パン職人の修造これまでのあらすじ

これまでのあらすじ

このあらすじはnote専用のあらすじになっていますがワードプレスでも同じ内容で進行しています。

150話を前に、これまでずっと読んでいただいていた方にも、これから読む方も、これまでたまに読んでた方にも148話分を振り返ってあらすじを書いてみたいと思います。

パン職人の修造は、口数の少ない主人公の田所修造(たどころしゅうぞう)がパンにまつわる色々な出来事に出会うお話です。元は2021年3月20日に始まりました。お話は全てフィクションで、実在するお店や団体とは何ら関係ありません。各お話毎にテーマや主人公が変わります。noteでは、パン職人の修造というお話の第3部のあたりから始まります。このお話は連載なのですが、例えば「初めての面接」というお話で、『おわり』と最後に書いてあってもそのパートが終わったって事で、パン職人の修造の話の本筋はずっと続いています。最終回は修造がお亡くなりになる時、、最後に「最終話」って書いておきますね。

毎回テーマを変えているのは出てくるパンの世界をちょっと練り込んであるからです。そして説明しきれないのでイラストも入れています。最後まで読んでる人はいなくなるかもと心配していますが(もし最後まで読んだ方がおられたら天才!偉人!凄い!)
よろしくお願いします。

このお話の主人公 田所修造

剛毅木訥、仁に近し 口数の少ない男 実直な性格
九州から関東に出てきてパンロンドというパン屋に就職した田所修造は、妻の律子(りつこ)と緑(みどり)を日本に残してドイツにパンの修業に行き、26歳で日本に戻って2人と再会。またパンロンドの店主柚木(通称親方)の元で働き始めました。そして江川卓也(えがわたくや)や仲間達と出会います。息子大地も生まれました。夫として、父として、パン職人として日々成長する毎日です。現在はリーベンアンドブロートのオーナーとして頑張っています。

江川卓也

優しくておしゃべり、明るい性格で修造の心も明るくする。江川と一緒の時の修造は表情も明るくなる。パン好き女子の瀬戸川愛莉(通称パン粉)と仲良しでお互いの家を行き来している。実は心の奥底に悩みを抱えているが、修造とパン粉のおかげで克服しつつある。

パンロンド

修造が上京して来て初めて就職したパン屋。東南商店街の人気店。店主の親方(柚木亜久里)はおおらかで器のでかい人物で、修造の良き協力者。妻の丸子は明るい働き者で、細い身体でみんなを引っ張っていくしっかり者。古くから働く古参や、元ヤンの杉本龍樹、店員の森谷風花などが働いています。

Leben und Brot(生活とパン)

修造が奔走して江川と一緒に作った店。ドイツパンが主流。広い駐車場の奥に花の咲くテラスがあり、その奥に店舗がある。その奥のパン工房では今日も様々な人間模様がある。

1.初めての面接 https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/215 (ブログ)

https://note.com/gloire/n/n313e7bee5f33 (note1~4話)

江川との出会いから始まる。

修造が考えた段ボールを使った面接で江川は合格しました。

修造は江川に「お前は優秀だって言ったんだよ。最後までやり遂げたじゃないか」と言います。

え!

優秀⁉︎

この僕が、いつも浮いてて友達もいない僕が。

「パターン認識って言葉聞いたことあるか?」

「いえ、ありません」

「パターン認識ってテクノロジー業界用語なんだ。もともと人間が出来る事をコンピューターにさせる情報処理の事なんだけど、逆に人に当てはめて言うと、急な変化に対応できる力って事だよ。これは前にやったことがある、あの時はこのやり方で成功した、このやり方で失敗したとか、自分で経験を振り分けて当てはめられるどうかなんだよ。パン職人の仕事を何年もしていれば、大抵この能力に長けて来て現場対応能力が養われていくもんだ。お前にはその力が強くて、パンの世界でも上達が早そうだ」

修造はさっきまでと違って突然滔々と話をしだした。

「パン屋の仕事っていうのは毎日同じ様でも違うんだよ。だからそのパターン認識を使って対応できる能力があるかどうかで、理解度が違ってくるんだ。過去にあった出来事から最適なやり方を導くんだ。勿論レシピを基本として、今日はこの温度だからこういう水温で、今日は少し長めにミキサーを回す、どのぐらいパシナージュ(水分追加)するかとか。パン作りって毎日同じじゃないんだよ。だからパターン認識が凄く大事になっていくんだ、江川、お前はこのやり方で現場対応能力があるかどうかを試されたんだ」「失敗を回避して成功に導くんだ。つまり一言でいうと『咄嗟の判断で失敗を回避する能力』の事なんだ」

と江川を認める発言をします。

この時から江川は修造についていく決心をしてパンロンドに入って来ました。

2.新人の杉本君 https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/217

https://note.com/gloire/n/ndc4162e0920e (note5~8話)

パンロンドにふざけたむかつくやつが入って来ました。全然親方の言うことを聞きません。生意気なので修造が杉本を説得?してる間、江川と親方はこんな話をします。

「俺は修造に会ってから少し考えが変わったんだよ。それまでは諦めと言うか、職場も人の出入りが激しかった事もあって自分1人がしっかりしなきゃって思ってたけど、ああいう信頼できる奴がいるのは良いもんだよね」

「心がしっかり繋がってるんですね」

江川と親方は目を合わせてニコッと笑った。

「あいつがドイツから帰ってきてパン職人としての格が上がってるのを見て俺は思ったね。多分あいつはどこに行って何をやっても上手くいくんだろう。人から教わったものを自分のものにして更に上に押し上げていける奴だよ」

うんうんと江川はうなずいた。

こんな話をしてる間に修造も杉本にこう言っていました。

「多くのパン屋が『何人かが狭い空間で働いてる』んだ。その全員がメインのシェフの意思通りに動かなきゃならないと俺は思ってる。勝手なことをすると全員に迷惑がかかるんだよ。今の作業の全ては、『こうなる事に理由があった』んだ。すぐに決まった訳じゃない。工場の中で起こった出来事や、お客さんの流れ、パン作りの工程、作業する人間の数、季節や温度、その全てが影響しているんだ」

「それはまだ入ったばかりのお前にはわからない事なんじゃないのか?」

杉本は黙って聞いていた。

修造の話す全てに説得力があった。

それは長い経験に裏打ちされた言葉だったからだ。

「それが嫌ならやめなきゃならない、ここから去って勝手に自分の思う店を作れよ」

「、、、店を?」そんな事できっこないのは杉本も分かっていた。

「でもな、それは多分お前にはまだ早いんだよ」

「今のお前は何も出来ないのに等しい、1人でやるとたちまち困るぞ。

だから、色んな先輩の中に混じって色んなことを教わるんだ」

修造は指折り数えながら言った。

「共同体感覚を養って」

「ベストコンディションで挑めば」

「満足のいくパフォーマンスを発揮できるんだ」

指を3本見せながら「だからみんな体調を整えてくるんだよ。遊びすぎて体調悪いなんてカッコ悪いぞ」

修造は隣に座って下を向いてる杉本の顔を覗き込みながら言った。

こうして良い加減ながらも杉本はパンロンドの一員になりました。

3.パン王座決定戦(前編後編)というお話で、修造はアテンドされた職人達に出会います。

この先心の触れ合うブーランジェリータカユキの那須田シェフ、そして選考会で戦う事になる佐々木シェフ、超大物シェフ佐久間は所々出てくる背の高い男の親友でした。

4.催事だよ全員集合! https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/273

https://note.com/gloire/n/n04e49dcfad94(note18~22話)

経験の浅い杉本は段々仕事が身について来ていたが、まだ辛い時がある様だ。

「俺、修造さんについて行こうって決めてますけど、パン屋って大変で全然仕事が楽しくないです」

修造はカレーを包みながら言った。「言われるがままにやってるとつまらないものだよ。お前はまだ仕事を自分のものにしてないんだろう。今はまだ出来ないことが多くて、できない事をさせられてると錯覚してるだけだよ」

「はい、させられてるって感じです。ここの先輩達とは違うんです」

「先輩ができてる事をできないのは経験が足りないからってだけで、マックスの自分を知ればそれがそんなに大変じゃないってわかるんだよ。

ずっとマックスでいろって話じゃないんだ。一度自分の限界に挑戦してみたら、今やってる事がそれに比べてどのぐらいだってわかるだろ?

まだまだ頑張れるのか、もう限界ギリギリなのか。それを知る為にもう少し頑張ってみたらどうだ」

修造は「無口な修造」と小さい頃から言われていて、普段あまり話さないが、こんな時は長い話をしたりする。

「生地の面倒をいい感じに見てやって、最高の状態の時に焼く、それが俺たちの仕事なんだ」

修造はカレーパンの生地をポンポンと手のひらで弾ませて言った。

「でも〜」

「お前は今まで何かの限界に挑戦したことがあるか?」

「う〜ん」

修造の問いかけには答えられなかった。

限界なんて言葉なかなか自分の生活の中になかったし。そんな一生懸命熱く生きるなんてカッコ悪いと思ってたし。

俺、初めはパン屋で働くなんて簡単だと思ってて、漫画に出てくるパン屋さんみたいに手を動かしてたら生地が勝手にできると勘違いしてたもんな、と杉本は思った。

そして運命の19話では「藤岡恭介(ふじおかきょうすけ)です。よろしくお願いします。僕レストランで働いていました」と、藤岡君が現れるがこの時の扉絵が今まで描いて来たお話の中で1番閲覧数が高かったです。

この時は藤岡君爽やかイケメンだったのに(また戻そうかな)

https://note.com/gloire/n/n5d4fa12e4e4c

このお話の中で親方は修造に対する信頼を見せます。

しばらくして親方がやってきた。
「親方、これ全部成形してどんどん揚げていきますね」

「はーい、よろしく」

親方は、生地を修造に渡して後ろから一歩下がってテキパキ指示してカレーパンを販売していく修造を見ながらちょっと感動していた。

みんな上手くまとまって仕事してるな。頼もしいぜ修造。俺は今日のこの、みんなが和気あいあいとしてる所を忘れないぞ!

修造はそのうち独立するだろう。残念だけどお前はうちでずっといてる器じゃないんだ。感謝の印に俺はどんなわがままでも聞いてやるからな。

この誓い通りに親方は世界大会の練習を好きなだけさせてやります。

そしてこの催事中、休憩時間に修造は隣のあんぱんだけを売っているおじさんの所に江川を行かせてどんな拘りがあるから聞いてごらんと言います。

「あの〜、おじさんはここのオーナーの人ですか?」

「あー隣の子だね?そうだよ」

「このあんぱん、すごく美味しかったです。どんな所に拘ってるんですか?」

「これはね十勝産の小豆から作ってる極上餡(あん)なんだよ。うちのあんパンはね、豆本来の甘味を存分に堪能できる餡が包んであるんだ。豆の選別は重要だし、渋きりで渋をよく取ったり、味がさっぱりとしてキレがいい様にザラメを使ったり。生地は国産小麦に米粉を少し配合して柔らかさを出してあるんだ。全部の工程に拘ってこのあんぱんができているんだよ」

「それにこれ、そんなに大きくないのにずっしりしてるだろ?」

「はい」

「薄皮に包んで餡子を堪能できるようにしてるけど、大きかったら食べるの辛いだろ?」

「はい」

「ところが俺はそう思って作ってるけど、みんながみんなそうじゃない。世の中にはあんぱんひとつ取ってみてもそれはそれは沢山種類や作り方があるんだ。その店のシェフの拘りがあるのさ」

「ここに来てるお店はみんなそうやって拘りがあるんですね」

「そうなんだよ。催事は初めてかい?」「はい」

「そのうちこの業界の色んなことを見たり体験したりするようになるよ」

「ありがとうございました」

すごく良い人だったな、それにあんなに真面目にあんぱんだけを作ってるんだ。

僕もこれから色んなパンに挑戦して最後には自分のパン作りを見つけるのかな。

何かわかった感じになって江川が戻ってきたので修造が「どうだった?」と聞いた。

僕は学校に行くのが嫌になって、パンロンドに逃げたんだ。でもパンロンドでは修造さんやみんなが僕を普通に受け入れてくれていた。自然で何も聞かない、だからって関心が無いわけじゃない。僕はやっととても自由な気持ちになれたのに。

「僕多分ずっとパンを作ると思います。最後の自分のパン作りを自分で見てみたいので」

「いいね、俺も見てみたいよ」

ここで2人は『最後の自分で作るパンを自分で見てみたい』という生きる目標を立てます。

そしてこの思いは後々まで続きます。

5.背の高い挑戦者  https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/310

https://note.com/gloire/n/n177cd14d61be(note23~27話)

その次のお話背の高い挑戦者ではベッカライボーゲルネストの鳥井シェフと行ったパンの機械が並ぶ展示会に2人で行った事から世界大会の事を知ります。

そこに並べられた選手達の作った作品、特に飾りパンと呼ばれる大型のパンの芸術作品を見ていても立ってもいられない様な程心が逸ります。

そしてパンロンドに戻り江川に「世界大会に出よう」と持ちかけます。

そしてこの時、ベッカライ大木とその後ろに隠れる背の高い男が現れます。

6.フォーチュンクッキーラブ https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/320

https://note.com/gloire/n/nb6929643b2dc (note28~31話)

店員の風花が店で切り裂き魔に服をカッターで切られてしまいました。

修造と風花達が話をしていて修造がこんな事をいいました。

何かに引っかかったならこんな切れ方しませんよね?切り口がギザギザしますもん」

「店にそんな切れ方するところがないもんな」

「誰か変な人は入ってこなかった?」

「それが全然見てなくて」と風花が言うと、奥さんが「何人かお客様がいらっしゃったけどそんな怪しい人いたかしらね」と首を傾げた。

修造は風花に「お店っていうのは不特定多数の人が入ってくるんだ。こちらは何も知らなくても向こうは何かしら思って入ってくる時もある。ほとんどの人が普通にパンを買いに来ている、でも、中には敵意を持ってきたりする人もいる。それが露わになってる時はわかりやすいが、隠し持ってる時は中々わからない。笑顔でお迎えして挨拶する瞬間にどんな表情か見ておくと良いよ」と忠告した。

「わかりました」風花は目つきが鋭い修造が怖かったが、アドバイスはなる程なと思った。

たしかにお店にいるとどんな人が来店するかは顔を見るまでわからない。

とは言え敵意を隠し持ってる人なんて分からないかも。

そしてその後杉本は風花を守る為に犯人を捕まえます。

それが風花が杉本に好意を抱くきっかけになりました。

7.筆者が気に入っているお話「六本の紐」https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/347

https://note.com/gloire/n/ne6dceeb1f03c (note32~35話)

修造と江川は世界大会の前にある選考会の為の練習に大木シェフの店ベッカライホルツの『別室』に行きます。

そこには後々まで江川のライバルになる鷲羽と園部がいました。

鷲羽は修造に強い憧れを抱いていて、江川をライバル視しています。

修造が練習に来れない時、編み込みパン(ツォプフ)の試合を挑みました。

それにはこんな悔しいやり取りがありました。

ハン!」と鷲羽は言い放ち「こんな奴が世界大会!笑わせるなあ!舐めすぎでしょ」

「まだ9ヶ月あるんでしょう。分からないじゃない」

「分かるだろ!無理だよな?」と江川の顔を覗き込んで言った。

「俺と勝負して負けたらここに2度と来ないでくれる?」

江川は顔を引きつらせながら「そんな、僕1人で決められません」

「そんな事も自分で決められないって事か?」

園部と名札に書いてある職人が江川と鷲羽に生地を渡した。

それは丸められた生地が何個もバットに並べられた菓子パン用の生地で、江川に1枚、鷲羽の前に1枚置かれた。

「これを使って編み込みのパンをやって貰おう!」

「僕、何回かしかやった事ありません」

「仕方ないなあ。じゃあ俺が見本を見せてやるよ」

そして出来ない江川に無理矢理勝利します。

強引に勝ったと言い張る鷲羽でしたが、

江川は見事リベンジを果たしました。

編み込みパンはできる人には簡単だけど、4本、5本、6本と増えるにつれ訳がわからなくなります。結局江川はそこをついて勝利を収めるのでした。

その時の鷲羽の悔しそうなお顔にご注目。このお話は筆者の好きなお話です。

8.お父さんはパン職人 https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/351

https://note.com/gloire/n/n056d071c8921(36~38話)

修造は27歳になりました。

お誕生日の会の時、可愛い娘の緑(みどり)にこんな事を言われます。

「ねえ、お母さん」

「なあに?緑」

「よりってなあに?」

「より?なになにより大きいとかのより?」

「ううん」緑は首をふりながら言いにくそうに言った。

「あのね」

「うん」

「昨日紗南ちゃんのうちに洋子ちゃんと遊びに行ったらね、紗南ちゃんママがね、緑ちゃんパパは家出してたけど最近帰ってきて奥さんとよりが戻ったのねって一緒に来てた洋子ちゃんママに言ってたの」

一瞬、緑ちゃんパパって誰の事かわからなかった。

緑ちゃん

パパ

俺?

「ええっ!」

丁度フライドポテトを揚げていた修造は、驚いて網付きバットを持った自分の指に熱々のポテトを置いた。「うわっち!」

あわてて冷水で指を冷やしながら律子を見た。

律子は修造にすまなさそうに「ずっとそんな噂があるのよ。保育園のお友達のお母さんは今ではみんなわかってるんだけど、近所でもお父さんは出て行ったのねって言われてたし、小学生になってからまたその噂が再燃したみたい」

なんだか立つ瀬がなくて立ってる床が抜けそうな錯覚に陥った。

「律子ごめん」と謝るしかない。

「紗南ちゃんと洋子ちゃんも最近お友達になったから、何も知らなくて噂を信じてるのよ。私から言っておくわね」と言って早速電話の受話器を手に取った。

その後律子はなんとかママの誤解を解く。

そんな時、一次審査が迫って来ました。

江川と修造は電車で何度もホルツに通いました。

いつもの様にホルツでの練習中に江川は大木に言われます。

「江川」

「はい」

「分かってると思うが一次審査は誰でも応募できる」

「はい」

「勿論、鷲羽や園部もだ」

「え」

「つまり沢山の職人が応募するってことだ。一回一回の練習を大切にな」

「はい!」

一次審査は全国から技術の高いパン職人が大勢応募してくるだろう、それに選ばれるようにならないと。

修造と江川はそれぞれ決意を新たにしていた。

そんな時、修造の元に一冊の分厚いパンの本が届く。

送り主は不明だったが、それにはメモが挟まっていた。

本の内容はフランスの高名なシェフがパンの歴史や製法、作り手の心構えについて細かく書いてあるものだった。

発酵のところにメモが挟んであった。

『必ず一番良いポイントがやってくる。 その時をじっと待つ事だ』

この字、誰の字だろう。このメモの文字、、、

これって丁度江川の悩んでいるところだけど関係あるんだろうか?

