瞑り、だんだん寝息を立て出した。どこででも眠れる人は羨ましいと思いながら江川は修造のイビキを聞いていた。
大切なものを乗せてるのだから、安全運転を心がけながら江川は修造のコンテストと自分のコンテスト両方のタイムスケジュールを思い出していた。
早朝6時から始まり、仕込み、一次発酵、分割、ベンチタイム、成形、二次発酵、焼成、陳列の全ての工程を生地ごとに行うのでずらして上手くできるようによくよく考えてやらないといけない。中にはクロワッサンの生地にバターを挟むロールインとか、タルティーヌに具をのせるなどの工程もある。
その後はパンデコレの組み立てだ。
落ち着いてやる、例えミスしてもそんな事ありませんと言う顔をするかも知れない。
「とにかく修造さんの足を引っ張らない事だ」江川は修造の寝顔をチラッと見て1人宣言した。

そうこうしてるうちに江川は左の道に逸れて、車は山々に囲まれた東名高速道路 静岡県 EXPASA足柄に着いた。
「修造さん、休憩しましょう」
「んあ?よく寝たな」
「富士山だ」
「きれいだな」
名物の桜海老としらすの乗ったわっぱめしをフードコートに持って行って食べた後、富士ミルクランドのカップ入りのジェラートを買って外のベンチに座る。
2人にとって久しぶりにのんびりした瞬間だった。
天気はよく、駐車場と雑木林の向こうに富士山が綺麗に見える。
「僕、神奈川より西に来たの初めてです」
「江川、日本の山って言うとまず富士山を思い浮かべるだろ?」
「はい」
「九州の真ん中にでかい火山があってその周りを外輪山ってものが取り囲んでるんだ。その火山と外輪山の間には普通に鉄道や国道が走っていて町があったり畑や田園があって人々が暮らしてる。で、それを取り囲む外輪山の上を車で一周してるとあまりのデカさに自分は山の上じゃなくて普通の地面を走ってると錯覚する程なんだ。時々崖の上から下が見えて、こんな高い所を走ってたのかって気がつく」
「えーすごいスケール。富士山とはまた違った自然の造った形なんですね」
「俺の実家はその外輪山のまた遥か遠くの山の上なんだ」
「へぇー」
「俺は大会が終わったらそこで俺のベッカライを作ろうと思う」
「えっ、じゃ僕もパンロンドを辞めてそこで働きますね」
「えっ?」
「えっ?」
この話はこの場では終わったが
修造は心の中で
そうか
と思っていた。