修造はその後夢中になって本を読み耽った。

緑はそんな父親を見ながら父の日の作文を書いていた。

授業参観の日

先生が緑に声をかけた「次は田所さーん」緑が立ち上がって作文を読み出した、

それはこんなタイトルだった。

【お父さんはマイスター】

「私のお父さんはパンロンドというパン屋さんで働いています。お父さんはパンを作るのが大好きです。大好きすぎて外国に行って勉強していました。毎年クリスマスになると民族衣装を着たテディベアを送ってきてくれました。そのあとテストがあってお父さんはマイスターになりました。そして私が保育園に行ってる時に帰ってきました。外国にいて、きっとお父さんが1番寂しかったと思います。だって日本に帰ってきて走って私達に会いにきた時、とても泣いていたからです。その時に作ってくれたクラプフェンというジャムの入った揚げパンがとてもおいしかったです。お父さんの作るパンはとても美味しいです。私も大人になったらパン職人になりたいです」

読み終わったあと、緑は修造の方を見た。

「お父さん泣いてる」

修造の眼から大粒の涙が溢れていた。

その日からしばらくみんなから泣き虫パパと呼ばれていた。

9.ジャストクリスマス https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/362 

https://note.com/gloire/n/n3cdc587f36c9 (note39~42話)

このお話もアクセス数が多かったので、登場人物が楽しそうって重要なんだなあと思わされたお話です。

クリスマスの時期、パンロンドの女将さん丸子は風花にアドベントカレンダーを見せました。

「これね、アドベントカレンダーって言うのよ。毎日この小さな窓を開けていくのよ。そしてクリスマスを心待ちにするの」

「わあ〜可愛い!丁度開け終わったらクリスマスなんですね。ロマンチックだわあ」

それを聞いて修造も緑にアドベントカレンダーを手作りしようと思います。

そのおかげで修造と緑はクリスマス前の温かな思い出ができました。

クリスマスは色んなところで暖かかったり熱かったりする会話があります。

12月のはじめ

夕方職人達が帰った後、修造はヘクセンハウスを作り出した。

パーツは作ってあったので、Puder-Zucker(粉砂糖)でアイシングを作り、家の形に組み立てて飾りを付けていた。

「修造、まだ帰らないのか?」配達から帰った親方が聞いた。

「親方、これ作ったら帰ります」

「すまんな、これ。パンロンドの売上あげる為だろ?」

「俺、勝手させて貰ってるのでこのぐらいさせて下さい」

「俺もやるよ」

「はい」



「どうだい?ホルツの修行は」

「はい、大会を見越して練習しています。まだまだ未完成な事ばかりですが」

「江川はどう?」

「頑張ってますよ。着実に進歩しています」

「俺、修造が大会に出たところ想像したらゾクゾクするなあ。楽しみだよ」

「そうなる様に頑張ります」

修造は砂糖菓子のサンタをハウスの前につけながら言った。

「これからみんなにドイツパンを教えて、お客さんにもっと来て貰おうと思ってるんです」

「美味いもんな、お前のブレッツェル」

「それしか恩返しの方法がわからないんです。今の俺があるのは親方のおかげなんで」


こっちこそ感謝してるぜ修造。

こうやってお前と仕事できるのも限りがあるんだ、寂しいけど俺はお前を心から応援してるぜ。

「親方、泣いてるんですか?」

「いいやあくびしたんだよ、守っていくよお前が残してくれたものを」

親方の小さな瞳にキラッと光る水分が滲んでいた。

そしてこの回で心を入れ替えた杉本と風花は交際を始めます。

10.Sourdough Scoring  https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/386

https://note.com/gloire/n/n8c43d006104f (note43~45話)

このお話ではいよいよ本格的にホルツでの修行が始まります。

大木が修造・江川・鷲羽・園部に説明し出した。

「今日から一緒に練習する事になったからな。狭いけど協力しあってできる様に無理のないスケジュールを3人で組めよ。修造は第一審査用のレシピを書いて見せろよ、詳細はここに書いてあるからな」

皆それぞれ考えてやり始めた。

江川、鷲羽、園部達はそれぞれカンパーニュをつくって表面にカミソリの刃先で模様を付けていく。

出来上がり後の審査の時大木に言われる。

江川、カットがガタガタじゃないか。引っ張りながら
カットしたらこうなるから次から気をつけろよ。」

「はい」

鷲羽はうっすら笑いながら江川をまた穴の開くほどじっと見た。

威嚇か!江川の顔の辺りに視線が粘りついて鬱陶しい。

大木は鷲羽と園部のものには「うん、少しぎこちないところもあるがまあ良いだろう」

江川は2人のカットをマジマジと見た。

2人との実力の差が激しい。

江川は消耗して倒れてしまうが、病院で草原の夢を見てカンパーニュの柄を考えつく。

その時見舞いに来ていた江川の姉美春と修造は挨拶を交わす。

「あの」

「はい」

「弟は高校生の時、3ヶ月ほど不登校だったんです。なのに急にパンロンドに面接に行って働くと決めてきた時は驚いて、随分心配したんです。でも修造さんと約束したからと言って学校にも真面目に行きだしたし、ちゃんと卒業してホッとしました。あの子が変わったのは修造さんのおかげだと思っています」

そうだった、あの時俺が面接して就職が決まった時、あいつすぐ来るって言ったから、学校は卒業する様に言ったんだ。

「電話でも修造さんの話ばかりしているから、私も初めて会った気がしません」

「そうだったんですね、実は俺、江川に会ってから随分変わりました。仕事中何も話さない事が多かったけど。毎日あいつと話ししてるうちに口数も増えてきた。江川と一緒にいると楽しいですよ」

「良かった、本当に。卓也も明るくなったって母も喜んでいます」

美春は嬉しそうに笑った。

「そりゃ良かった」

「あの子、以前は寂しかったんだと思います、父と母は別れてしまって」

「そうだったんですね」

「父親はあまり家にいない人でした。卓也はそんな父親に懐いてなかったんです。反抗ばかりしていました」

「え!あの江川が反抗?想像つかないなあ」

「笑うことなんてあまりなかったわ」

信じられない。

あんなに明るいやつなのに、、

きっと俺と江川は良い相性なんだろう。

安定してお互いを良い方に高めて

いけるようになってるんだ。

修造はそう思った。

復帰後

江川は意外なプレゼントを修造から貰う。

修造が使っていた2種類のカミソリのホルダーと新しいカミソリの両刃を受け取った。

江川はホルダーを持ってパン生地に刃を入れた。

嘘の様に気持ちよくスッと刃が通る。不思議なほど指先の震えがおさまった。

「絶対負けない。ぼく頑張ります」

江川は病院で夢に出てきた情景を忘れないように生地に刻んだ。

そして江川はこの時から格段に上達する。

練習の時、いつまでも江川をライバル視している鷲羽に修造は言い放った。

「美味いパンって言うのはいつも食べられる当たり前の存在であってほしいと俺は思ってる。だから天候や気温に合わせて種や生地の面倒を見て良い状態で焼成まで持っていく、そうすると美味いものができるんだ」

「はい」

「お前は江川の事をライバルで、戦わなきゃならないと思ってるのかもしれないが、お前がこれから戦うのは自分自身なんだ。お前の作ったものを選んで食べてもらう為にな。それは必ず美味いものでないといけない。形だけ勝っても意味はないんだ」

「誰が見ても美しく、誰が食べても美味しいもの。世界大会ってその頂点なんだよ。それが俺たちが目指してるものなんだ。その為に練習してるんだろ?」

鷲羽はさっきとは大違いの姿勢で項垂れて修造の言葉を聞いていた。なんなら縮んでいきそうだった。

その時鷲羽の心にも何かが芽生える。

そこへ、滅多に喋らない園部が鷲羽に言った「さっきのって、江川への敵対心のボルテージをなんとか自分自身のパンへの熱量に変えろ、そう言う意味なんだな」

「ああ、できるかな俺に」

鷲羽は自分のパンを見ながらその遠くにある自分の10ヶ月後の姿を見ていた。

11.スケアリーキング https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/392

https://note.com/gloire/n/nf63fd203c73c (note45~48話)

このお話では少々不遜な所のある修造が最も恐れる人物が出て来ます。それは、、、

(このお話は修造にヴィエノワズリーの訓練をさせる為に作りました)

修造、律子、緑の3人は長野にある律子の実家を訪れます。

そこには律子の両親巌、容子と妹のその子が出迎えてくれました。と言っても両親は可愛い孫の緑にだけ笑顔を向けて、修造の事は無視していました。

2人はドイツに行く為に律子と緑を置いて行った修造をあまりよく思っていません。なので修造に辛く当たる巌と律子はよく対立しています。

みんなでテレビを見ていると偶然ブーランジェリータカユキの那須田が映っていました。修造と律子はアイコンタクトをとって那須田のところを訪れるの律子に許して貰いました。

修造は急いで那須田のところに行きすぐに店を手伝わせて貰いました。

テレビに出て忙しくなるのが予定されるので那須田も助かったと思っていました。

那須田は華麗なテクニックを修造に教え、製造は一晩中続きました。

一夜明けて那須田は玉手箱の様に始めに作ったクロワッサンと修行後のクロワッサンが入った二つの箱を土産に持たせました。

巌は一晩帰ってこない修造に怒っていましたが、二つの箱の中のクロワッサンの断面を見比べて、修行に行ってたのだと納得したその時、律子が第二子ができたと告げ、2人は顔を見舞わせて喜んでいました。

12.イーグルフェザー https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/412

https://note.com/gloire/n/n995ccfe6ce28(note49~51話)

出会いというのは不思議で、その時はすぐに過ぎ去っても、また再開したのち不思議なぐらい時間を共にする者もいる。それを運命とか言うのかもしれない。

このお話は鷲羽秀明の人物紹介から始まります。パンの専門学校では不遜な性格から煙たがられていたがホルツに入社してから園部に出会う。

結構楽しい毎日を過ごしていた時、ホルツに修造と江川がやって来る。

鷲羽は江川に対して嫉妬心を抱き、足を引っ掛けて倒す様な事をやっても、いつの間にか起き上がって、なんなら自分よりも高いところから見下ろされている。

そして修造にこう言われる「お前がこれから戦うのは自分自身なんだ。お前の作ったものを選んで食べてもらう為にな。それは必ず美味いものでないといけない。形だけ勝っても意味はないんだ」

ライバルに勝とうとしているのに、本当の戦いは自分自身と?俺が俺に打ち勝つのは一体どんな時なのか。

毎度大木が出してくる課題に誰よりも良いものを出す。そう言う事なのか?

鷲羽は頭をかかえた。

何度練習して結果を出しても、最後は江川が追い越していく。

とうとう一次審査のパンを送る時が来た。

修造は選考会に

江川と鷲羽は助手を選ぶ為の選考会に選ばれた。

江川が「鷲羽君、入選おめでとう。頑張ろうね」と言ってきた。

澄み切った水辺に輝く宝石の様に瞳がキラキラしている。

自分には全くキラキラした所が無い。思えば自分と江川のパン作りの違いもそんな所では無いのか。ふとそんな事に気づく。

白い鳥の羽の様な、青い空に浮かぶ白い雲の様な、鷲羽から見た江川はそんな風に見えた。

鷲羽は江川の言葉に対して斜に構え少しだけうなづいた。

大木は仲の悪い2人にベーカリーベークウェルというパン屋にヘルプに行く様に言った。

ベークウェルは江川と鷲羽が体験したことのない店だった。

三田、辻、塚田と店長と呼ばれる男で作業場を回していたが、店長はいつも工房にいないらしい。

話していくうちに塚田があるお願いをしてきた。

なんで俺がそんな事しなくちゃいけないんだ。

嫌がる鷲羽だったが、江川と『パンロンドで研修を受ける』事を約束して渋々協力する事になる。

三田と辻が2人で仕事してる間に3人は店長が横流ししている現場を押える。すると今まで弱々しく振舞っていた塚田が急にキリッとした顔立ちになった、と言うか本来がこっちでさっきまで芝居をしていたのが本当らしい。

3人で三田と辻のところに戻る時、まるで3人は元からの友達みたいになっていた。

13.Prepared for the rose https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/427

https://note.com/gloire/n/n111b82b00948 (note52~53話)

ベッカライホルツで大木と背の高い男が電話している。どうやら2人がベークウェルに行ったのは背の高い男の差し金だった様です。

そうとは知らない鷲羽はウキウキしてパンロンドに修行に行きました。

がそこで親方に失礼な事を言ってしまいます。

親方はリズム良く生地を分割しながら聞いた。

「パンロンドで勉強したいんだって?で、どんな事を聞きたい?」

と聞かれ「はい、俺不思議だったんです。なんでこんな小さな店で一生を終えようとしてるんですか?」

一瞬周りが凍りつくが親方だけ頭から湯気がでていた。

「小さな店?敷地面積の事かよ?」

鷲羽はキョロキョロして「それもありますけど、商店街のパン屋で良いんですか?」

「おう!俺は俺の作りたいパンをここで作り続けるさ。じゃあ逆に聞くが、なんなら良いってんだよ」ちょっとスケッパーにかける力が強くなった。

「もっと一等地に店を出したらどうですか?例えば外国で修行して、帰って来たらそこで習って来たパンを作るとか、俺ならそうするな」

「はあ?パン屋がみんなそうするとは決まってねぇだろうが」

なんだか生き方を否定された様な気がして来て腹も熱くなって来る。

そこに修造が割って入った。

「鷲羽、店の方を見てみろ。お客さんの様子を」

鷲羽は工場の奥から窯の前に立って作業をしている親方のもっと向こうを見た。

狭い店の中にいきいきとパンを選んでトレーに乗せているお客さんの姿が何人か見えた。

自分だけの好きなパンを選ぶ人もいれば、家族の好きなパンを選ぶ人もいる。
皆お気に入りのパンをトレーに自由に乗せている。

「みんなここのパンのファンなんだ。どんなお客さんにも好きなパンがあって、ここのパンで大きくなった大人もいるんだ。今店にいる風花もそうだよ。ここのパンが好きで働いている。街のパン屋さんっていうのは他の店同様なくてはならない存在なんだ。みんな通勤の時、昼食、贈り物、夕方、夜食などそれぞれがそれぞれの理由で買いにくる。パンロンドのパンが好きで買いにくる人々の為に親方はパンを作り続けているんだ」

眼光の鋭い目で修造は言った「俺は誇らしい事だと思うよ」

修造は続けて鷲羽に言った「そんなお客さんの気持ちが分かっていてパンを作ってるかどうかでまた違ってくる。お前はどうなんだ。お前だってパン作りに携わっているだろう」

そして修造はこう続けた。「鷲羽。今の俺があるのは親方のおかげなんだ。

親方が俺が帰ってこれる様に大切なものを守ってくれたんだ。もし親方がいなかったら今頃俺の家族はバラバラになって俺は帰るところなんてなかった。エーベルトの所に残るか、ひょっとしたらもう糸の切れた凧の様になって他の国に行って帰ってこなかったかもしれない。そしたらみんなともお前とも出会わなかっただろう。今ここにいるのはみんな俺の大切な仲間なんだよ」

修造に言われて鷲羽は親方に詫びを入れた。すると親方は優しく話しかけた。

「太々しい様に見えてお前本当は自信ないのか?さっきの態度も江川の件もあるし。だからいつも必死なんだろう」性格の悪さを技術でカバーか。と親方は鷲羽を見て感じとった。

「それ、本当はわかってるんじゃないのか?自分で認めなきゃお前は前に進めないぞ」

「鷲羽、俺はこれからもここにいてパンを作り続けるよ。

ここに来たいお客さんの為にな。だからお前もいつでもここにきて良い。

俺とお前の心が通い合うまでな」

鷲羽はパンロンドについての誤解が解けた気がした。

同時刻

江川は大木に飾りパンを教わっていた。

「綿密に必要なものの大きさ、長さを計算する。どこに何色を持ってくるかも重要だ。見た感じの色のバランスなどもな。自分の技術を立体にしてる様なものなんだ」

と説明を受けた後、飾りパンのテーマを考える様に言われた江川は故郷で見た菩提樹とセイヨウミツバチをモチーフにデザインを描いて大木に見て貰います。

デザインは褒められましたが、江川は驚く言葉を耳にします。

江川と鷲羽は若手コンテストに、そして園部には修造の助手をして貰うと。

「えっ?園部君?大木シェフ、僕が修造さんの助手をやります」

「お前な、最終日にコンテストが控えてるんだからできっこないだろう?自分の事で精一杯で修造にも迷惑がかかるからダメだ。園部もこれまで特訓していたんだし、これから修造と息を合わせていかなきゃ」

「絶対ダメです。僕やれます!僕しか修造さんの助手はいません」

「無茶言うなよ、修造と練習して自分の分も最高の出来栄えにしなきゃいけないんだぞ!」

無理だと言う大木に食い下がり、とうとう江川は若手コンテストと修造の助手の二つをやる事になりました。

江川は修造との勝利の為に薔薇の飾りパンに誓いを立てました。

14.honeycomb structure https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/438

https://note.com/gloire/n/nc3ddc5b1275d (54~55話)

選考会までの日にちがいよいよ1か月をきり、緊張も高まって来た頃。

3人で飾りパンの練習中

鷲羽は修造が焼成後の円盤形のパンの裏に拍子木の様な生地を貼り付けていくのを見ていた。

「これを向こうで組み合わせる時に引っ掛かりがないと輪が落ちるからあらかじめ茎の部分と凹凸をつけておく。十字相欠き継ぎ(じゅうじあいがきつぎ)みたいなやり方だな。それと旋盤に付ける花の裏には仕掛けをして、そこを引っ掛ける様にして水飴で留める。立てても落ちないし時短にもなる」

修造はピッタリ木の幹と旋盤の凹凸がはまったので悦にいった表情をした。

鷲羽は生地を細く細く伸ばしてマクラメ編みを作っていた。コンテストではそれを使って長方形と曲線で立体的なパンデコレを作る予定だ。鷲羽の作品はらせん状の板の組み合わせで構成されていて、正面にはマクラメ編みが取り付けられた物で、鷲羽の技術の程度が良くわかるものだった。

その頃、修造の対戦相手で、北麦パンのオーナーシェフの佐々木が工房の奥でパンデコレの仕上げをしていた。


「先生にコーチして貰ってここまで来たなあ」
と佐々木は自分の技術の始めと今を思い比べてしみじみと言った。

佐々木の後ろに立っていた先生と呼ばれる背の高い男は「シェフの元々の腕前が良いんですよ」と、こことここを変えてと指で指示しながら言った。

「俺、修造さんには負けませんから」とまるで宣言する様な言い方を聞いて背の高い男は「何故その修造さんだけ?選手は他にもいるでしょ?」と作品から目を離さずに聞いた。

「あの人は生まれる前からパン作りをしてたんじゃ無いだろうか?そのぐらいパンにピッタリ寄り添ってる。俺はそれに勝ちたいんです。俺のパンに対する気持ちの方が上だって証明して見せますよ」

「生まれる前からですか?面白い。シェフには是非頑張って貰わないとね」背の高い男は何故かおかしくて腹筋を2回ほど揺らした。

「勿論です。俺、明日から選考会が終わるまで店を休んで集中します」

15.Mountain View https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/452

https://note.com/gloire/n/n5ed29eed544f (note56~58話)

とうとう選考会の前日

江川と修造はバンに荷物を詰め込み会場のある関西へと向かっています。

パーキングエリアで休憩中2人はこんな会話を交わしました。

天気はよく、駐車場と雑木林の向こうに富士山が綺麗に見える。

「僕、神奈川より西に来たの初めてです」

「江川、日本の山って言うとまず富士山を思い浮かべるだろ?」

「はい」

「九州の真ん中にでかい火山があってその周りを外輪山ってものが取り囲んでるんだ。その火山と外輪山の間には普通に鉄道や国道が走っていて町があったり畑や田園があって人々が暮らしてる。で、それを取り囲む外輪山の上を車で一周してるとあまりのデカさに自分は山の上じゃなくて普通の地面を走ってると錯覚する程なんだ。時々崖の上から下が見えて、こんな高い所を走ってたのかって気がつく」

「えーすごいスケール。富士山とはまた違った自然の造った形なんですね」

「俺の実家はその外輪山のまた遥か遠くの山の上なんだ」

「へぇー」

「俺は大会が終わったらそこで俺のベッカライを作ろうと思う」

「えっ、じゃ僕もパンロンドを辞めてそこで働きますね」

「えっ?」

「えっ?」

この会話がきっかけで修造は江川に大きなプレゼントをする事にします。

そして大会当日の朝

修造は綺麗に髭を沿った。

江川は髭の無い修造の顔を不思議そうに見ていた。

「とうとう当日になったね。悔いのないように今までの練習の成果を、全力を尽くして出そう」試合の度、空手の師範に言われていた言葉だった。試合には何度も出て、途中からはよくトロフィーを手にした。試合で勝ってもけして動じず相手に敬意を払い己を律する。そんな風に育てられた。

集中力を身につけて、より精進する。

これが今迄の、そしてこれからの修造の生きていく上での理念であった。

選考会

どのみち隣のブースはよく見えないし、気にしても仕方ない。やはりこれは己れとの闘いなのだ。

粛々と素早く己れの最大の力を出す。

江川は修造が欲しいと思うものを用意して

次の段階を準備していく。

人々からは、静かに進行していくパン作りを見ているように感じるかも知れない。

だが実は工程が幾つも編み込まれていて網目のひとつも狂わせない様に2人で動いていた。

親方に教わったチームワークと優しさ、大木に教わったバゲット、那須田に教わったクロワッサンとヴィエノワズリー、佐久間との戦いで色々考えたタルティーヌ、妻律子と考えたパンデコレの原案。その全てを編み込ませて形にしていった。

旋盤の仕掛けに花につけた「カギ」が上手く合わさりそれを水飴で取れない様にしていく、修造はまたうまくいった瞬間したり顔をした。

修造のパンデコレは編み込みの旋盤に花を施した紫が主体のもので「和」と言うのにふさわしいものだった。

一方その頃、隣の北麦パンの佐々木は

修造がパンデコレに取り掛かってから追いかける様に始めた。

パン王座選手権で佐々木と修造に負けて

北麦パンに戻ってから真剣にパン作りについて悩んだ。

そんな時知り合った「先生」に半年間教わった事を

思い浮かべながら次々と仕上げていった。

北の海の荒波に揉まれて大波が来た瞬間

それを乗り越えようとするボート

その瞬間を切り取って表現した。

波のしぶきを立体的に作るのに苦労したが

迫力ある仕上げを心がけていた。

ただただ一生懸命に。

損得など考えず。

わき目もふらず。

16.broken knitting https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/473

https://note.com/gloire/n/ne07f54d06764(note59~61話)

選考会が終わりました。

結果発表は三日目の若手コンテストの後なので、中日の二日目は修造は製パン機械の展示会を練り歩いていました。

江川は修造を探して会場を歩いていると、鷲羽を見ている1人の青年に気がつきます。選手の1人かと思っていたらどうやら違う様です。

若手コンテストの選手に与えられたブースは4メートルに区切られていて、その中にミキサー、パイローラー、オーブン、ドゥコンなどが設置されている。

先に始める生地の材料や必要なのものからブースの中に入れて、その他の後でやるものは次々出していく計算だ。

明日は修造があれこれ手前から注意してくれたり必要なものは後ろから用意してくれるからその点は安心だ。

種を作った後、ホッとして「修造さん、明日はよろしくお願いします」と言った。

次の日の早朝から若手コンテストは始まった。鷲羽と江川は隣同士ではなく、間に沢田茉莉花がいたのでお互いの気配は全くわからない。

緊張してなにかの工程を飛ばさない様に気をつけてスケジュール通りに慎重に進めていった。

江川!お前は個性的な奴だ。

その個性とセンスを最大限に生かしてはじけるんだ。修造は江川を見守り続けていた。

江川の持ち物の中には修造に貰ったカミソリとホルダーがあった。

江川はそれをまるでお守りの様に思い、握りしめて手の震えを抑えるのに役に立った。

鷲羽も着々と理想通りのパンが出来上がってきた。

いい出来だ。

鷲羽は勝利を意識しだした。

その時、テーブルがバターンと倒れた様な音がした。

鷲羽のパンデコレの部品が乗ったテーブルが倒れている。

「うわーっ」


鷲羽の叫び声が聞こえたので修造が駆けつけた。

箱の中に入っていたマクラメ編みが割れている。

修造は「諦めるな!まだ時間はある!修復するんだ」と言って犯人を追いかけ走り出した。

園部と修造は犯人を追いかけて捕まえた。

犯人は鷲羽と同じ専門学校に通っていた者だった。

修造は「努力の結晶に敬意を払わない者はこの俺が許さない!」と一喝した。

鷲羽の所に戻る道すがら、園部は珍しく口を開いた「みんなは英明の事を悪く言うし、英明は口が悪いけど根性は腐っていない。あいつはいつも熱い奴です。それは俺が保証します」

「だな、園部。あいつは良い友達を持ったよ」

鷲羽の粉々になった飾りパンは一部修復は無理だったがなんとかつなぎ合わせ、大木が色々アドバイスしながら仕上げることが出来たが、完成予想とは格段に劣る。元通りに完全には治せない。それが余計自分自身をガッカリさせた。

一方江川の作品は案外カッコいい。

蜂の巣と菩提樹の花をモチーフにしたパンデコレ、夢に出て来た草原のサワードウ、親方の教えてくれた「ぶちかましスペシャル」とか言う編み込みパンなど工夫が凝らしてある。

「あいつの勝ちだな」そう思った。

結果発表の時間が来た。

鷲羽が憔悴してぼんやりと立って見ていると、修造の名前が呼ばれる。

修造は段の上に立ち、前回の優勝者からトロフィーを受け取った。

すごく眩しくてキラキラして見える。やっぱカッコいいな修造さん。

江川が両手を上げてやったーと叫んで人一倍拍手している。

大勢の人が修造の写真を撮っていた。

その向こうにそれを見ている佐々木が自分と同じ様な表情で立っている。

俺分かりますよ。あなたの気持ち。

俺、絶対優勝するはずだったんですよ。

結局江川がコンテストで優勝した。鷲羽は審査員特別賞。

少し涙が出てきた。

疲れてるだけだ。

鷲羽は少し離れたところに座り込んだ時、横に立った人影を見た。

「大木シェフ」

「俺、自分の性格が原因で色々とダメになってしまいました。練習を最後まで見てくれたのにすみません」

「おい、がっかりするな」

大木は座り込んだ鷲羽の二の腕を大きな手で掴んで起き上がらせた。

「お前はまだ若いんだ。一度負けたぐらいでなんだ。まだまだこれからチャンスはたんまりある。園部と切磋琢磨して修造の跡を追え。フランスに行きたいんなら先に修行に行け、帰ってきたらまたうちで練習しろ。俺が練習を見てやる」

「えっ」

「俺が目をかけてるのを忘れるな」

その言葉を聞いて鷲羽は天井の無数のライトを見上げて言った。

「下を向くのは俺らしくない」

17.バゲットジャンキー https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/486

https://note.com/gloire/n/nc5b987b5a80f (note62~63話)

表彰式の後、2人は会場の裏にある駐車場に荷物を運びパンロンドの配達用の車に積み込んだ。

「控室に戻って大木シェフに挨拶して帰ろう」

「はい」

2人が駐車場から通用口に入り長い廊下を歩いている時、向かいから帰路につく沢山の会場スタッフが長い列を作って歩いてきた。

修造はぶつからない様にそれをよけて

廊下の端を素早く行き過ぎた。

その時江川と少し距離ができた。

スタッフに紛れてオレンジ色の大きなスーツケースを押した背の高い男が歩いて来る。

そのトランクには沢山の国のものと思われるシールがベタベタと不規則に貼ってあり、中には剥がれたあとや、剥がれかけのものもある。

江川はそのトランクを見て、剥がれかけたシールなんて外せばいいのにと男の顔を嫌悪感のこもった目で見た。

男は立ち止まり「おめでとう、頑張ったね」と労をねぎらった。

江川が一瞬頭を下げて行きすぎようとした時、男がメモを渡してきた。

「これ、お兄さんに渡しておいて」

江川は、話したこともないのにお兄さんなんて言い方は軽すぎると思って苛立った。

不機嫌に黙ったままメモを受け取りそのまま遠ざかった江川をしばらく見ていたが、やがて駐車場を通り外に出てタクシーを捕まえようと歩道に立った。

江川はその後修造にメモを渡す。

人生は数奇なり

己の運命に流されても己は流されるなかれ

修造はそのメモを見てあ!この字!本に挟んであったメモと同じ文字だ!と思います。

フランスパンの理論について書いてある分厚い本の送り主と同じだったのです。

でも気になる

なんだ

流されても流されるな

って

どういう意味だ。

俺は順調だ。

愛する妻と可愛い子供

数奇な事なんて何もない

なんだ名乗りもせずに

修造は気になって大木にこの事を聞きました。

「この本とメモを書いた人について少しでも何かご存知なら教えて頂けませんか?」

「さあなあ」と言った後、大木はしばらく何か考えていたがやがて話しだした。

「修造、伝説の流れ職人って聞いたことあるか?」

「伝説の?いいえ」

「伝説のなんて大袈裟だし、少々盛ってると思うんだが」

「はい」

「昔山間部に住んでいて、造園を生業にしていた若者がいたんだ。そいつは客の意志を読み取るのか上手くて相手の望む通りの庭作りをする事ができた。その噂は広がって遠くまで呼ばれて庭の手入れに行ったりしていた。ある日軽井沢に呼ばれて、金持ちの別荘の庭の手入れをしていた。その素晴らしい庭作りに客が喜んでお代以外にも礼をしようとそいつを懇意にしてる近所のフレンチレストランに連れて行った。

そこは剛気な性格のフランス帰りのシェフがやっている店で、食事が2品ほど出た時、シェフがテーブルに挨拶に来た。そして焼き立てのバゲットを持って来て包丁とまな板をテーブルに乗せパンをカットしだした。

「今窯から出たばかりだよ。このルヴァン種のバゲットは俺の自慢なんだ」

客に「美味いから食べてみなさい」と勧められてその造園業の若者はカットされたバゲットを口に入れた。途端にルヴァンの風味と小麦の旨味が、クラストの歯応えとクラムの水分を含んだ食感が、そして窯の熱気を含んだエアが口に広がった。

大袈裟だが脳内で美味さが爆発したんだ。

出会ったことのない美味さに衝撃を受けてその場でシェフに弟子入りしたいと言い出した。シェフは驚いたが、男が自分の作ったバゲットを全部食っちまって本気で感動しているのが気になって、その男を弟子にしてやったんだ。

男には家庭があったんだが、突然パン職人になると言って、造園業を廃業して長野県に行ったまま帰らなくなった夫に愛想を尽かした奥さんは、男に離婚届を送りつけて実家に帰ったんだよ」

  

大木は遠い過去を思い出しながら言った。

そして修造はパンロンドに戻り、仕込み中の親方にも「伝説の流れ職人って聞いた事ありますか?」と聞いた。

「ああ、そういえば昔そんな噂を聞いた事あるな、色んな店を渡り歩いてヘルプに入って従業員を牛耳って技術を教え込み、店の格が上がると噂になってあっちこっちで呼ばれてるとかなんとか。でもそれ、俺が修行時代の事だから15年以上前のことでさ、その後世界各地に呼ばれるようになって殆ど日本にはいないから連絡もつかないって話さ」

「その人パンの世界に没頭したんですね」

「そうだな、他のものを全て捨てても欲しいものがあったんだろな」

パンの製法も概念も時とともに変わりつつある。それを追い求めて広めたい。

修造はまた少し分かった気がした。

18.リングナンバー7(前編後編) 

https://note.com/gloire/n/nff32cc0e0152(note64~69話)

仕事中、藤岡はひょんな事から杉本は書いたものならなんでも覚えられる事に気がつく。なのに勉強も文字を書くのも嫌いな杉本。

職場の慰安旅行で京都に行くパンロンド一行。

思い出の1枚

風花はなんとかパン職人としての格を上げたいと願うが、杉本はやる気にならなくて2人の心はすれ違うが徹底的に喧嘩した後、やっと杉本は製パン技術士の試験勉強をしだす。

19.A fulfilling day 修造 https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/517

https://note.com/gloire/n/n9facf2856a51 (note70~72話)

最近の修造はウキウキして喜びで胸がはち切れそうだった。

修造は2人目の子供が無事産まれて

大地と名づけた。

自分の育った山から見える緑の大地のイメージだそうだ。

「なあ聞いてくれよ江川!ほんとちっちゃくて可愛いんだよ」

あのイカつい修造さんがあんなに笑顔で」と杉本が言った。

「誰よりも早く帰って赤ちゃんとお風呂に入るのがなによりも楽しいんだって」

「へぇ〜」

家では大地をお風呂に入れて寝ている間に世界大会の飾りパンのデザインを考える日々。

おかげで着物の女性の飾りパンを考えつく。

そんな時、修造の苦手な義理の父高梨巌がお泊まりに来る。

巌は緑の案内で仕事中のパンロンドを訪ねた。

そしてパンロンドのショーケースに飾られている選考会で作った飾りパンを見て驚く。

え!

これ手作りなのか?

「パン?」

パンでできてるのか?

これをあいつが?

修行に行ってこれを造ったんだな。

巌は親方と話をした。

2人は売り場の棚を見ながら話した。

「うちのパンも変わりました。なんというか修造が運んできた空気がうちをそうさせるんです。前向きにと言うか、いい方向に流れていますよ」

「へぇ」

「もうすぐ大会がある。フランスでの試合があります。誰でも出られるってもんじゃない」

巌は親方の真剣な顔つきをじっと見ていた。

「色んな事のちょっとずつがあいつの時間を奪ってる気がします。大会前は修造にはガッチリ修行に行かせるつもりです」

巌は修造のパンを沢山買って店を出た。

確かに親方の言う通りだ。

生半可な事をしていては

頂点は目指せないだろう。

山の上に立てるものも立てなくなるのか。

そして巌は夏休み中子供達を預かるから練習に専念する様に修造に言った。

巌に言われた様に本当の修行の日々が始まったがそんな時ベッカライボーゲルネストの鳥井がえかと修造をビストロに招いた。

鳥井は2人に説明した「例えば肉の下拵えは前の日にやるのかやらずに始めるのかで随分違ってくる。勿論パン作りも同じだ。会場では沢山のことを忘れずにやらなきゃならん。初段階のうちにタルティーヌの具材の下拵えをしておきなさい。修造はサワードウに何が合うのか考えておきなさい」

「はい、素材の下処理一つでもそれぞれ理由があり、キチンと準備することで味が調和し美味さを整えられるんですね」

食べるのは美食家の審査員ばかりだ。工程のどの部分にも油断はならない。鳥井が言いたかったのはそこなんだろう。

「美味いものを記憶に刻みなさい。もっと自分の可能性を高めるんだ」

鳥井はそう言って、次に食材の豊富な輸入専門店に連れて行った。

「世の中には沢山の食材がある。それらの味をなるべく沢山覚えておくんだ。自分の中に味の引き出しを沢山持て。何と何を合わせると何に合うのか、いくらでも計算出来るようになるんだ」

修造は、その様子を見ながら鳥井の言う『前日準備の重要性』について覚悟した。前の日の下拵えと種の準備、当日の段取りが勝利の8割だ。後の2割はいかに失敗なく他にない自己表現をするか。

「前の日の1時間にどれだけできるか何度も練習をしておけよ」

そう言って鳥井は袋いっぱいのおすすめ食材や香辛料を渡してきた。

「応援してるぞ修造」

「ありがとうございます」

「江川もな」

そして修造はあるパンを思いつく。

「江川、明日からこれを練習して貰う」

紙を受け取り「えっ」と声を上げた。

「大会前日の1時間にやって貰う」

「僕やったことありません」

江川の顔が引き攣った。

20.One after another https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/526

https://note.com/gloire/n/nb3c33662d68b (note73~74話)

江川は修造の立てた「大会前日のプラン」を練習し続けていた。

大会では前日に割り当てられた時間は1時間。

手順を覚えて準備をして、野菜を切り並べる。型に入れてそして、、

「江川バラバラにならない様に丁寧に重ねてね。固さに注意して」

「はい」

時々江川を見ながら修造は細かい柄の精巧なステンシルを彫っていた。

茶色い厚紙に鋭いカッターで彫り進めていく。

少しでも手先が狂うと切れてしまう。

修造は刃先に全神経を集中させていた。

「江川、味の事なんだけど旨みがもう少し欲しいと言うか、もっと和風に近づける味に寄れないか考えてみるよ」

車の中で「江川には無理させちゃってます」と胸の内を打ち明けた。

「なんとか乗り越えて貰わんとな」

「まだまだやる事があって」

「登り始めだな」

何かを成し遂げるのは大変な事だよ。今やっている事は無駄にはならん。

江川もいつかきっとわかる日が来るだろう。

大木は留木板金の前に車を停め入り口に向かって歩きながら誰に言うともなしに言った。

「投げ出すのが1番の無駄だ」

修造にはまだまだ課題が残っていた。

大木との外出時立ち寄ったうどん屋で出汁を使う事を思いつく。

「これだ」

これをベースにすれば添加物なんてなくても和風のうまい味が出せる。

これを江川の作ってる物に使えば!

移りゆく修造の表情を見ながら大木はふふふと笑った。

そして修造は大木に打ち明け話をします。

「俺、もし大会で勝ったら江川に恩返ししようと思うんです」

「もしってなんだよ。勝つんだろ?」

「はい、やるからにはそのつもりですが、、これまでにも大木シェフや鳥井シェフ、親方、うちの義父にも世話になっていて、その分を江川に返して、そしてまた江川が次の世代に何かしてあげれば良いと思ってます」

「自分が受け取った分を江川にしてやる訳だな」

このお話の最後に修造が滝行をするのですが、筆者はこのエピソードが大好きです。

21.Annoying People https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/538

https://note.com/gloire/n/n066287d07125 (note75~78話)

大地は日に日に大きくなり可愛い限りだ。夕方緑と一緒にスーパーに買い出しに行く。そこで修造は跡をつけて来たメリットストーンという中堅のパン屋の営業有田に引き抜きの話を持ちかけられるが一蹴して帰る。

飾りパンの練習はいよいよ大詰めになって来ました。

1番難しいのは流れる帯の模様の土台の生地に、色違いの生地をピッタリ嵌め込むところ。上手く行くかどうか。

出来るだけ滑らかな曲線を大切にしたい。

修造は大工の様に、嵌め込む生地の膨らみを計算して設計図を作り台紙をその通りにカットした。それを元に生地をカットして焼成後また引っ付けると2色の帯の出来上がりだ。地味だけど案外難しい。

次に土台作り。平らで安定感が大切だし、本体をセットしてぐらつかないようにしないと。

出来るだけ練習しないと頭で覚えただけでは動きが染み付かない。あとはもうギリギリまで何度もやってみることだ。バドミントン選手の様に与えられた場所で2人で入れ替わり立ち替わり自分の作業をして、お互い邪魔にならない様にしなくてはならない。

現場での機械の置き場を大木に教わって動けるように考えた。

そんな時、パンロンドでの作業中、配達に行ったが二人組に捕まってしまう。

実はそれは鴨似田フーズのマダムが部下の歩田と兵山を使って藤岡を捉えようとしたのに間違えて修造を捕まえてしまったのだった。

それを跡をつけて来たメリットストーンの有田が見つけて藤岡と一緒に探す事になる。

その時修造は2人を相手に暴れて、その音に藤岡達が気がついた。

修造と藤岡は鴨似田マダムを読んで説教する事にしたが、なんだか説教しづらい女性が来た。

高級菓子折りを渡されて修造は頭をかきながらつい受け取ってしまった。

「色々誤解があった様で申し訳ございません」幸代はややくねりながら頭を下げた。

「藤岡さんには次のパーティーに花を添えて頂ければと思ってお願いしようと考えておりましたが、この様な事になってしまい申し訳ございません」

すると修造にアイデアが閃き、「奥さん、こいつ性格も悪いし足も臭いですよ」とわざと嫌われる様に仕向けた。すると藤岡が本気で怒って帰ってしまう。

修造の思いつきで藤岡への興味を薄れさせたものの中々藤岡には許して貰えなかった修造だった。

22.Preparation for departure https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/547

https://note.com/gloire/n/nb6c115cf9a12 (note79~81話)

もうすぐフランスに行く、世界大会のその日が近づいて来た。

最終調整の為

朝、修造と待ち合わせして電車に乗った。

もう何度となくこの電車に乗ってパンの修行に行き、そして帰る。

毎回困難な課題にぶち当たり、解決してまた一段階段を登る。

そうやって随分登った気がする。なのにまた次の段がある。

「今日は一から通しでやってみよう」

「はい」

「まあ理解を深めるって感じで」

修造はプレッシャーを与えないように軽そうに言った。

江川の目の下にクマができているからだ。

これから二人三脚でと言いたいところだが、シェフ側から見たら助手は同じ力では決して無い。

アルチザン(職人)

ブーランジェ(パン職人)

そしてその下で働く者はコミ(助手)と呼ばれる。

ちなみに「職人の・職人的な」はアルチザナルだ。

ブーランジェとコミは力のあり方が違う、だが心を合わせて頂上を目指すのだから同じ方を向いて力を合わせなければならない。

翌日ホルツに来た2人に、大木が「紹介するよ」と言って何人かを連れて来た。

「修造シェフ!ご無沙汰しています.いや~またお会いできて嬉しいです」

紺色のスーツを着た男が白い歯を見せて声をかけてきた。

「あ」見覚えがある。

「基嶋機械の後藤です。選考会の会場でお会いしましたね」

「修造、基嶋機械さんは今回の大会の後押しをして下さるからな」大木が基嶋機械がスポンサーになっていることを伝えた。

そして修造と江川は、この時初めて世界大会で着用するユニフォームを貰う。

江川は大喜びでユニフォームを着て基嶋機械のホームページ用の写真撮りに協力したが修造は苦手な様子だった。

カタログなどを持ってきた後藤と五十嵐と他数名がフランスに応援に来てくれるらしい。現地で知り合いが多いのは心強い事だ。

「よろしくお願いします」

修造も何度も営業の人達と話すうちにそんな挨拶が身についてきた。

そしてとうとう2人はフランスに旅立った。

23.surprise gift https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/556

https://note.com/gloire/n/n5b852bb0c530 (note82~83話)

フランスで2人を出迎えてくれたのはなんと鷲羽と園部だった。

2人のアパートに泊まらせて貰い、翌朝窓の外を見ている江川に鷲羽がこう言った。

「俺は今までお前のパン作りを見てきたよ。だからお前の底力も分かってる。俺の分も上乗せして修造さんを助けてくれよな。俺はお前を信じてるぞ」

「鷲羽君」

信じてる、、そんな言葉が鷲羽の口から出て来るなんて!