その時
遠くからおーいと声がする。
「鷲羽と園部の2人もここで休憩をしてたんだ」
2人は休憩が終わったのか車に乗り込もうとしてたところだった。
手を振っている2人はなんだか青春ぽくて楽しそうだった。
「あの2人は仲が良いんだな」
「園部君ってよく鷲羽君と一緒にいてますね。僕なら無理だな」
「相性ってものもあるんじゃない?ずっといても苦にならない相手とか」
「それだと僕と修造さんもですよね」
「だな」
空は徐々にだが色が変わりはじめ、富士山を赤く染め始めた。
「さ、行こうか江川。俺が運転するよ」
「はい」
ーーーーー
関西に夜着いた4人は会場から電車で2駅程行った安い中華屋で合流した。
流行りの店らしく人でぎゅうぎゅうだった。
皆オススメの満腹セットを頼んで一息ついた。
好きなスープが選べるラーメンに半チャーハン、小さな卵焼きと唐揚げ2つ、酢豚が少しずつ付いている。
「明日午前中材料の買い忘れがないかチェックして、搬入と前日準備したら場内を探検しよう。会場の中は関係者や業者で一杯だろうな。夕方は前日準備が始まるから抜かりない様に」
それを聞いて江川は思い出した。
「僕、パン王座の時の搬入で失敗してました。わたあめの機械がオブジェの木の高いところに引っかかっていたのに気が付かなくて下ばかり探していて、背の高いBBベーグルの人に見つけて貰ったんです」
「あの時は焦ったけど、相手のシェフもトラブルがあったみたいだし、やってみないと何が起こるかわからないもんな」
鷲羽はチャーハンをモグモグ食べながら自信満々で「俺は江川と違って大丈夫です」と言った。
「何その自信!信じられない」と江川は頭にきた様だったが園部の表情は普段からあまり動かないのでよくわからない。
宿泊先は会場の近くのビジネスホテルで、狭い部屋の窓から遠くに大阪湾が見えた。
海は黒く湾岸を照らす灯りがどこまでも続いている。
次の日
修造達は会場に車を付けて荷物を運び込んだ。駐車場は搬入の車でごった返していて殆どが機械や什器備品を積んだトラックだった。
自分達が使うブースを教えてもらい荷物を置いていると、大木がやってきて「今から選考会全体の挨拶があるから」と皆に声を掛けて集めて行った。
会を牛耳るメンバーは皆とてもキャリアの豊富な凄腕のシェフばかりでそれを見ていて修造は興奮してきた。「凄い」そして心の中であのシェフはあの店の誰々とか一人一人見ていった。
大木の横にいた鳥井は佐久間を探して小声で聞いた「なあ、あいつは?」「あいつはここじゃ無くて興善フーズに頼まれて3日間デモンストレーションのヘルプだってさ」「そうなんだ」「明日こっそり見に来るんじゃない?」
その時、関係者がゾロゾロそろって輪になってきたので大木が「では順番に紹介するので呼ばれた方は手をあげて下さい」と言って関係者、選手の順に名前を読み上げた。
修造の向かいには北麦パンの佐々木和馬が立ってこちらを見ている。
修造もそれに気がついて見返した。
別に睨んでるわけではないが相手が何かしらの感情を向けてくるのに気がつかない事はない。
他にもじっとこちらをみてる者が2人。
1人はブーランジェリー秋山の萱島大吾と言われて手を挙げた。そしてもう1人はパン工房エクラットの寺阪明穂と言われて手を挙げた。
一方の江川の対戦相手はコンテストが明後日ということもあって鷲羽以外まだ揃っていなかった。
今日与えられた準備の時間は1時間。
種の状態も良いので長時間発酵の生地を仕込み、明日の朝に備える。
そのあと会場を練り歩いてあのブースは包材屋さん、あのブースは機械屋さんとかひとつひとつ見ていったがどこも明日の開会までにセッティングを終わらせなければならず目が血走っている。
次の朝 修造は綺麗に髭を沿った。江川は髭の無い修造の顔を不思議そうに見ていた。
「とうとう当日になったね。悔いのないように今までの練習の成果を、全力を尽くして出そう」試合の度、空手の師範に言われていた言葉だった。
修造は幼い頃川で溺れていた所を師範に助けて貰って以来、父の様に慕い道場に通い詰めた。
試合には何度も出て、途中からはよくトロフィーを手にした。試合で勝ってもけして動じず相手に敬意を払い己を律する。そんな風に育てられた。
早朝6時
選考会が始まった。修造は空手の時の癖で心の中で「試合」と呼んでしまう。それに実は親方や大木の事を「師範」と呼びかけた事が何度もあった。
集中力を身につけて、より精進する。これが今迄の、そしてこれからの修造の生きていく上での理念であった。
どのみち隣のブースはよく見えないし、気にしても仕方ない。やはりこれは己れとの闘いなのだ。
粛々と素早く己れの最大の力を出す。
江川は修造が欲しいと思うものを用意して次の段階を準備していく。
人々からは、静かに進行していくパン作りを見ているように感じるかも知れない。
だが実は工程が幾つも編み込まれていて網目のひとつも狂わせない様に2人で動いていた。
親方に教わったチームワークと優しさ、大木に教わったバゲット、那須田に教わったクロワッサンとヴィエノワズリー、佐久間との戦いで色々考えたタルティーヌ、妻律子と考えたパンデコレの原案。その全てを編み込ませて形にしていった。
旋盤の仕掛けに花につけた「カギ」が上手く合わさりそれを水飴で取れない様にしていく、修造はまたうまくいった瞬間したり顔をした。
修造のパンデコレは編み込みの旋盤に花を施した紫が主体のもので「和」と言うのにふさわしいものだった。

審査員のシェフ達は一糸乱れぬ網目と美しく仕上げた繊細な花々を見て「ホゥ」と言った。
隣の北麦パンの佐々木は修造がパンデコレに取り掛かってから追いかける様に始めた。
パン王座選手権で負けて、北麦パンに戻ってから真剣にパン作りについて悩んだ。そんな時知り合った「先生」に半年間教わった事を思い浮かべながら次々と仕上げていった。

北の海の荒波に揉まれて大波が来た瞬間それを乗り越えようとするボート、その瞬間を切り取って表現した。
波のしぶきを立体的に作るのに苦労したが、迫力ある仕上げを心がけていた。
ただただ一生懸命に。損得など考えず。わき目もふらず。
その隣のブーランジェリー秋山の萱島大吾は故郷の岡山県英田郡西粟倉村影石にある水力発電に思いを馳せ、水の勢いを表現していた。
双方錐(そうほうすい)の形で水のしぶきを作り、高くから水が落ちてくる感じを出した。

一番左のブースのパン工房エクラの寺阪明穂は、女性らしい感性で雨の降る日、木の上で雨宿りする女の人を表現した。ありきたりの様だがパンで細かく木の枝が作られており、なかなかの力作だ。
飾られた傘も可愛らしい。