江川の大きな瞳がみるみるうちにウルウルしてきたのを見て鷲羽もちょっとウルっときた。

江川は鷲羽と握手して「ありがとう。そんな風に言ってくれて僕本当に嬉しいよ。今になって、鷲羽君は僕の事ずっと見てきた理解者なんだってわかった」

思いがけない鷲羽の言葉に江川が本気で感動しているのを見て「やめろよ照れ臭い奴だな」と背中を向けたら、話を聞いてニコニコして見ている修造と園部と目が合う。

「え、江川に喝を入れてただけですよ!」と言い訳した。

江川は鷲羽の「信じてる」と言う言葉に勇気を貰いました。

24.stairway to glory https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/568

https://note.com/gloire/n/n0f92e01b0282 (note84~86話)

とうとう前日準備の日が来た。

江川はこの前日の1時間の為に野菜と出汁を使った寒天のゼリー寄せを作る練習をしてきたのだ。そして包丁も研ぎ澄ませてきた。

材料がキチンと手に入ったのは下調べをしてくれた2人のおかげだよ。ありがとう鷲羽君園部君。そう思いながら江川は小さくガッツポーズをした。

そのあとは江川は素早い動きの邪魔にならないように生地の仕込み中の修造の欲しいものを用意したり、後片付けをしていく。

その様子を審査員がつぶさにチェックしていた。

1時間でクタクタだ。

明日どうなるかな?

きっと8時間マラソンみたいなんだろうな。

帰ったらもう一度スケジュールを確認しよう。

なんだか緊張でガチガチになってきた。

大会当日

後藤と五十嵐が声をかけにきた「修造シェフ、江川さんどうぞ頑張って下さい」

「皆さんのおかげでここに来れました。感謝してます。集中力途切れさせずにやります」

修造は決意の様な言葉を2人に対して言ったが、修造を取り囲む全ての人に対する誓いの様にも聞こえた。

さて、とうとう開始の時間を審査員長が告げた。

昨日の準備で手近に置いたラックに必要な用具は全て揃えてある。

例えば鉄板に敷く板や紙一つ、上に乗せるシートひとつとっても大切なのだ。

全ての作業が『これにはこれを』と決まっている。使う順に置いて上から使って使い終わると陰に置いた箱にしまう。

江川は修造の素早い動きに沿って、いるものを準備したりしながら自分の作業をしていく。

僕今修造さんと世界大会に出てるんだ。

いつもの練習と違う、本番中だ。顔が紅潮してドキドキするがいつもの練習を思い出して手を動かす。冷静に冷静に。

成形を済ませ、発酵した生地が焼きあがって行くと審査員達が厳かにテーブルに着く、

各国の選手が作るバゲット、ブリオッシュ、クロワッサンの審査が始まった。

バターの効いたブリオッシュは親方の言うところの『ぶちかましスペシャル』

生地の一本にラズベリー生地とマンゴーの生地を使ったカラフルな編み込みパンを作った。

クロワッサンはブーランジェリータカユキの那須田に教えて貰った月形のパリッとしたものを。

焼成後イメージ通りの出来栄えを見てホッとした。

ここからがこのお話の見どころ↓

各選手のタルティーヌがカットされて審査員に配られ出した。

それを見た江川が焦ってきた。

自分達のチームだけタルティーヌはまだできていない!

「もうカットしましょうよ」

「まだまだ」 

「まだ?」

「まだだ」

と言いながら

修造は編んだ竹墨の生地で包んだスペルト小麦の薄型のタルティーヌに朝仕込んだ豚肉の薄切りを挟んでスタンバイした。

「もういい?」

「まだ」

とうとう次は日本チームの番が回ってきた。

「よし!素早くカットして江川」

「はい」

練習の賜物だ。顔が引き攣ったが、江川はとても薄く上手に濃い味付けの方の8種の野菜のゼリー寄せをカットしてパンと※アイスプラント、ローストポークの上に置いた。竹墨配合の薄い生地の焼き立てに燻製のチーズを四角く切って素早く並べて格子状にしたものを斜めに立てかける。ゼリーにピンと角があるうちに修造は素早くそれを前のテーブルに並べた。それを係の者がカットして、ピールに乗せて審査員に順に配っていく。審査員達はピールに置いた現物の見本を見ながらカットされたパンを手に取り口に運んでから点数をつける。

固めに仕込んであるので溶ける心配はないが、時間が経つとゼリーの余計な水分が少しずつパンに染み込んでいくだろう。なのでぎりぎりまでカットしたくなかったのだ。

さあ!

ぼやぼやしてる暇はない。

とうとう江川と修造はパンデコレを仕上げる時間に差し掛かった。

まず土台を用意して着物の生地を貼り付けていく。

生地の接地面に水飴をつけてから帯やら編笠やらを修造得意の十字相欠き継ぎでしっかりと組み合わせる。それを冷却スプレーで固めていくのだ。

そのあと飾りをつけていく。帯の模様の違いを表面が平らになる様に付けていき、本体に後輪をつける。

「あと5分」の声が上がる

最後まで諦めない。

江川は練習しすぎて随分実力がつき、修造と言葉を交わさなくても同じように動き、2人で完成させた。

江川、ありがとうな。感謝してるよ。

修造さんは今、世界最速だ。

2人とも心の中でピッタリと気持ちが合っていた。

やる事はやった。

全力を尽くした。

江川と一緒に

25.Awards ceremony https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/580

https://note.com/gloire/n/n7a4fe9d1ca7f (note 87~88話)

審査員のパンの試食が終わった。

選手たちは控え室に戻って休憩する様に言われる。

修造は椅子にどかっと座って机に臥せながら、工程に反省点があるか考えていた。

そして顔を上げて言った。

「江川」

「はいなんですか」

「全部の工程でお前の世話になった事しか思い出せないよ。野菜のゼリーと言い、他の工程の全ても。俺の我儘を叶えてくれてありがとうな」

「僕、役に立てたなら良かったです」

「俺は俺の考えたパン作りの全てを思った通りにしたかったんだ。それが実現したのは江川のサポートのおかげだよ」

さっきまで目元が引き攣ったままだったので江川は目尻を摩ってマッサージしながら言った。

「本当に良かった」

さて、表彰式ではどんどんと他の国の選手が受賞してトロフィーを受け取っている。そんな中

ジャポネって呼ばれた気がする。

ワーっと日本チームの応援団から拍手が起こった。

大木に合図されて修造と江川は真ん中に立った。

自分達にライトが当たっている。

修造は透明のずっしりしたトロフイーを受け取った。

修造は表情を変えなかったが嬉しくないわけじゃない。空手の試合の時、勝った方は相手に敬意を表して、おおげさに喜んだりせず己を律しなければならない。

和装のパンデコレが賞を貰った。

「うわーすごーい!修造さん!おめでとうございます〜」

貰ってホッとした。

元の場所に立ってると今度は大木が江川に「おめでとう」と言った。

「えっ?」

「江川真ん中に立つんだ」

呼ばれてセンターに立ち、大木と修造が拍手する中、江川はトロフィーを受け取った。

「最優秀助手賞だ」

大木の言葉にびっくりした。江川の助手としてのサポート力が評価されたのだ。

「えーっ!僕が?みんなー!僕賞を貰いました〜」

うわーっと叫びながら、江川はトロフィーを高く上げて応援席に向かって叫んだ。

そのあと

オリンピックで言えば金銀銅のメダルと同じ授賞式が始まった。

3位の国、2位の国の名前が呼ばれて、1位はどこかしらとキョロキョロしていたら「ジャポネ!」と言うワードが聞こえた。

大木と通訳の人が大喜びして修造と江川を真ん中に連れて行った。1番高い台の上に立ち、修造は1番大きなトロフィーを受け取った。

バゲットを切り取った様な形の黄金のトロフィーを持って真ん中のライトを見ている修造の横で江川は大木とハイタッチして、両腕を高く上げて「やったー!」と大声を張り上げた。

全身に全部の拍手とライトを浴びた。壮大な音楽が鳴り響き、感動を盛り上げた。

色んな人におめでとうと言ってもらってありがとうを何度も言う。

うわあ嬉しい!僕このままライトに当たり過ぎて白くなって消えていくんじゃないかしら。江川は存分にライトを浴びて、修造の代わりに倍みんなに手を振った。

「修造、せっかく優勝したんだからもっと喜べよ」

修造はあまりに直立不動だったので、大木にそう言われる程固まっていた。

基嶋機械の後藤は大喜びで足が浮きそうな程だった、早速江川を作品の後ろに立たせ、写真を撮リまくった。

修造はそのあと、恩師のエーベルトと再会しました。

そして帰りの飛行機でこう言います。

「江川」

「はいなんですか」

「俺はドイツにいた頃、エーベルトに言われた事があるんだ」

「はい」

「修造よ、マイスターとは若手に製パン技術を教え、知識を教える立場なんんだよ。伝統的な技術や決められた製法を守るんだ。いつかお前もお前が教わった様に下の者に継承して行くんだ。ってな」

「はい」

「俺は日本に帰ったらそれを実現しようと思う」

「あ!僕にも教えて下さいね」

修造は江川をまっすぐ見て「そういう事だ」と言った。

26.Emergence of butterfly https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/586

https://note.com/gloire/n/n3271424619bb (note89~93話)

パンロンドでは修造と江川の祝勝会をする計画を立てていた。

このお話では、パン屋を巡って動画を撮る藤岡が、偶然河に飛び込もうとする由梨を助けたところから始まります。事件を解決して帰ろうと思った藤岡を由梨は追いかけて、パンロンドにも就職する事になりました。

27.the dough is alive https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/611

https://note.com/gloire/n/nc65d06f6797d (note94~97話)

修造と江川はNNテレビで世界大会に出た職人としてテレビに出ます。

江川はそこでパン好き女子の「小手川パン粉」と意気投合します。

収録中に司会進行の埴原が質問した。

「シェフの世界大会での思いと、これからの展望をお聞かせ下さい」

「自分はずっと自分のイメージした通りのパン作りをできるようにしてきたし、それを追い求めてきました。自分はパン作りに対してすごく我儘だと思っています。出来るだけ全力を出したい。今回もそれが実現したのは助手である江川のお陰です。微に入り細に入り手助けしてくれました。これからも自分と、自分の周りの人達のために1日1日を大切にパンを作って行きたい」

それを聞いた江川の顔がパッと赤らんで涙が溢れた。

「僕実家からパンロンドに来て良かったです。あの頃と今の僕とは全然違うぐらいパンの事を教えて貰ったし、僕も大切にパン作りをしていきたいです。修造さんと僕とは何度となく自分で最後の最後に自分のパン作りを見てみたいって言ってきました。これがこれからずっと先の展望だと思っています」

「お二人は肝胆相照らす仲なんですね」

埴原も桐田も目から涙が溢れた。

「このお二人なら最後まで極めて行って下さると思います」

28.some future https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/621

https://note.com/gloire/n/nf6cb15a53789 (note98~100話)

街で偶然律子と由梨があった時、律子は修造との馴れ初めを話しました。

結婚してすぐに修造がドイツに行くって言いだした時、凄く反対したわ。緑も小さかったし。

でも目の奥に覚悟が段々できてきて、絶対行くんだわって悟った。

5年間ずっと修造が帰ってくるのを待ってたの。

パンロンドで働きながら長女の緑を保育園に預けて、仕事が終わったら2人で帰ってまた次の朝が来る。

修造が大好きで会いたくて、でも意地を張ってメールの返信もしなかった。

ずっと後悔してるのよ。

追いかけていけば良かった

一緒にドイツで暮らせばよかった。

だからこれからずーっと一緒にいようと思ってるの」

はい」

「私達ね、山の上でパン屋さんをするの。修造がパンを作って私が販売して修造を支えるの。修造がパンを作ってる所がお客様にも見えるようにしようかな」

「素敵」

由梨は自分と藤岡の未来をちょっと夢見てみた。

「結婚って良いですね」

「ホント毎日が楽しいわ」

その姿は堂々としていて自信に満ち溢れ輝いてるように見えた。

子供達から必要とされる存在で、夫から絶対的に愛されている証拠のようにも見えた。

そんな時

法事の為、修造の実家に4人で帰りました。

ねぇ修造。ここにオーブンを置きましょうよ」と左の部屋で両手を広げて言った。「ここに工房」そして入口の土間を指差して「ここがショーケース」こっちに棚を置いてこっちに台を置いて」

と律子は張り切って言った。

「裏に畑を作って野菜を育てるわ、修造はそれを使ってパンを作ってね」

信州の実家が農家の律子は自慢げに言った。

「素晴らしいなあ。いい考えだよ律子」

今は昼間は別々だけどここなら昼夜なく同じ空間で一緒に過ごす事ができる。

俺の俺だけの工房で俺のパン作りをして、最愛の律子と毎日パン作りをここで。

二人は出会った頃の様に見つめ合った。

ここにいて2人で同じものを見て同じ様に感じて毎日を過ごして2人で歳をとろう。

ここら辺の湧き水は潤沢な硬水よりの水でパン作りに適してる。遠くに見える山の周りは牧場と農家が沢山あって良い材料が手に入る。

山を降りた所にある小麦農家と話して粉を卸して貰おう。

修造の夢はギラギラと膨らみ胸いっぱいになった。

外に出れば目の前は林の続く斜面でその下には広大な景色が広がり、その向こうはまた山が見える。その向こうは空だ。夕焼けが真っ赤になり何もかも赤く染まる。

ほったらかしの山だったがそこそこ手入れしてある「誰が手入れしてくれてるんだろう」そう独り言を言いながら鉈で細長く切っていく。2年後に使う薪窯様の薪を準備して工房ができるであろう場所に大量に積み上げた。

パンロンドに戻った修造は神妙な面持ちで親方の前に立って話しかけた。

「親方!俺、、」

うわ、ついに来たこの時が。

親方は修造の表情を見て悟った。

「修造、俺はお前に感謝しかしてないよ。お別れは寂しいけどお前ならどこででもなんでもやれる。応援してるからな」

「ありがとうございます」

「それとさ、あいつきっとついていくんだろ?」親方は由梨と一緒に楽しそうに分割をしている江川を見た。

親方、その事なんですが。俺と江川は店作りをするつもりです。でも俺、その後田舎に帰って一人で工房に籠るつもりです。それで江川には今までの感謝を込めて俺からのプレゼントを徐々に持たせようと思うんです」

「なるほどね。お前は本当にギブアンドテイクの男だよ。お前の思う通りにやってみろよ」

「はい」

「しばらくはまだ準備ができるまでうちにいるんだろ?」

「はい、すみません、勝手ばかりで。よろしくお願いします」

親方との話し合いで休みの日を平日に週2日にして貰った。手続きに動くなら平日の方が良いからだ。

家に帰って律子に親方との話を説明して、「あと2年待って欲しい。必ずその期間に開店資金を作ってみせるから」と頼んだ。

修造は律子に2度目の土下座をした。

「そんな格好やめてよ修造ったら、わかったわ。ダメって言ったらまたどこかに行っちゃうんでしょう?」

「そんな訳ないよ。山の上に行ったら律子と2人の時を増やす様に誓うよ」

その日から修造の頭の中は新店舗開設の事でいっぱいになります。

場所、開店資金、機械の購入などパン屋の開店は他の店の開店より結構かかるなんだろうなあ。

基嶋機械の営業の後藤さんにも聞いてみようかな。あの人なら何でも知っていそうだし。

あとは立地だな。。駅前の不動産屋さんに相談してみよう。

「どんな場所が良いかなあ」

マガジン100〜148話までは主に職場の人間模様が中心にお話が展開していきます。店を開く大変さや様々な人の生き方があります。

29.リーベンアンドブロートができるまで https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/643

https://note.com/gloire/n/ne750a5fa9a4c (note101~105話)

このお話は実際に店作りをするならと言う手順を考えて修造がもがいていく話です。成程こんな感じで開店するんだなと感じ取って貰えるとありがたいです。

勿論千差万別、色んな方法、色んなパターンがあると思いますが、若いシェフにとって本当に勇気がいる事ばかりでしょう。修造は不安と闘いながら開店の日を迎えます。

パン屋開業の為に修造は江川と一緒に色々な土地を探した。

「安くて交通の便が良くて人が通いやすい、広くて落ち着ける場所を。そこはきっと花が咲き乱れてみんなパンを食べながらほっと一息つける所。そんな場所を探そう」

そしてついに2人ともとても気に入った物件に巡り合います。

資金繰り、設計、補修、庭づくり駐車場作りなど山の様にやる事はありました。

もちろん店で働いてくれるスタッフも探します。

相談した基嶋機械の後藤は大喜びで協力した。実際この様な人が居てくれると心強い。

後藤は後々まで江川と懇意にする。

「あぁ」

借入金数千万円という金額にビビる。

何せ生まれて初めての事ばかりだ。仕事中ぐるぐる頭を心配事が巡る。

その横で杉本が呑気に昨日観たテレビの話を楽しそうにしている。

こんな心境の時には呑気な奴や呑気な CMなんかを見ると心から羨ましい。

こっちは審査が通るまではそれどころじゃないんだ。

眉間に皺を寄せて製造を続ける。

仕事しながら親方を見た。

親方も同じ思いを創業の時にしたんだろうな、まだお給料が貰える状態で良かった。

ホッとしながら親方の懐のデカさに感謝する。

そしてとうとうパンロンドから去る時がきた前日。

江川と修造はパンロンドの閉店後、2人だけで裏口から入ってきた。

「さあ、始めようか」

「はい」

2人は今までの感謝を込めて工場の機械を掃除しに来た。

デバイダー(分割丸め機の事。真ん中の赤いレバーを下げると生地に30個分のスジがつく。その後1番上のレバーと下についているレバーを同時に下げると機械が回転して生地が丸々仕組み)を手入れしてピカピカにしながら今までのみんなとの思い出を振り返えって涙が出てくる。

「みんなありがとう」その言葉は人にも機械にもかけられた。

「江川」

「はいなんですか」江川はオーブンのガラスをピカピカにしながら応えた。

「ここで色んな事があったな。色んなパンも作ったし」

「今までで1番楽しかったのはなんですか?」

勿論律子との出会いなのだがそれは恥ずかしいので他のにする「親方と2人でヘクセンハウスを夜中まで作ったり、みんなと催事に出たり色々あったな」

「じゃあ1番辛かった事は?」また律子を置いてドイツに行った時の事を思い出したが他にも色々ある。

修造はがっくり頭を下げてから言った「おれ、ここに来た当初はめちゃくちゃパンを焦がしたんだよ。ブザーがなったから開けてみて、もうちょっとだなと思って閉じたらタイマーの追加を忘れて結局全部焦がしたり。でも親方が全然俺を責めないんだよ。俺はそれが1番辛かったな」やるせなくそう言った。が実は半分は律子に見惚れていたからだがそれも内緒だ。

「俺は親方が大好きなんだよ」

江川はわかりますと言った感じでうんうんと頷いた。

2人で思い出話をしながら夜中まで機械の手入れは続いた。

工場が綺麗になって2人は働いていた場所に一礼した。

「明日でパンロンドともお別れだな」

修造の言葉に江川も感極まった「はい」

そして2人は涙ながらにパンロンドを去り、新しい店作りに専念します。

機械搬入の後、後藤が修造に言った言葉があります。

「ここまで来るのに色々あったからお疲れでしょう」

後藤は修造の顔を見て「色々心配が尽きませんが大丈夫!もうダメだと思った瞬間また他の所から助けがやって来る、商売ってそういうものですよ、私はそんなシェフを何人も見て来ました」とベテランの営業マンらしい事を言った。

「悲喜交々、これから色んな事があると思いますが、お二人で力を合わせていってください。何か困ったら直ぐにこの後藤を呼んでくださいね」

閉店開店

後藤はその度に立ち会いその『色んな事』を見て来たんだろう。

「これからも力になって下さい」修造は頭を下げた。

修造は細かく何がいるか計算するために粉屋とか資材屋、包装紙屋などに貰った見積書をもう一度見直して計算してみた。そして人件費、光熱費、社会保険料、税金、その他諸々。

「全然足りないじゃないか。開店の時は行列を見越して大量仕入れしないと。こんなんでやってけるのか?」そう言いながら仕方ないなんとか回していかないとと覚悟を決める。初めの売り上げを支払いに回していくしかない。

そこにメリットストーンの有田から電話がかかってくる。

修造さん、鴨似田フーズのマダムがあの時ご迷惑をおかけした事を反省されていますし、波風が立たない様にして下さった事をいたく感謝されておりまして、御開店の時の材料等3ヶ月分をお使い頂きたいとの事です」

「え!」

「私が繋ぎ役を買って出ました!」

「俺、絶対良いものを作るんで感謝してるって言っといて下さい」修造は頭を下げた。

このチャンスを無駄にせず全て美味いパンに変えるぞ!

そう固く誓う。

さて、プレオープンの前に2人で試し焼きを夜通し続けた。

「今日は従業員さん達が初めてリーベンアンドブロートで作業を始める日ですね」

「うん」

ここまで長い長い道のりだった。


だが今日からが本当の始まりだ。



「江川、外に出ようか」

「はい」

窓の外が明るくなり、空が赤く染まって来た。


2人は駐車場の入り口から敷石とその向こうの店舗を見ながら言った。


「やっと俺達の店ができたな」

30.リーブロプレオープン  https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/653  

https://note.com/gloire/n/n1aabfc551a0c(note106~110話)

新しくお店を構える時

それが初めての時

様々なトラブルが起こる。

そしてそれは大抵お客様の目に入らない裏側で起こる。

3日後にプレオープンを控えていてその件でNNテレビのディレクター四角志蔵がやって来た。

「どうも修造シェフ、想像を超えた良い店ですね、都心からは遠いですが広くて癒しの空間ができている。外のベンチに座って美味しいパンをのんびり食べてピクニック気分を味わえる」四角は店の入り口に立って周りを見渡した。

テレビでも紹介しで貰って開店準備はバッチリだ。

さて、プレオープンの準備の真っ最中

工房の中からボールや麺棒が落ちた様な音が聞こえてきた。

ガラガラバーン!

「なんだ?」修造が見に行くとオーブンの前で西森と大坂が摑み合いの喧嘩をしている

「やめてやめて!どうしたんだ一体」

「こいつがパンを焼くタイミングが遅くて」

「お前が速いんだ!まだ発酵してないだろ!」

その理由で掴み合いの喧嘩になるのか?

「とにかく落ち着いて」

「もういいです!こいつとは仕事できません」西森が2階に上がった、きっと帰る為に荷物をとりに行ったんだろう。

「私見てきますから」立花が追いかけて行った。

西森は帰り大坂は反省しだした。

そこに登野が体調悪いと欠席の連絡が。

江川が代わりに入った。やれ忙しい。

和鍵と平城山は同じ台の上で作業していた。2人は気が合うのかおしゃべりしながら成形している。もう2人も欠けてるのにこの呑気さはなんだろう。目の前にいてる江川には不思議な光景だった。

「あのさ、お話をしたらいけないとは言わないからもう少し早く手をうごかさないと、ね」結構優しく言ったつもりだったのに2人の表情は急に引きつってそれ以降何も話さなくなった。

江川は急いでデニッシュとクロワッサンの成形を済ませてホイロへ入れた後、本来の自分の持ち場に戻りミキサーで生地を捏ねだした。

さっきの2人は江川を見ながら何か言っていた。

そのあと平城山は急に辞めてしまい、和鍵はしつこく江川に辛く当たる様になる。

31.ロストポジション https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/682

https://note.com/gloire/n/n1989743c2bab (note111~119話)

私辞めます!明日から来ません!

平城山にキレた感じで言われ、次の日から本当に来なかった。

修造は一旦平城山の為に出した社会保険や労働保険、住民税などの届け出を今度は異動届として出した。

「こういう時は日割り計算なんだな」給料計算をして、その後欠員補充の為に求人広告雑誌掲載の依頼を担当の人にメールしながら頭をよぎる。

きっと他のパン屋の面接を受けるんだろう。

サインをしようがハンコを押そうが知ったこっちゃないんだな。

「規則とか罰則なんて辞めたくない者の為のものなんだ」

修造は初めてその事を知った。

一方

日に日に和鍵の江川に対するイジメは酷くなる。

江川は最近リーブロのある笹目駅の近くに引っ越してきた。

自分のマンションに向かい自転車を漕ぎながら涙が止まらない。

あの時と同じだ。

高校の時と。

僕だけみんなと違うのをみんな意識してる、中には和鍵さんみたいに僕の話し方を真似する失礼な子もいた。

そして江川はリーブロに来なくなってしまった。

そんな時カフェの岡田から物が無くなると知らせがあった。

修造は各方面に目配りしないといけないんだと気づく。

修造はパンロンドの親方に相談に行きました。

俺も始めはそんな感じだったな。遅刻ばっかしてくるやつを叱りつけて首にして、そいつが逆襲に来てお前に迷惑かけた事もあったな。色々あったが佐久山と広巻みたいに気の合う奴と出会ってあまりでかい不満もなく続けられたよ。若い時は佐久山はギャンブルばっかりしてて、広巻はのんべぇだった。いつ飛んじまうかわからないなあと思ってたらお前が入ってきて、途中で中抜けしてドイツに行くって言った時から2人ともちょっと表情が変わったんだよ。ヨレヨレの格好してたのも治ったな。仕事の事で更に高みを目指すなんて奴はあいつらの人生で初めて出会ったんだろうよ。戻って来て世界大会に出て、、、

それを見てるうちに段々仕事に前向きになって来て、飲んだり打ったりするのも減ってきた」

そしてうんうんとうなづきながら続けた。

「俺にもあいつらにも良い刺激になったんだよ。江川も続けてればまた気の合う奴が巡ってくるって。仕事のリズムを掴めない奴には一緒にやって褒めて様子を見てやるしかないのさ。そしたら自分で出来るようになるってもんだ。大変と思うけどな」

「はい」

修造は帰り道歩きながら考えた。

そうか

俺が親方夫妻みたいになって江川と一緒に色々とやりかたを考えてやらなきゃいけないんだ。

俺も変わらないと。

江川が育つまで俺が奥さんと親方の2人分をやらなきゃ。

修造は事務の時間を夜に回して職人達と一緒に仕事をして、出来るようになるまで面倒を見た。

出来るようになると「そうそう!その感じ」と励ましてやる気の出る様に努力した。

岡田からは店のものがなくなるのは閉店から開店迄の間なんだと知らされる。

そこで店に2台防犯カメラを取り付けた。

その夜

雨が激しく降っていた。

修造は江川の住んでいるバンブーグラスマンションを訪ねた。

「あ、修造さん。すみません休んで」

「江川、大丈夫か?痩せたんじゃない?何かあったんだろ?俺にも教えてくれよ」

江川は全て言いたい気持ちをグッと抑えた。今まで言わなかった事を改めて修造に言うのは恥ずかしくて耐えられない。「なんでもありません」と言う言葉と裏腹に涙が止まらない。

なあ、頼むよ、江川だけが辛いのは俺も辛いんだ」

「僕、みんなと違うんです」

「何が」

「話し方や服装とか」

「俺だって違うぞ、ダサいし話も苦手だし、それに比べて江川はオシャレで明るいだろ?」

その時初めて修造が自分の事をそんな風に思ってた事に気がついた。

「仕事がキツイのか?それとも和鍵さんが原因?」

「僕、和鍵さんに言われて、昔のことを思い出して身体が動かなくなったんです」

「昔?」

「高校の時の事です」

「不登校の事?」

「はい、また和鍵さんに会うのは怖いです。しばらく休ませて下さい」

「わかったよ江川。仕事のことは心配するな。疲れが溜まっていたせいもあるんだろう、ゆっくり休めよ」

「すみません」

こんなやりとりがありました。

そして修造は大木の元を訪ねます。

「よう、こないだは散々だったが練習したらちょっとは上手くなるって」大木は全てスライスする修造のゴルフを思い出して言った。

「俺、ゴルフは向いてなくて」

「クラブフェースが開いてるんだよ、肩の位置とグリップを直しゃいいんだよ」それは何度も言われたが治る気がしない。

「ご相談があって」

「なんだよ」

「シェフは大勢の職人を束ねていますが、どうやって軌道に乗せてるんですか」

「軌道」と言って大木はそばにあったケーキ用の回転台に試し焼きで余っていたクッキーを等間隔に乗せた。

そしてそれを太い指で素早く回すとクッキーは振り落とされて数個残った。

「早く回しすぎるとポロポロ落ちる、ま、丁度良く回す事だな」

「はあ」抽象的な事を言い出した。

「分からんでもないだろ?」

「はい、なんとなく」

「何を困ってる?やってみると大変だろ?」

図星で何とも言い難い。

「あちこちボロボロです」

「お前は全体を見なくちゃならんからな、一つのことに執心すると他が疎かになる。全体を満遍なく見るんだ」

「江川がいじめにあってる様なんです、中々俺の前ではどちらの様子もハッキリしなくて」

「お前な、いつまでも江川のおもりをするつもりか?もっとしっかりした奴だと思うぞ。あいつに自分で何とかさせるんだ。そんなことであいつを独り立ちさせようったって無理だろ」

「はい」

大木にはっきりと言われて今後の課題を言われた気がする。それは自分自身への課題でもあった。

さて

修造にはもう一つ困ってることがありました。

レジと品出しの姉岡が段々反抗的な態度をとる様になって来ました。

その他にもお店の事を仕切り始めてこちらに聞かずに勝手に行動する様になってきた。

なんなんだ姉岡さんって。

修造は工房からしばらく姉岡をマークすることにした。

これ見て下さい」中谷のスマートフォンを覗いて店の評価が載ってるサイトの細かい文字列を読んだ。

「あ!」

『リーベンアンドブロートのシェフって奥さんと生まれたての子を置いて外国に行っちゃったんだって。酷いエゴイスト』

別に炎上してるわけじゃ無いけど気になるし傷つく。

「なんなんだ、これ」

「店のエゴサしたらこんなものが出てきて。酷いですね。書き方に悪意を感じます」

「本当だ、中谷さん教えてくれてありがとう。俺こういうのに疎くて」

「また何かあったら言いますね」

「うん」

家族が心配だ、また律子に迷惑をかけてしまった。

その夜

修造は久しぶりに家に帰った。

「修造おかえり」

「ごめんね中々帰ってこれなくて、子供たちは?」

「もう寝てるわ」

愛妻律子とただいまのハグをして、修造は今日の事を話した。

「律子ごめんね、迷惑かけて」

「そんなに謝ってばっかりしなくてもいいのよ修造」

律子は修造の顔を覗き込んだ。

修造、疲れてる。クタクタなんだわ。

なのに無理してる。

こんな修造見たの初めて。

修造はいつだって情熱に燃えて生きてきたのに。

律子は膝枕をしながら修造の言っていた店の評判を調べた。

これね

フン

エゴイストですって?

他人に私達の何が分かるって言うの?

バカみたい。

「私達こんなの全然平気よ、これってお店の評判を下げようとしてるのよ。そっちの方が心配だわ。気を付けてね」

気丈夫な妻律子は嫌がらせを一蹴した。

小手川パン粉はずっと仕事を休んでいる江川のマンションを訪ねました。

「ねえ、江川職人、何か困ってる事があるんでしょう?私にも分けてよ。でないと私も辛いよ。話してくれない?」

「うん」

江川はしばらく黙ったあと話し出した。

「僕、周りの人と違うんだ同級生の誰とも違うんだ。男とも女とも」江川はパン粉に心情を打ち明けた。

「今もそうなんだ、みんなの事が大好きで仲良くはできるけど愛とか恋とかっていう気持ちがないんだ。ひょっとしたら誰も愛せないまま終わるかもしれない。だからってみんなが嫌いなんじゃないんだ。修造さんやパン粉ちゃんの事が大好きなのにそういう事とは少し違うんだ」江川は両手を握りしめた。

「僕は僕の事がよくわからない、身体は男だけど男でも女でもないんだ」

パン粉は泣いてる江川の頬を両手でそっと包んだ。

「僕にはそれをどうすることも出来ない」

「ねぇ江川職人、別に誰かを好きになったり結婚したりみんながしてる訳じゃないじゃ無い?1人の方が気楽って人もいるし、今って前よりも色々な選択肢があるのよ。男だからとか女だからとかもうどうだっていいのよ」

そう言いながら両方の親指でとめどなく流れる江川の涙を拭った。

「まだ出会ってないからなのか私にはわかんないけど。恋愛なんて言葉、それだけが人生じゃないもん。今の世の中って別に誰とも結婚しないでも良いし、ずっと1人で生きてる人も沢山いるのよ。自分だけが孤独とか1人って訳じゃないよ。自分の分類みたいな事は誰にもして欲しくない。自分の事を誰にも決められたくない。人は人よ、その人達が勝手に自分と違うとか思ってるだけ、江川職人は江川職人なのよ」

「パン粉ちゃん」

急に江川の目の前がパッと輝いた。

今までどこにもなかった道が急に見えた様な気持ちになる。

「私は江川職人と出会って良かった。この間みたいにさ、また映画に行ったりカフェに行ったりしようよ。私達友達でしょう?まだまだ見てない事や知らない事が沢山あるのに勿体ないじゃない」

「パン粉ちゃん」道が開けたのと同時に今まで探していた宝箱まで見つけた。そんな気持ち「本当にありがとう」

「私本当の名前は瀬戸川愛莉って言うの」

「そうなんだね、愛莉ちゃんって呼んでも良い?」

「うん、卓ちゃん」

「私達の未来って私達が思ってる程決まってないじゃない?これからの事は誰にも分からない、でも私達が親友って事、それだけは確かよね」

2人は手を握り合い顔を見合わせてウフフと笑った。

そうか

僕自分の事を型にはめようとしてはみ出してるのが辛かったんだ。

こんな風に思ってくれる人も居るんだ。

「僕愛莉ちゃんと居る時とても気が楽だな」

「私もよ、だって私達親友じゃない」

親友というとても素敵な言葉に江川は凄い強いアイテムを受け取ったような気がした。

心に温かい何かが芽生えた。

「修造さん」

「あっ!江川!」

「修造さんすみませんでした。僕もう大丈夫です。それで、パン粉ちゃん、瀬戸川愛莉ちゃんがテレビや取材のない日にお店で働いてくれるって言うんですが良いですか?」

「うん、助かるよ」

修造は江川をめちゃくちゃ心配していたが、江川が自分で乗り切って表情も変わったのを見て心からほっとした。

「俺、心配で」

「すみません」

ごめんなさい修造さん。大変なのに迷惑とか心配とかかけちゃったな。自分で店をするのってこういう「人」の事は避けられないんだ。常に色んなことが起こって、人の入れ替わりも当たり前なんだ。パンロンドが安定感ありすぎてわからなかっただけなんだ。昔は当たり前だった事が全然無くなって、常識を守るっていう意識も薄くなって自由になったんだ。

数ヶ月前の僕はパンの世界のキラキラした物を修造さんと一緒に追いかけていた。

江川はトロフィーを手に取った。

ずっしりと重い。

これを受け取った時の気持ちを忘れないようにしなくちゃ。

「僕もう平気だよ」

そして江川は和鍵にコルネ対決をして打ち勝ちつ。

先に出来上がった江川は

はい!僕できたよ」とはっきり言い放った。

その声を聞いてからやっと和鍵は全てを並び終えた。

「初めからふたつをセットで持って並べやすい様に、向きを決めて並べていけばすごく早くできるんだ」

途中から戻ってきて黙って見ていた修造が口を開いた「何度も何度もやってるうちに気がつくことが沢山ある、それが経験値なんだ。そうやって色んな経験値を積んでベテランのパン職人になっていく。普段江川が仕事が早いのは材料を戻すときに次の材料を順に重ねて持ってくるからだ、当たり前の事だけど仕事の中に工夫を重ねることが本物の『時短』だ」

それを聞き終えて、負けた方の和鍵が「いいわよ別にやめればいいんでしょ?」と江川に言った。

「違うんだ和鍵さん、僕達せっかく一緒の職場にいるんだ。僕達修造さんの為に協力してやろうよ。明日からも一緒に仕事してよね」

「えっ」それを聞いて修造は感動していた。

江川、俺は嬉しいよ。

お前の事をみくびってたよ。

お前はきっと素晴らしいパン職人になれる。

その夜

修造は防犯カメラの音量を上げてから録画をチェックした。

そしてとうとう犯人を捕まえる。

姉岡が返済の為に店の商品を売り飛ばしたり、店が忙しすぎるので暇にする為にネットに炎上しそうな事を書き込んでいたのだった。姉岡は自ら辞め、修造は岡田に顛末を報告しに降りた。