この様に皆個性的で似たものはなく、それ故審査は難しかった。
修造が最後の仕上げをして、江川と2人で片付けに入った。勿論これも審査の対象だ。散らかっていてはなんだがだらしない仕事しかしない様に思える。
さて、時間になり選考会はタイムアップになった。
重なる工程を全て終えて、江川は汗だくでクタクタに疲れた様だった。
鷲羽達は選考会の様子を逐一観察して写真を撮ったりメモしたりと、とても勉強になった。
それを見ていない分不利になるが実際に現場での工程を体験した江川は格段に実力が上がった。
「江川ありがとうな、感謝してるよ。疲れたろ?今日はゆっくり休めよ」
「大丈夫ですよ修造さん、今日の結果発表って3日目にならないと分からないんでしょ?待ち遠しいですね。僕達優勝かなあ」
「さあどうかな」
「修造さん、あまり気にならないんですか?」
「そりゃ気になるよ。顔に出さないだけだよ」
夜、疲れ切って早々と寝た江川の横で修造は身重の律子に電話していた「今日精一杯やったよ。こんな時にごめんね家を空けて。帰ったら埋め合わせするよ。うん、3日目の結果発表の後すぐ帰るからね」
そしてその後、窓際に立ち、江川の寝顔を見ながら「今後の事」についてしばらく考えていた。
「いや、今は世界大会が先か」そう言うが早いか修造も自分のベッドに入り寝息を立て出した。
ーーーー
次の日
大会の中日、修造は色んな企業のブースを訪れた。
「性能の良い安い機械なんてないかなあ」
多くの機械がその職種専用のもので、パン屋の工場の中はその専用の機械が多い。
規模の大小は違えどミキサー、パイローラー、オーブン、ホイロ、ドウコンは必須。余裕があればモルダーやデバイダーも使いたい。
それらが何十万から何百万とする。
修造は金の話は嫌いだが、こんな時は綿密に計画を立てないといけない。丁寧に見ていった。
「あ、田所シェフ、昨日はお疲れ様でした。優勝間違いなしですね」歩いていると基嶋機械の営業が声をかけてきた。本気で優勝すると思ってるかどうかは別として、もし優勝したら営業に精出す気満々だ。しかしこんな何気ない出会いでも長いお付き合いになるかも知れない。
「私基嶋の後藤孝志と申します」と言って色黒の顔に白い歯を見せてきた。
「あ、どうも」
後藤は修造の背中を押すようにしてブースの中に入れ、最新鋭のオーブンを見せた。なんでも高い蓄熱性を持つ分厚い石板で、蒸気が高温できめ細かいとかで、温度の上げ下げも早く、細かく設定できるとかで。。
「へぇー」っと言いながらピッカピカのオーブンをあちこち見ている修造を観察しながら後藤は『まあ、今は若いし金は無いだろうから開店の時に中古を紹介しておいてその後、修理、新品購入に持っていこう。何せ将来有望だもんな』とそろばんを弾いていた。
「あらゆる事に対応して、いつでも相談に乗りますからこの名刺の番号にご連絡下さいね」
「どうも」
次に歩いていると今度はドゥコンの機械屋さんの営業マンと目があった。「こんにちはシェフ!」とすぐさま修造を中に引き入れた。
「今日は何をお探しですか?」「はい、色んな機械を見ておきたいので」
ドゥとは生地の事でそれをコンディショニングすると言う意味でドゥコンデショナーという。
「タッチパネルで細かく温度や時間の予約ができて上段と下段を別々に管理できるんですよ」
また「へぇー」と言いながら最新のドウコンの中を隅々まで見た。やはり新品は良い。
そして次にミキサーを見に行った。
色んな機械屋があり迷う。「とりあえず全部見ていくか」回ってるうちに営業マンから貰った名刺はトランプの様になってきてどれが誰だったか分からない。カバンはカタログでパンパンだ。
歩いているとパンやケーキの本が売られている所に出くわす。本屋さんも来てるのか。
なんだか興味のありそうな本ばかりで目移りしているとその中に以前パンロンドに送り主不明で届いたバゲットの本と同じものがあった。
結局誰があの本を送ってきたのかは分からないけど勉強になったな。
その本にはメモが挟んでありこう書かれていた。
『必ず一番良いポイントがやってくる。その時をじっと待つ事だ』
あの時のメモ、俺はずっと心掛けてパン作りをしている。
誰が送ってくれたんだろう。
「お、修造」
「あ、鳥井シェフどうも」
鳥井はパンパンに膨らんだ鞄の中を覗いて「随分回ったな」と笑った。
「はい」

「まだ回ってないところはあるの?」
「そうですね、食材関係はこれからです」
「そうか、俺が知り合いを紹介してやるよ」
「去年もこうして一緒に来ましたね」
「そうだな、ああいう細かい事で運命ってものは決まっていくのかも知れん」
何軒か回った後、鳥井は興善フーズのブースに入っていった。
あれ、あいついないのか
鳥井は誰かを探してる様だった。
「修造、ここは大手の小麦粉の卸なんかをやってるんだ。営業の人を紹介するよ」
「ありがとうございます」
「国産のライ麦について知りたいんですが」
「はい、有機栽培の道産のライ麦粉を扱っています。全粒粉、粗挽き、中挽き、細挽きとあります」「これ使ってみたいんですが試供品はありますか?」
修造のカバンはもっとパンパンになった。
おわり
このお話は2022年04月03日(日)にパン屋のグロワールのブログに投稿された物です。
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