「こういうのって追跡が大変なので助かります」

「ありがとうな、ほんとに」

「いいえ」

修造は一見クールで何を考えてるのかわからないのに滅茶苦茶頼りになる岡田という青年を心から信頼していた「何かお礼できないかな」

ところで

修造はみんなが働いている工房や店の様子を見ながら仕込みをするのが習慣付いてきた。


和鍵は江川に負けた後もずっと来ている。その次の日も次の日も。そして訴えると言う事は無くなったし、もう江川には以前のような事は言わなくなった。

今はなんと江川が和鍵の面倒を見てやっていて和鍵もそれに付いていってる。



人の心って不思議だな

それぞれの考えや環境も違う

那須田シェフの言う通りだ

結局みんな人それぞれの理由がある



ひとつひとつ解決していくしか無いんだ。



そうだ

今後の事も考えて

有無を言わさぬ立場にしちゃおう

岡田を店のリーダーにして、江川を株式会社リーベンアンドブロートの専務にするぞ

この店の為に2人で力を合わせて貰おう

修造はそれを印刷して掲示板に貼った。江川は専務、岡田は店長だ。



早朝



「修造さん」

外に出てホースで花に水をやっている最中の修造の所に江川が走って来た。

「何だよ専務」

「ぼ、僕専務ですか?」修造が貼り付けた辞令を持っている。

「そう!頑張ってくれよ専務」

「は、はい!」



江川と2人高速道路の向こうから登ってくる朝日を見ながら言った。

「まだまだこれからなんだから」


32.満点星揺れてhttps://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/716

https://note.com/gloire/n/n1e29cabc0855 (note120~124話)

修造の息子大地が1歳のお誕生日を迎える。
修造は大喜びで渾身の一升パンを作った。

それを見ていた焼成担当の大坂と森田は

大坂と森田は2人でバヌトンというカゴから生地を出してスリップピールに並べながら話し合った。

「結婚かあ、俺はいつか結婚とかする気がしないなあ」森田が言うと「俺なんてしばらく彼女もいないのに」大坂が答えた。

「身近な女性は?」

「いないよ全然」

「前の所は社内恋愛禁止だったよ」西森が思い出して言った。

「社内恋愛ってどうなるの?」

「上司に呼び出されて色々聞かれて1人移動になってたよ」

「えっそうなの?一店舗しかないと移動もできないね」

「気をつけよ、というか今は恋愛とかする人も少ないんじゃない?」

「そうかなあ」

立花が「はいこれ、話に花が咲きすぎよ」と注意してきた。

「すいません」と西森と大坂は頭をペコっと下げて立花が渡してきたナスと鶏のタルティーヌを受け取ってオーブンに入れた。

黙ったまま作業して大坂は思った『立花さん素敵だなあ、いやいや社内恋愛はいけないらしいし。立花さんと付き合ったらどんな感じかな。やっぱ俺頼りないから叱られたりするのかな。こら!いけないぞ!なんてな』大坂は馬鹿みたいに1人顔を赤らめた。

その頃


由梨は両親の経営する『花装』が出店している浴衣イベントで手伝いをしていたが、藤岡の探し求めていた女性立花がリーブロに勤めているので足が向いてしまう。
藤岡さんは立花さんを探してパン屋さんを一軒一軒訪ねていました。その事はご存知でしたか?」

「いいえ、知らなかった。あなたはその事を知ってるのね」

「はい、だからって私達何もありません。藤岡さんはここで立花さんを見かけてから様子がおかしかった、今の立花さんみたいにこのベンチに座り込んでいました。でもその後藤岡さんが何を考えていたのかはわかりません」

「だからここに来たのね」

「長い間パン屋さんを見て回るのは大変だったと思います。それがあの人の気持ちです、もしご存知無かったのなら言わなくちゃいけないと思って、その事を伝えたくて来ました」

「貴方はそれで良いの?」

立花は由梨の気持ちを汲み取って質問した。

よくはない、よくはないが

このままにして良いのかもわからない。

由梨が困っていると立花が「わかったわ、一度藤岡くんと話してみるわね」と微笑んだ。

由梨から見た立花は凛とした立ち居振る舞いの素敵な大人の女性だった。

帰り道百日紅(さるすべり)の花の咲く駅への道を歩きながら「私は何をしてるのか」と情けなく思う。

そんな訳で立花は駅前のカフエで藤岡と会うが、結局時間が藤岡は由梨が自分の運命の相手だと言い出す。
それを見ていた大坂は立花を慰めるが立花は大坂を突き放す。

後日
由梨と藤岡は二人になるチャンスが出来た。
二人ともしばらく話さずに黙って歩いていたが、由梨が「あの、私勝手に立花さんに会いに行ってすみませんでした」と切り出した。

「うん、その後こちらからリーブロに連絡して会って来たよ。話してる間に自分の気持ちを確かめられたかな」

「え」

それは立花への気持ちを確認したのか。

それともどっちの意味なのか。

「あの、以前」

「うん」

「自分が辛かった事や今の自分の気持ちもちゃんと言えるよ」って藤岡さんは私に言ってくれました。もし辛かったらそう言って欲しい。気持ちをちゃんと言ってください。どんな言葉でも良い。真実が知りたいです」

「俺の実家の庭には満天星躑躅(どうだんつつじ)があるんだ」

「どうだんつつじ?」

突然花の話をし始めた藤岡の表情をじっと見ていた。

「そう、初夏に白い花が沢山咲き誇って揺れているが、秋になると葉が燃え盛る様に真っ赤になる」
由梨は満点星躑躅の様だ。たおやかに揺れていると思えば情熱的な一面もある。

「この木が好きでね、『私の思いを受けて』と言う花言葉もある。秋になると真っ赤になるから満点星紅葉(どうだんもみじ)とも呼ばれている」

そう言ったあと、由梨を見て微笑んだ。



「由梨ありがとう。心配かけたけど、もう終わった事だったんだ。探し求めていた人に会うのが怖かった。そして立花さんに結果的に嫌な思いをさせてしまった」
だけどその後、心の中にできていた固い砂の塊が時間が経つにつれて段々パラパラと解れて無くなっていった。

あれ以降

俺の中で

何かが変わった

新しい俺に

小麦と水が出会って自己融解を起こす。

由梨と俺の心が溶け合って

そして藤岡は湖のほとりのパン屋に立ち寄り、美しい眺めの中由梨に交際を申し込みました。

33.パン屋日和 https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/731

 https://note.com/gloire/n/naba2ab4aaaad (note125~129話)

「パンが沢山売れるのは晴天の日とは限らないんだ。今日みたいに25度前後で少し曇ってると買い物してる奥さんは「まあこのぐらいの気温で天気なら買ったものが痛まないからゆっくり帰れるわよね」と言うわけで、いつもより店内をゆっくり回って多めにトレーに入れる事になる。俺はそれをパン屋日和と呼んでいる、まさに今日みたいな天気の事なんだよ江川」と秋口にお客さんで溢れ返る店内を見て修造は言った。

江川も確かにそう言われてみればその通りだと思った。夏場や冬場はテラスもあまり使われていないし、春や秋はすごくのんびりしている。

そう言うのも含めてパン屋日和だ。

「じゃあかき氷日和とかたこ焼き日和とかもありますね」
「だな」
そこに70歳ぐらいの女性が声をかけて来た。
「お医者さんに糖質を減らせって言われてるのだけど何がお勧めなのかしら」

色々と迷っていたらしいので、修造はSAUERTEIG-ROGGENBROT MIT FRÜCHTEN UND NÜSSENと言うフルーツとナッツの入ったライ麦パンを選び、岡田にパン切り包丁とまな板を貰ってテーブルで薄くカットして一切れ渡した。
「あまり馴染みがないかもしれませんが、ライ麦パンは低GI食品と呼ばれていて血糖値の上昇が起こりにくい。ミネラルや食物繊維も含まれていて、ドライフルーツはマグネシウムやカリウムなどのミネラルを多く含んでいます、そしてナッツもミネラル、食物繊維、不飽和脂肪酸が含まれている。これを食べたから健康になれるとは言いませんが、お腹が空いたらこれを食べるのは良いことかもしれません」修造は普段無口だがパンの説明になると饒舌になる。

「そうなのね」と言って渡されたパンを食べてみた。

思っていたより固くなくて生地には水分が多く、パサついておらず酸味が旨味に感じられ、それがマッチしてフルーツとナッツがより美味しく感じられる。



「あら、美味しいわ」ご婦人は修造が気に入った様だった。婦人は笹目市長のお母さんだった。市長はイベントで修造の飾りパンを飾りたいと申し出た。
市長のお母さんの為なら頑張りたい気持ちはある、だけど他にもっとあるだろう、ブロンズ像とか油絵とか。と言いながら修造の中ではアイデアが大きく膨らんでいく。

頭の中でどんな形でどんな大きさで、どこに置くんだろう、どんな人が見るんだろうなどなど考えが止まらなくなっていく。

そして作る工程を考え出すともう止まらない、イラストを描いてここのパーツはこんな風にして、ここはこんな色にして。



そしてとうとう作り始めてしまう。

そんな時、従業員になりたいと言う江川の知り合いからの電話を受け取る。「一人は製造もできて事務もできるの?有難いなぁ!そして仕込みの専門と焼きの専門がいるの?すぐ面接に来てよ!」

と電話を切って江川に知らせた。

「僕の知り合いですか?」

パンロンドかベッカライホルツの職人しか知らないので、誰かと思っていたら「あっ!塚田さん、三田さん、辻さん」以前(イーグルフェザーと言うお話で)鷲羽とヘルプに行ったベークウェルと言うパン屋で知り合った職人達が入って来たので江川は大喜びだった。

三人は江川を囲んで再会を喜んだ。

それを見ていた修造は江川にとって良い環境になって来たと安堵していた。

そんな訳で修造の芸術作品は公会堂のイベントに飾られる事になった。

沢山の人に分かりやすい物をと考えて、パンのヴィーナスというテーマにする。

生命の息吹と未来への羽ばたきだ。

しかし修造のイメージを実現化するにはパーツの数が半端ないしとにかく重くなるだろう。それを支える為に土台も重くした。

「完成してから運んだんじゃ壊れそうだから現場で組み立てたいんですよ」

修造は秘書に電話した。

そしてイベントの何日か前に土台を現場に運んだ。

イベント会場は公会堂の外にあり、舞台と観客席がある。その上の大きな屋根は白いテントでできている。仮設ではないのでそこでは度々音楽ショーや野外映画会などが行われている様だ。


今回は地域おこしのイベントなので、リーブロはその町にある店という事で修造のパンの作品(パンデコレ)は舞台の後ろの真ん中に飾られる。
土台の形は修造得意の組み立ての技法で複雑な形を成し、細かなパーツは執念によって作られ組み立てられた。宝石の様な色合いは色を変えた飴細工によって成されていて、輝きを添えている。

イベント当日、「あの、田所と言います。リーベンアンドブロートは生活とパンと言う意味で名づけました。毎日の生活にパンは欠かせない、そこには色んなライフスタイルがあって、色んな場面で色んなパンが食べられている。縁あってこの笹目市に店を構えたんですから、地元のお客さんの生活にリーベンアンドブロートのパンを取り入れて頂けたらと思っています。パン屋さんの仕事は過酷と思ってる人が多いかも知れません。たとえ作ってる所が誰にも見えなくても出来たパンがお客さんといい出会いがあればそれでいい。これからも俺はその為に努力を惜しまないつもりです」
と言って頭を下げた。


剛毅木訥、仁に近し

修造は頑張った。

嵐が近づいて来た。
飾りパンが心配な大坂、立花、和鍵は舞台に設置してあったパンの女王に衝立を取り付けに行ったが、飾りパンが倒れて和鍵は怪我をしてしまう。

和鍵の両親は病室で修造を責め立てるが、和鍵は両親を追い出してしまいます。
「今俺を庇う為に辞めるって言ったんだろう。本心じゃないじゃないか」

「いえ、もういいんです」

和鍵はそれ以降、下を向いて何も言わなかった。

大切と言った事に返事が欲しかったが、聞かなくても分かっている。修造にとって律子が一番なのは見ていて分かる。

病室で一人窓の外の吹き付ける風の音を聞きながら「もう色々無理だから」と呟く。

修造は両親の所に行って和鍵の作ったミッシュブロートを見せた。しかし二人とも話が通じない「問題をすり替えないで下さい。本当の事に目を背け過ぎだ。そんな発想子離れしてないのが原因でしょう。娘さんは職人として自立しかけている、俺はその事を話しに来たんだ。その為にパンを見せたのに」修造にすれば自分のところの職人を大事に育てたいからやってきたのに。

「このまま和鍵さんが成長するのを邪魔してばかりではうちも辞めてご両親とも上手くいかなくなるんじゃないですか?もう変わらないといけない所まで来てるんですよ。あなた達が捻じ曲げてきた結果でしょう」

二人とも黙ってしまった。

心当たりがあり過ぎて困っている様だ。

「俺は明日和鍵さんともう一度話してみます。今日このパンを前にして、今後の事をよく考えてみて下さい」

そう言って出て行った修造をそのまま見送り2人ミッシュブロートを前に座る。

「希良梨は大人になってきたんだな。あの男がさっき希良梨は段々変わって仕事に向き合ってると言っていた」

「そうね」

「あの男の言う通り私達も考え直さないといけないな」

和鍵の父親はパンを母親に渡した「これを切ってくれよ。希良梨の作ったパンだ」

「そうね、頂いてみましょう」

和鍵の母親はパン切り包丁でカットしたミッシュブロートを皿に乗せてだした。

クラストは力強く、クラムはしっとりとしている。

「美味しいわね」

「そうだな、こういうパンって固いと思っていたが意外と甘いもちもちした食感なんだな」

「これを希良梨が作ったのね。私達あの子を子供扱いして、気持ちも良く聞かずに決めつけてた所があったわね」

「段々色んな経験を積んで大人になっていくんだな」

二人は生地の断面を見ながらしみじみと言った。

嵐が過ぎ去り修造と江川は飾りパンの補修をしていた。
急に江川が打ち明け話を始める。

「僕本当は男の身体なのになんだか男でも女でもなくて、それで心が不安定なんです。愛莉ちゃんだけがこの事を知っています」

「うん?」

修造は手を止めて頭の中でもう一度江川の言う事を復唱した。

修造にとって予想もつかない事だった。

「そうだったんだ。俺は鈍いから江川の悩みを全然気が付いてやれなかった。きっと辛かったんだろうな。だけど俺にとって江川は江川なんだ。今までと変わらず接するよ。教えてくれてありがとうな」

「僕もこれからもずっと今まで通り修造さんとパンが作りたいです。面接で修造さんと初めて会った時、修造さんは丁度生地を捏ねていて、凄く無心で誰が自分の事をどう思ってるかとかそんな事関係ない生き方もあるんだって思いました。僕もそんな風にに生きられたら良いと思います」

これからもと聞いて、修造は2年でお前を一人前にする計画を練っているんだからと心の中で思った。

「ふふふ」修造が建てている計画、それはどんな事なのか。

34.製パンアンドロイドと修造 https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/800

https://note.com/gloire/n/ncb4145db969b (note130~131話)

N大学のロボット工学科のアンドロイドを研究している鷹見崇(たかみたかし)教授と助手の三輪みわ子さん、常磐城親(ときわしろちか)がやって来た。製パンアンドロイドの開発をするのに修造に協力して欲しいと言うのだ。


「工場で働くパン用のロボットアームなんかは既にありますよね?」
「そうですね、製パン工場にはあります。しかし町のパン屋さんにそれを置くというのは費用も掛かり場所も無い場合が多い。一般のパン屋では殆ど導入例がありません。高齢化で店じまいするのも体力に自信が無くなるからと言うのが理由の中の一つです。なのでそれを補って少しでも町のパン文化を残したいのです」

後藤は修造の表情を読み取り付け足した「シェフ、私も辛いんですよ。ご高齢でお店を閉められる時はお店の周りも寂しくなりますし、常連で高齢のお客様もお困りになってるのを見ています。この企画は色んな方の為に考えたものなんです」

成程、高齢化が原因で閉める店を少しでも減らしたり、無くなるその日を遅くしたりできるなら協力しても良い。
そう思って製パンアンドロイドができる。



このお話はhttp://www.gloire.biz/all/3877製パンアンドロイドのリューベm3というお話に続きます。少し未来にリューべは未亡人の所に現れて手助けします。

工房で江川と仕事をする英パンアンドロイド

35.パン職人NO,1決定戦 https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/824

https://note.com/gloire/n/n302ab1681b1a (note132~136話)

「江川」

「はいなんですか」

「これからお前にはちょっとした試練を乗り越えて貰う事になる」

「えっ?!な、何ですか試練って」
江川は突然修造が試練と言ったのが怖くなり身を竦めながら聞いた。

「どうなるんですか僕」

「今はまだ言えない」

「ちょっとぐらい教えて下さいよう」

「何があっても俺を信じろ!そして自分を信じるんだ」

「えー」

NNテレビ主催のパン職人NO,1決定戦という番組に20人の選手には先日招待状が送られていた。

それを受け取った者達は当日控室でスタッフから受け取ったコックコートに着替えて、荷物は全部ロッカーに仕舞う様に言われる。江川も招待状を受け取り、修造に行くように言われていた。コックコートの左胸の所には『18』と書いてある。

全員が部屋に入る前にお題を確認して、部屋で出題された内容に取り組んで次の部屋の前でお題を確認してまた次へという感じだ。


一つ目の部屋は秤無しでの生地作り。

次の部屋は秤無しでの分割

三つ目の部屋は巨大なボールから出来るだけ早く取りだす。

対戦しているうちに江川は鷲羽がいることに気付きます。


そして次の対戦の部屋では3組で戦う。
江川の助手として大坂が待っていた。
鷲羽には園部が、もう一組の佐久間には咲希がいた。
3組でタルテイーヌ対決をして次の部屋に急いで行こうとしたが次の部屋ではなく、そこは大勢の観客のいるステージの上だった。


採点の結果鷲羽が僅かの点差で優勝して大喜びだった。
試合の裏側では背の高い男が職人達を招待して、スタッフにも自分の仲間と弟子を集めていた。その中には那須田もいたが修造はその事を知らない。

後日江川の準優勝を皆喜んでくれたが、江川はしょんぼりしていた。

大坂だけが立花に「フルーツソースが上手くいって良かったわね」と言われて有頂天になった。というのも助手としての特訓を見て貰ったのが立花で、勿論フルーツソースも教えて貰っていたからだ。

江川は修造に会うために事務所のある2階への階段を足取り重く登った。

「修造さん」

「江川、昨日はお疲れさん」

「僕負けちゃいました」

「江川、秤なしでちゃんと生地ができた。惑わされず分割できた。生地を取り出せた。美味いタルテイーヌが作れた。お前のタルテイーヌが1位だった。なんか文句あるか」

それを聞いて江川のモヤモヤは吹き飛んだ。

「1位は鷲羽にプレゼントしてやれ」

36.Prevent a crisis https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/893

https://note.com/gloire/n/n65c1842e7fee (note137~142話)

杉本の両親は息子の龍樹とその彼女の風花を結婚させようと、藤岡と由梨も呼んで食事会を開いていたが杉本だけは全然気が付いてもいない。

この中で結婚に対して憧れの気持ちがあるのは由梨だった。
パンロンドの奥さんは風花に結婚の三つの条件を言う。
「私は杉本君良いと思うけどなあ、ほら、以前も風花ちゃんの為に犯人を突き止めて捕まえてくれたじゃない?一緒に暮らして気楽な事と、何かあったら相談できる人、自分を裏切らない人。その3つがあればオッケーよ」

丸子はなんだか結婚式の挨拶の3つの袋みたいな話をした。

大金持ちでも居心地悪くては長く一緒にはいられない。

由梨と藤岡は日に日に心の交流を深めお互いの信頼関係を築いていた。その内実家に行くことも約束した。


日光に行ったその日の夜藤岡に一本の電話がかかってくる。
「はい、ああどうも、え?何故それを俺に?そうなんですね。じゃあ調べに行きますよ、それじゃあ」

そう言って電話を切った後「さてどうするかな」と大きな窓の夜の街を見ていた。

2日後
杉本は藤岡に頼まれて藤丸パン横浜工場にやって来た。
そこで不審な4人組を見る。
4人は打ち合わせ中らしく真剣な面持ちだ。

年齢はばらつきがあり、50歳ぐらいの目が細くて釣り上がった男の名札には足打と書いてある。その隣の40ぐらいの男は最上、後の2人は若くて大島と京田。

「あの〜すみません、今日からここで働くらしい杉本なんですけどぉ」

「今日から?らしいってなんだ」

「聞いてないな」

「大和田って人に会えば分かるって言われて」

「大和田工場長の事かな」

「他にいないだろ」

「じゃあ入れよ」

杉本が中に入って建物のドアを目掛けて歩き出すと「待て」と年配の男が引き留めた「お前俺達のさっきの会話聞いてただろ」

「何の事ですかぁ」

「聞いてなかったのかな」

「何の事かわからないのでは?」

「まあいい行け」

杉本は大和田工場長に会ってパン工場の中を案内して貰う、
その日は小田という母親ぐらいの女性職員についてパンの仕分けをした。
次の日もあの4人組に出くわした。その中の一人が落としたメモを見ると数字と英文字が沢山書いてある。
杉本はそれを忘れない様にホワイトボードに書き写したが見つかって消されてしまい、倉庫に閉じ込められる。

藤丸パンの表玄関の方では若と言われる藤丸パンの息子が来ていた。大和田と木山課長が若を出迎えて「怪しい4人組と話し合う為に呼んできてくれ」と探しに行くが逆に木田の裏切りで4人にしまう。
それを助けたのが杉本の心配をして様子を見に来た風花と由梨、そして何故かそこにいた鴨似田フーズの歩田と兵山だった。事件は5人の社員の起こした食品テロだった。

「すみませんが大和田さん、センサーは止めさせて貰いましたよ。もう14時だ、最上達が生地に金属片をばら撒いた頃です、このまま生地はレーンの流れに乗ってケースに入れられ発酵した後焼成、冷却包装、出荷だ」

「なら今からまだ止めるチャンスはある!

「そう、だからもう少しお前らを何処かに閉じ込めておかないと」

「出荷が終わって販売されるまでな」木田はもう一度ナイフを取り出した。
切先を藤岡に向けた瞬間「あぶない!」と由梨が前に立ちはだかったが、その横を擦り抜けて「防ごう異物混入!食の安全宣言!」と叫んだ杉本のパンチが木田の顔面に当たり「ふがっ」っともんどり打って床に倒れた。

それを見ていた杉本が「俺は怒ったぞ!大体普段から異物混入を防ぐために修造さんからうるさく言われてたのに、人様の口に入る物に何て事を!」と犯人を怒鳴りつけた。


「おい!パスワードを教えろ!金属片除去のセンサーを作動させるんだ!」藤岡は足打の襟を掴んで揺さぶった「教えませんね〜」と憎たらしい言い方に藤岡がむかついたその時「あ、俺それならわかるかも」と、まだしかめ面の杉本がセンサーの前に進んだ。
杉本がセンサーのパスワードを覚えていたので未然に防いで結局犯人を2人捕まえる事が出来た、と思えたが実際に裏で動いていたのは鴨似田夫人だった。夫人は事件を調査して表玄関から小田達に声をかけて逃げてくる犯人3人を捕らえた。

藤岡は鴨似田夫人に「おそらくさっきの者達も仲介の者の偽名と電話番号しかわからないと思いますわ。それに気をつけないとこれから先もいくらでもこのような事がありましてよ。いつまでも今のままで良いのかしら」と言われて藤丸パンを守っていかないといけない事に気が付く。
藤岡はその足で由梨の所に行き結婚を申し込み共に歩んで欲しいと頼む。

37.flowers in my heart https://wordpress.com/post/pannosyousetsu.art.blog/1097

https://note.com/gloire/n/n60c45f9efa59 (143~148話)

鴨似田フーズのパーテイーで藤岡は大坂と会う。
大坂は藤岡がこれまで立花をないがしろにしてきたと思っていたがどうやらそうではないらしいと知る。
リーベンアンドブロートで一周年記念の日が近づいて来ていた。江川は働き過ぎの修造を心配して、長い休暇を取るように言う。

親方の所に行き飲み比べに誘うと、藤岡も参加してきた。
飲み屋にて藤岡は親方と修造に藤丸パン食品テロ未遂事件の話と、由梨と結婚する事を報告してきた。

そして由梨と二人でパンロンドを退職する事も告げた。
親方は「良いって事よ!楽な道のりじゃないかも知れないが大和田さんに教えて貰いながら仕事を自分の物にしていくんだな」と言ったが酔っぱらった親方は机に顔を伏せ、唸るような小声を絞り出した。「修造の次は藤岡がいなくなるのか、俺はあと何回こんな感じの気持ちを味わうんだ」「今は親方の気持ちが分かります」

同じ空間で自分が育てたものが無くなってしまう

それは人でもあり、形作って来た技術とか人情でもある。

「寂しいですね」

「うん」

次の日
修造は家族を連れてリーブロに来ていた。
緑はこの店を「お城の様だ」と言ってくれるし、律子は「癒される」と言ってくれるので嬉しい限りだ。机の下でこっそり手を繋ぐ2人を見て、店内から「ああやって自分の理想に自分を近づける人間は耐えず努力している」店内から2人の様子を見ていた店長の岡田克美は凄く冷静な目で横にいるカフエ部の中谷麻友に言った。

「その時は努力とは思ってない、もがいてる最中だから」

「修造さんってもがいてるんですか?」中谷は首を傾げて言った。

「それは後で分かることであって、動いているうちは努力してるとは思っていない訳だし」

「きっと家庭の事も一生懸命なんでしょうね」

「それが当たり前になってる者だけが成功するのかも知れない。仕事にせよ家庭にせよ趣味にせよ」

一方パンロンドでは藤岡と由梨が結婚退職をするのを聞いて杉本がショックを受けるが、結果的に猛勉強して新星のパン職人が誕生する。それを見て親方も藤岡も大喜びだった。

結局修造は9日間休みを取り、ずっと一緒に過ごした。
家族の信頼、絆などはやはり一緒にいた方が得られるのではないかと思った修造だった。

リーブロに戻った修造は立花に「藤岡って知ってる?」と声をかけた事から工房がハチャメチャになってしまう。
大坂は立花を休憩室に連れて来て、汚れた服を拭いていたが、とうとう大坂は告白する。

そして立花もいつも一緒にいてくれて信頼のおける大坂に思いを寄せていたのを態度で示した。

そしてとうとうこの男もやっと次のステップへと踏み出そうとしている。

風花

俺あと2年したら

製パン技術士二級の

資格試験受けるつもり

うん

そしたら俺と

うん、受かったらね

やっぱそうなる?

うん

私待ってるね

うん


ここまで読んで頂いて誠にありがとうございました。
小説パン職人の修造はまだまだこれからも続きます。。

ここまでで50300文字ほどありました。

いや、ほんまにありがとうございます。

150話からはあのヤバい女が出てきます。

つづく

11パン職人の修造 江川と修造シリーズ 新人の杉本君  Baker’s fight

このお話は江川 to be smart の続きです。

18歳になったばかりの江川卓也は、修造と面接の時約束した通りに高校を無事卒業して、北国から関東の商店街にあるパン屋のパンロンドにやって来た。

入社してからはずっと先輩の田所修造と組んで毎日仕事を教えて貰っている。

「修造さーんおはようございまーす」

「よお」

明るく爽やかに挨拶した江川に対して言葉少なに修造が挨拶仕返す。

これが江川の毎朝の始まりだ。

パンロンドの朝は早い。

オートリーズの後、計量を済ませていた粉と材料をミキサーに入れて生地作り。

「オートリーズって先に粉と水とモルトを加えて20~30分置いておくんだ、その後塩とイーストや発酵種を入れて捏ねる。そうする事で粉が水を吸って伸びの良いパリッとした生地に仕上がるんだよ」

江川は修造の動きを食い入る様に見ていた。

「パートフェルメンテっていうのはパート(生地)フェルメンテ(発酵)って意味で前日にとってた生地を使うやり方なんだ。オートリーズとった後、本捏(ほんごね)の時に入れる。生地が安定して風味が良くなり時間短縮にもなるんだ」

江川は毎日様々なパンの製法について説明を受けていた。

「こうやって生地の状態を見るんだ。生地を伸ばしても破れずにグルテンの薄い膜ができてるか確かめる」

「はい」

「まだまだ知らないことが沢山あるなあ。僕は修造さんにぴったりついて修造さんのパンの知識を少しでも覚えたいんだ」と張り切っていた。

江川が修造と生地を仕込む為の計量をしていると

入社したての杉本君と親方が何か話してる

江川はじっとみた。

「杉本君、これってみんなこんな風に天板に置いてってるから君も同じ様にやってね」

杉本は成形したパン生地を置く長方形の鉄板にいい加減な置き方をして親方に均等に置く様に指導されていた。

「親方ぁ、僕には僕のやり方があるんです。ちゃんとやりますから大丈夫です」と言ったので試しにどうなるか焼かせてみた。

案の定 火通りがかたよる。

「鉄板に生地を均等に置かないと火通りが悪いところと火が通り過ぎるところが出るからね。ほら、こっちは白くてこっちは焦げてるでしょ?」

「分かってます分かってます」

江川は驚いた。

何?今の返事。

親方ってとても温厚な人だけど、だからって今の返事は聞いててストレスが溜まるな。

「修造さん、あの人って修造さんが面接したんですか?」

修造は杉本君を見た。そして目線を計量中のメモリに戻した。

「いいや」

「面接の時はニコニコしてたんですかね?今はちょっと違うんじゃないかなあ?」

「知り合いの紹介らしいよ」

「ふーん」

「人の事はいいから。よそ見してると計量を間違えるぞ」

「はい!すみません」

そう言いながら江川は杉本君が気になって仕方ない。

杉本龍樹(たつき)は親方の先輩の知り合いの子らしく、紹介で入ってきて3週間経つ。

やんちゃだったのか通勤の服装も派手で言葉も荒めだった。

少々無茶なタイプらしく、ちゃんとした数を聞きもしないで仕込みの野菜を切り出した。量が多く皮は分厚い。

「杉本君、野菜って多く切り過ぎちゃったら残った分の色が変わっちゃうからね」

とか。

「杉本君、絞り袋にまだクリームが残ってるのに洗っちゃったら勿体ないからまだ洗わないで最後まで使ってね。物は大切に使おうね」

とか親方の言い方がとても優しいのに反して杉本君がはめんどくさそうで段々返事しなくなってきてる事に気がついた。

江川は段々不満が募ってきた。

親方が何々の次にこれやってって言ってるのに順番を変えるし、、杉本君って困ったやつだなあ。

その時修造は自分の仕事に集中していた。

様に見えた。


次の日

修造と江川は大量にシュトレンのフルーツを洋酒に漬け込んでいた。

フルーツをボールに入れ、洋酒を多めに回しかける。スパイスを足してそれをタッパに入れて倉庫の涼しいところに置いていく。

秋頃になると段々洋酒が染み込んで熟成されたフルーツをシュトレンに使うのだ。

シュトレンはドイツではクリスマスの時期に様々なお店で売られている。クリスマスを待つ4週間にアドヴェントという期間があり、少しづつスライスして食べていく。

漬けこんだフルーツをたっぷり入れて作ったシュトレンはひと月ほど置いておくと生地にスパイスとフルーツの風味が移り格段に味わいに深みが増します。

薄くカットして食べながらクリスマスを心待ちにして過ごす。

「僕シュトレンって食べたことないです」

「出来たらすぐに試食して、同じものを何週間かしてから食べたら熟成していて全然風味が違うのが分かるよ」

「楽しみだな」

仕込みながら江川はチラッと杉本を見た。

杉本君、今朝は凄く眠そうで成形しながらうとうとしてる。

「杉本君眠そうだね」

前に立って仕事している親方が声をかけた。

「昨日夜遅くて」

「朝早いんだから早く寝ないとね」

「いちいち言わなくても分かってますよ」

杉本は少し声を大きめに言ってしまった。

あ、今修造さんが杉本君をロックオンした。めっちゃ観察してる。

「江川、これ一人でやっといて」修造は洋酒のボトルを江川に渡した。

「はい」

「おい、ちょっと来いよ杉本君」

修造はなるべく爽やかに言ったが元々爽やかなキャラでもないし、目力による圧力が凄い。

修造は杉本を店の裏に連れて行った。

「お前どうしたんだあんな言い方して。親方も先輩の紹介で入ってきたお前を無下にはできないだろ?それともあれか、まだお子様だから反抗期で親方に偉そうに言ってんのか?」

「反抗期ってなんだよ!ガキじゃねーんだよ」

「パン屋での仕事は初めてなんだろ?前は何やってたんだ」

「俺はボクシングやってたんだよ。なんなら絞めてやろうか?先輩さん!」

こいつなんでこんな反抗的なんだ、、

こんなんでよく、他所で働こうと思ったな。

「やれるもんならやってみろ」

そういったものの修造は思った。

しまったな、ここで喧嘩してもし騒ぎになったら店に迷惑がかかる。

そうだ、、隣の空き店舗の裏なら目立たないかも。

パンロンドの隣の空き店舗の裏には庭がある。朽ち果てた花壇と枯れ木があり、木材の塀で囲われている。そこはよく野良猫の溜まり場になっていた。

2人が倉庫の裏口から出て、隣の塀の隙間から入ると、野良猫達が一目散に逃げて行った。

野良猫達を見送ったあと、2人で対面で立って睨み合った。修造は上着を花壇を囲っているブロックの上に置いてピョンピョンと飛び跳ねた、首を左右に振りフッフッと息を吐きながら肩を上げ下げした。空手の試合前にそうやってから気持ちを上げるのを思い出した。

杉本は携帯で誰かに電話している。

「今から偉そうな先輩さんを絞めて店の裏の壁に張り付けるから来てみろよ」

そういって電話を切った後、脇を締めて修造を睨みつけた。

こいつ拳で攻撃してくるな。

いつでも前に後ろに動けるように足取り軽く動いた。

拳の速さで勝てるか分からないから蹴りで足とか攻撃するか。。

修造はなるべく狙う予定の方を見ないように杉本の顔をみた。

2人とも相手の隙を伺っている。

杉本の目を見ながら、そうだ、先に攻撃させなきゃ正当防衛にならないな。と思った時、杉本が初めのパンチを仕掛けて来た。

修造は左手で顔をガードしてわざと杉本の拳を腕に当てた。

「いたたた、お前が先に攻撃して来たんだからな」

修造の言い方がわざとらしく、杉本は頭に血が上った。

「舐めんなよ!」

修造は杉本のパンチをかわして刻み突きして相手の胸を押して距離を取る動作を何度か繰り返した。

その後杉本の左手からのパンチを肘を曲げて右に巧みにかわして背中が空いた瞬間後ろに重心をかけて裏回し蹴りを入れ、そのまま左のつま先の内側を引っ掛けて倒した。

「うわっ!」

素早く杉本の背中に乗っかり動けなくすると、

杉本は背骨の中央をロックされ、手も届かず足で蹴ろうとしたが修造の足で防がれている。

まだ修造に蹴られた背中が痛い。

「うぅ、、」

背中をさすりたいがそれもできない。

可哀想だと思ったが、このまま手を離すとこっちがやられる、修造は左手で杉本の顔を抑えた。

「動けないだろ?」

「くそっ!」

そして杉本の耳元で言った。

「俺は空手の師範について色々教えて貰ってたんだ。道場では師範の言う事は絶対なんだよ!」

杉本は寝不足の疲れもあって暴れるのをやめた。

「観念するなら離してやる」

そう言って修造は立ち上がった。

こいつもう攻撃してこないだろうなあ。

そう思って少し離れて杉本を観察した。

負けたのがショックだったのか座り込んでしょんぼりしだした。

「杉本、ちょっと待ってろよ」そう言って近くの自販機に向かった。


その頃江川は仕込みを終え、いっこうに戻ってこない修造と杉本が気になって倉庫を何度か覗いたりした。

「親方、修造さん達どこ行っちゃったんですかね?帰ってきませんね」

「大丈夫でしょ。それよりどう?仕事は慣れた?」

「はい、僕ここに来て人生が変わりました。とても良い先輩に恵まれたし。楽しいです」

「そう、それは良かった」

「親方って修造さんをめちゃ信頼してますよね」

「宝物だ」

僕のね、と江川は思った。

親方は続けた。

「俺は修造に会ってから少し考えが変わったんだよ。それまでは諦めと言うか、職場も人の出入りが激しかった事もあって自分1人がしっかりしなきゃって思ってたけど、ああいう信頼できる奴がいるのは良いもんだよね」

「心がしっかり繋がってるんですね」

江川と親方は目を合わせてニコッと笑った。

「あいつがドイツから帰ってきてパン職人としての格が上がってるのを見て俺は思ったね。多分あいつはどこに行って何をやっても上手くいくんだろう。人から教わったものを自分のものにして更に上に押し上げていける奴だよ」

うんうんと江川はうなずいた。


一方、隣の裏庭では修造が缶コーヒーを杉本に渡していた。

「暴れたら喉が渇いたな」

空き家のペンペン草が沢山生えた花壇を囲っているブロックに腰をおろして一緒に缶コーヒーを飲みながら「少し落ち着いたか?」と聞いた。

杉本は何も言わずに黙っていた。

修造は話し始めた。

「多くのパン屋が『何人かが狭い空間で働いてる』んだ。その全員がメインのシェフの意思通りに動かなきゃならないと俺は思ってる。勝手なことをすると全員に迷惑がかかるんだよ。今の作業の全ては、『こうなる事に理由があった』んだ。すぐに決まった訳じゃない。工場の中で起こった出来事や、お客さんの流れ、パン作りの工程、作業する人間の数、季節や温度、その全てが影響しているんだ」

「それはまだ入ったばかりのお前にはわからない事なんじゃないのか?」

杉本は黙って聞いていた。

修造の話す全てに説得力があった。

それは長い経験に裏打ちされた言葉だったからだ。

「それが嫌ならやめなきゃならない、ここから去って勝手に自分の思う店を作れよ」

「、、、店を?」そんな事できっこないのは杉本も分かっていた。

「でもな、それは多分お前にはまだ早いんだよ」

「今のお前は何も出来ないのに等しい、1人でやるとたちまち困るぞ。

だから、色んな先輩の中に混じって色んなことを教わるんだ」

修造は指折り数えながら言った。

「共同体感覚を養って」

「ベストコンディションで挑めば」

「満足のいくパフォーマンスを発揮できるんだ」

指を3本見せながら「だからみんな体調を整えてくるんだよ。遊びすぎて体調悪いなんてカッコ悪いぞ。」

修造は隣に座って下を向いてる杉本の顔を覗き込みながら言った。

「今いてる従業員の殆どが、親方と一緒に作業の理由について体感してるやつばかりだよ。お前も俺たちと一緒にやろう。そして慣れたら親方に良い考えを提案して受け入れられたらやりゃあいい」

修造は珍しく言葉多めに話し続けた。

「それでももっとやりたい事があるなら自分の店を持った時にああしようこうしょうと自分の中に貯金をしておけよ。その時に初めて花開く事が多いんじゃないのか?」

「花開く」

杉本は手のひらを見つめながら言った。

「俺、偉そうに言ってましたけどボクシングも中途半端で負けてばかりで辞めてしまったんです」

「そうなのか」

「はい、パン屋での作業を軽く見てて、ここなら全然いけるんじゃないかと。でもやってみたら手順も多いし覚えなきゃいけない事ばかりでした」

「うん」

「それで我流でやってみたんです」

「通用しなかったろ?」

「はい」

「今日それが分かっただけでも良かったよ」

「俺もやり続けると花咲く事があるんですかね」

杉本は初めて希望とか夢とかについて少しだけ考えてみた。

「この先のもっと先に夢があるんですかぁ」

「そうだ杉本、その間にはお前が覚えなくちゃいけない事が沢山あるだろう?」

「はい」

修造は泥のついた手を綺麗に洗い、洗ったタオルで杉本の服の汚れを拭き取って工場の扉を開けた。

「それがここには沢山あるんだ。」

そこでは親方や職人達がテキパキとパン作りをしていた。

無駄な動きなく働いている。

「ここの全てを覚えるんだ。一つ一つな」

「それにはまず正しい丸めからだ。来いよ、俺が教えてやる」

「はい!」

そうして2人は楽しそうに分割を始めた。

修造は杉本の手の速さに合わせて生地を分割して渡して行った。

そこには修造に教わった通りの丸めを忠実にこなそうとする杉本の姿があった。

その時裏の戸をドンドン!と叩く音が聞こえた。

「はい、どなた?」江川が戸を開けた。

するとやんちゃそうな少年が3人立っていた。

「裏口が分からなくて迷ったわ。杉本く~ん。先輩がつるされてるのはどこ?」と言って江川を押しのけた。

修造が「なんだお前ら」と言って前に出ようとしたら、いきなり3人のうちの1番背が高いのが修造の胸ぐらを掴んできた。

杉本は3人の友達を見てびっくりした。

遅いのでもう来ないんだろうと思っていたからだ。

「お前らやめろよ。もういいんだよ」と杉本が言ったが修造ともみ合いになっている3人には聞こえない。

そこへ親方が珍しく仕事の手を休め「君たちここは工場だから外へでようね」といって3人を掴み、分厚い大きな両手で押し出して倉庫に行った。

そして修造の胸ぐらを掴んだ少年の手首を持って全身をぶら下げた。ぶら下がった方は手や足で攻撃しようとしたが親方に届かない。蹴ろうと足を前に出す度に親方がゆらゆらさせたからだ。

親方は残りの2人に少年をぶつけ「パン屋の腕力なめんなよ!」と言った。

それを見た修造、杉本、江川は同時に叫んだ。

「い、いかつう~」


3人が帰ったあと江川は杉本と散らかった倉庫を片付けながら「ねぇ杉本君」と話しかけて来た。

「さっき修造さんから何を教わってたの?」

「はい、貯金の話です」

「貯金?」

「心の貯金」

「もーう!なんの事かちゃんと教えてよ」

江川は悔しがった。

なにかかけがえのないものを手に入れた気がして杉本の心はワクワクしていた。

「親方、すみませんでした。俺まだここで働いてもいいですか?」

杉本は親方に頭を下げた。

親方はクリームパンを包みながら「はい、がんばろうね」と言った。

内緒だが、修造はしばらくの間杉本のパンチを受けた左手がめっちゃ痛かったと言う。

おわり

このお話は2021年08月01日(日)にパン屋のグロワールのホームページに投稿したものです。

9製パンアンドロイドのリューべm3


短編小説 製パンアンドロイドのリューべm3

60になったばかりの立米利佳(たちごめりか)は35年連れ添った5歳年上の主人の立米竜平(たちごめりゅうへい)を亡くしたばかりだ。

突然心不全で倒れ、急な葬儀となった。

30年前にパン屋「リットルパン」を開業して、2人で仲睦まじく営業を続け、今では街になくてはならない存在のパン屋になっていた。

赤ちゃんの頃にお母さんとパンを買いに来ていた子供がもう社会人になり、また朝のパンを買って会社に行ったりしている。

「長いこと続けていると子供も大きくなるわね。」利佳はいつも竜平にそう言っていた。

すると必ず竜平は「そうだね利佳」と返して来た。

竜平は静かな男で、声を荒げたりせず黙々と仕事を続けるタイプだった。

晩酌の時に酔って口数が増えたりするぐらいで、休みの日は公園まで散歩して花を見に行ったり、買い物をする程度で取り立てて金遣いが荒いわけでなく、比較的平和に人生を過ごしてきた方だった。

「ねぇ利佳、明日は昼から雨になるそうだよ。」

「ねぇ利佳、明日は昼から暑くなるそうだよ。」

客足と天気がとても関係するので、いつも竜平は天気を調べては教えてくれたり、作るパンの量を増やしたり減らしたりしていた。


葬儀は慌しく、後であの人を呼んでいなかったとか、あの人に連絡してなかったなど色々手落ちもあったが、バタバタしていて悲しみも少し紛れた。

立米夫婦には子供がいなかったので、跡取りもなく、パン屋は閉店するのかと道行く人達はシャッターの閉まったままのリットルパンを見て思った。

葬儀の後日、竜平の死亡保険金の手続きにアール保険の営業木村が来た。

「この度は本当に残念です。お気を落とされません様に」

いつもこう言ってるんだろうなと利佳は木村の言葉をぼんやり聞きながら考えていた。

すると「パン屋さんはどうなさるんですか?」と聞かれた。

「流石に私1人ではちょっと」と濁して答えた。

「ではこちらは老後の資金として大切にお使い下さい」入金の手続きをして、木村を帰らせてから利佳は1人で考える時間ができた。

これから

これからどうしよう。

先週迄はリットルパンは普通に営業していたのに。竜平も元気だったのに。

これから1人で生きていかなくちゃならないの。

急過ぎるわ。

そこへ

電話がかかって来た。

「はい立米です」

「立米さん、ミーテンリースの平方です。この度は本当に急な事で、ご葬儀にも行けず申し訳ございません。お仏壇にお線香だけでもよろしいですか?」

ミーテンリースの平方米夫(へいほうよねお)は近くから電話して来たらしくすぐにやってきた。

平方は良い人が浮き出た様な顔立ちの性格の優しい男で、ミーテンリースに入社して以降リットルパンにも長いこと営業に来ていた。

ミーテンリースはパン屋など食品業へのラベルプリンターのリースやレジのリースを行なっている会社だ。

平方はお仏壇に手を合わせて丁寧に亡き竜平への冥福を祈った。

「奥さん、本当に残念です」

「お気遣いありがとうございます」

「これからどうなさるんですか?」

「急だったのでまだ何も、それに流石に私1人では、、パンを作っていたのは主人ですし」

「ご近所の人達も残念でしょうね」

「はい」

「立米さん、今こんな事を言うのは不謹慎ですが、こんな時に営業か?とか思わないで下さいね。あくまでも悪気ない世間話と思って聞いて下さい」

「はい?」

「僕は昨日研修を受けて来たばかりなので、まだ興奮冷めやらないんですが、製パンアンドロイドっていうのが今僕のいる業界では出始めたんです」

「聞いたことあります。でも粉が詰まって故障したり、結局動作が鈍いとか、同じ場所でないと動けないとか。あまり良い噂は聞いてません」

こっちは主人の葬儀が終わったばかりなのにもう営業に来たのかしらと少し腹を立てて利佳は厳し目に言った。

「今まではね、でも昨日僕が見たのは全然違う最新型のアンドロイド『アンコンベンチナルm3』なんです」

「写真見てみますか?」

「完全に人型なんですね」

「はい、ちゃんと人間の様に歩いて動いて、流石に表情はありませんが声は以前は機械音って感じでしたが、少し滑らかに人っぽく聞こえます」

利佳はカタログを見て驚いて言った。「男の人と女の人の2タイプが?」

「そうなんです。機械としてではなく仲間として迎え入れるのがコンセプトです。より人間らしくできていますよ」

「それで?」

「はい」

「一体何ができるんですか?丸めだけ?」

利佳はアンドロイドと言っても機械なんだしせいぜい分割と丸めとか、荷物運びぐらいだろうと思っていた。

「それがね、僕が昨日驚いたのはそのアンドロイドの性能なんです。パン作りのあらかたをやってのけていましたよ」

そしてタブレットを取り出して利佳に見せた。

タブレットに映し出されていたのは、人型のアンドロイドが動いているところだった。

「これ、昨日僕が撮ったんです。今までは外国製が多かったんですが、日本の大学の教授がアンドロイドの開発に力を入れてましてね。ついに色んな職業のアンドロイドを作り出したんです。」平方は興奮気味に言った。

「パン職人の動きを徹底的に研究して、ついにパン作りができる様になったんです。」

「本当にそんな事ができるんですか?上手く映してるだけでは?」

「まあ見ていて下さい」

そのアンドロイドは材料の計量、ミキサーへの移動と混捏、ミキサーからの生地の取り出し、台の上に生地をあげての分割と丸め。そしてホイロへ入れてからの取り出し。窯へ入れてからの取り出し。

この作業を全てやってのけた。

「えー!凄い」計量ぐらいかと思っていたので、利佳は本当に驚いた。

「一連の動きが決まってるので、細かい入力は必要ですが、何種類かのパンはできますよ」

「でもお高いんでしょう?」と利佳は通販番組みたいな事を言ってしまった。

「そこなんですが、手付け金が結構高額なんです。それと毎月のリース料がかなり。とはいえ人件費より安いと考えれば」

利佳は一瞬頭に保険金の事が浮かんだ。

「本当に凄いので一度見学に来ますか?」とアンドロイドの性能に興奮してつい言ってしまったが、こんな時に不謹慎なと思って営業っぽい言葉は謹んだ。

利佳も先のことはまだ決まってないので「またそのうちに」とお決まりの断り文句を言ったその時、タブレットの画像にアップになった男型のアンドロイドが映った。

「これは?」

「こちらがさっき言ってた男型のアンドロイドです。男型、女型、声の質、声の高さ、話す速度とかも選べますよ。あとは入力次第では結構動けると思いますがそれはとても細かいので入力は僕が面倒みます」

平方の説明そっちのけで利佳はタブレットを食い入る様に見ていた。

その理由は

男型のアンドロイドが知り合った頃の竜平にそっくりだったからだ。

丸みを帯びた鼻と温和な顔立ち「決めたわ」

「えっ?」

「私このアンドロイドとパン屋を再開します」

平方は驚いた。

そんな急な。

いや、でも営業としては嬉しいかも。

しかし急な。

平方は「奥さん、入力内容を話し合う為にまた来ます」と言って会社に報告しに帰った。

新しいアンドロイドを迎えるのには色々準備が必要だった。

まず

充電の場所

アンドロイドが動きやすいところを作る

初期費用とリース料を用意する

アンドロイドが作れる生地で利佳がバリエーションを考えたトッピングを決める

入力内容を決める

この入力内容を決めるのが1番大変だった。

どの生地を作らせるのか決めたり、季節ごとの水温など配合を変える入力、リットルパンの店内での普段の動きの行動パターンなど、平方は専門家とやってきて何日間かつきっきりで設定をした。

そして最後に利佳に「声はどのぐらいのトーンにしますか?」と聞いた。

利佳は「もう少し低く、、今度はもう少し高く。」と竜平の声に限りなく近づけた。

「あとは、このm3の名前を決めましょう。勿論m3でも良いですが、奥さんが呼ぶと反応するニックネームが決められますよ」

「こういうのはどうですか?立米って体積の単位でリューべって言うじゃないですか?リューべはどうですか?」

利佳は

それが良い!

それが良いわ

竜平みたいな名前

リューべ

と平方の案に賛成した。

「それにして下さい」

「了解です」

いよいよ始動の時が来た。

ウイーンと音がして製パンアンドロイドリューべの首の後ろの辺りが赤く光った。

ピカピカピカピカピカピカと点滅を繰り返した後緑色に光った。

「リューべ、今日からここがお前の職場だよ」

「これが利佳さんだ。絶対服従だよ」

平方はまるで儀式の様にもうすでに入力済みの事を改めて言葉に出して言った。

「初めまして利佳さん」

利佳は改めて驚いた。入力が上手くて竜平の声そのものだったからだ。

専門家が「何か話しかけてみて下さい」と言った。

「リ、リューべ初めまして」

アンドロイドに話しかけるなんて中々ない。それどころかこれから一緒に仕事するんだわ。

ところがこれで設定は終わりではなかった、リューべの動きを見ながら計量の動作からまた細かく設定をしていって最終的にはパンを焼き上げるまでの一連の動作をチェックしていった。

「株式会社ミーテンリースとしても初めてのアンコンベンチナルm3のリースなので感慨深いものがあります」

「立米さん、記念にリューべと写真を撮ってパンの専門誌のミーテンの宣伝枠に使っても良いですか?」

「ええ、勿論です」

平方は利佳とリューべを並ばせて写真を撮った。

その日から利佳とリューべの生活が始まった。

毎朝利佳は家からタブレットで、店で充電中のリューべにその日のお天気とパンの量を設定した。

リューべは決まった時間に動き出して仕事をしていて、利佳がパン屋に着くと[おはようございます利佳さん。今日は良い天気ですね」と挨拶をした。

パンが焼けると辺りは以前の様に良い香りが立ち込めた。

久しぶりに店を開けたので、お客さんがパンを買いに来て利佳にお悔やみを言った。そして中を除いて「新しい職人さん?早く見つかって良かったわね」と言って帰った。

動きはぎこちないが遠くから見ると人そのものだ。

とはいえ竜平の様に全てのパンが作れるわけではない。以前とは違った商品構成にして、リューべのできるパンに合わせて具を挟んだりクリームを詰めたりとやる事は多かった。

納品業者には、仕入れた材料は必ず同じ場所に置く様に納品の時何度も説明して置いて貰った。

利佳はこれでまた毎日静かにパン屋ができると思っていたが、ミーテンリースがパンの専門誌に利佳とリューべの写真を載せると、それを嗅ぎつけたNNテレビがやって来て、リューべを映して帰った。それは夕方のニュースに流れ、翌日からアンドロイドの作ったパンを買いに沢山の人が訪れた。

人々はレジから奥には入れないので、奥にいるリューべをスマートウオッチのカメラで写して帰った。

利佳はリューべに話しかけた。

「凄い沢山のお客さんがリューべを見に来たわね」

「そうですね利佳さん」

リューべが返事をしたので驚きと違和感があったが、話しかけたら返事するんだわと気がついて「利佳って呼んで良いわよ」と言ってみた。

「はい。利佳」

「竜平、、」亡き夫そっくりの声。

「何故突然いなくなったの?」

「私を置いて」

「いなくなっていませんよ利佳。私はここにいます」

リューべの声は優しい声だった。


利佳はリューべとの生活に慣れてきた。

入力と清掃を怠らず、リューべが仕事しやすい様にそこら辺を整えた。

私はリューべがいるから寂しくないんだわ。

リューべは毎日1度は利佳に優しい言葉をかけた。

「利佳、今日もありがとう」

「利佳、いつも頑張ってるね」

など声をかけられるので、これってサービスみたいなものなのかしら?アンドロイドってすごいわね。と思っていた。

平方は初めのうちはリューべが心配でしょっちゅう様子を見に来ていた。

「どうですか?立米さん。リューべは上手く動いていますか?」

「平方さん。はい、とても優秀よ」

「それは良かった」

「立米さん、僕定年を迎えるんです」

「え?それは寂しいわ」

「でも大丈夫なんです。再雇用って事になって」

「そうなんですか」

「ええ、だからまたリューべの様子を見に来ますよ。何か困ったことがあったらいつでも駆けつけますから」

「はい、お願いします」

「利佳、カンパーニュが焼けましたよ」

焼成が完了した報告をリューべがして来た。

「呼び捨て、、?」

アンドロイドが利佳を呼び捨てにした事に、平方は違和感があって呟いた。

「あの、私がそう呼ばせてるんです」

なんだか恥ずかしくなって利佳は顔が赤くなった。

「親しみやすくて良いでしょ?」

利佳は言い訳した。

「そうですね、古くからペット用アンドロイドなどもあるぐらいですから、アンドロイドは仕事だけでなく、人の心にある程度寄り添う事ができます。色々話しかけたら情報量が増えて良いですよね」

平方はリューべの設定の所を見て

「朝の設定入力の時に、リューべが返信してくれますよ」

と説明した。そして何か色々入力していた。


アンドロイドと仕事していると絶対にない事

「奥さん僕今月いっぱいで辞めさせて貰います」

そんな心配も無くリューべとの毎日は過ぎていった。

利佳はリューべになるべく色々話しかける事にした。

「リューべってどのぐらい話せるの?」と聞いたら「元々は2万語ですが、会話するごとに覚える機能もあります」と答えた。

それ以来、利佳はリューべになるべく話しかけるようにした。自分の生い立ち、初恋、初めての仕事や悩み、竜平との出会い。

などなど

朝はリューべにメールした。

「おはようリューべ」すると「おはよう利佳、今日はいい天気ですよ」と返事が来た。

恋人同士みたい。

利佳はちょっとだけ思った。

ちらっとだけ。

生地のアイテムは少ないが細々とリューべと二人三脚で利佳の毎日は続いた。

その日は利佳の誕生日だった。

「利佳、誕生日おめでとう」

「リューべありがとう」

そしてハッピーバースデートゥユーと歌い出した。

ちゃんと「ハッピーバースデーディアリカ〜」

と名前を入れて歌ってくれた。

利佳は驚いた。

「こんな事までやってくれるなんて本当によくできてるわね」

そんなある日

利佳とリューべはいつもの様に仕事をしていた。

突然棚がキシキシと揺めき出した。

「地震だわ!」見るといつも安定感のあるリューべもグラグラとしている。

支えなきゃ倒れる!

そう思ってまろびながら利佳はリューべに近づいていった時、最も建物がグラグラと揺れ出した。

リューべが倒れかけた時、利佳はリューべを支えようとしたが、上からリューべが倒れてくる感じになった。

リューべの左脛(すね)の部分が利佳の右の脛に当たり下敷きになった。

揺れが収まりあたりは静かになった。

建物はどうもないが電気が消えて、棚から落ちたものが散乱している。

痛い。

何とかリューべの下から抜けだして立とうとしたが打った所は激痛が走る。

「折れてるんだわ」工場から外に出るのもなかなか大変な事だった。

そこへ平方から電話が掛かってきた。

「こんな時にすみません。そちらは大丈夫ですか?m3は大丈夫でしょうか?」

利佳は何とか周りのものをどかせて床に横になりながら「リューべが倒れてしまったんです。今は動いていません。すぐ来れませんか?」と無茶なお願いをした。

利佳の周りにも物が散乱しているのだから、平方もどんな状況かわからない。

「平方さんは無事ですか?」

「はい、咄嗟に机の下に隠れたから何も頭に当たらず無事ですよ。そちらはどうですか?」

「それが足が折れたみたいで痛くて」

「ええ!それは大変!すぐに行きますね」

平方は取るものもとりあえずという感じですぐに来てくれた。

「すみません。動けなくて」

平方は利佳を病院に送り届けた。病院の廊下は地震で怪我した人が何人か来ていた。廊下で医師が臨時の診察を行い、利佳の足を診た。

「脛が骨折の疑いがありますね。レントゲンが今混んでるので先に手続きをして病室にいて下さい。応急処置をしておきますね」

平方は利佳を車椅子に乗せて病室まで付き添った。入院の手続きをして「僕は今から店に行ってリューべを調べてきます。何かいるものが有れば持ってきますよ」と言った。

「すみません、すっかり甘えてしまって」

「良いんですよ。怪我してるのに。いるものと場所をここに書いて」

利佳は紙にいるものを書きながらなんだか不思議だわ。と思った。彼氏みたい。

薄く笑いながら平方は営業マンだからと自分を納得させた。

とはいえこんな親切な営業マンがいるのかどうかも疑問だった。

リューべのために来て、私はついでに病院に運ばれたのよ。

平方に紙と家の鍵を渡した。

利佳は1人しかいない肉親の2つ上の姉、真由に電話した。

「もしもし姉さん、今骨折して病院にいるの。そう、さっきの地震よ。遠いのに悪いけど来てくれない?」

とにかく店が心配なので姉に見に行って貰う事にした。

片付けなきゃいけないのに入院になってしまったわ。

リューべはどうなったのかしら。私の大切なパートナーリューべ。

「立米さーん、レントゲン室へすぐに移動します」

順番待ちが来て利佳はレントゲンを撮り「骨折ですね、3ヶ月で退院の予定です。早いうちにリハビリを始めましょう」と言われた。

手術を終え、仕方なくベッドに何日か横たわっていると平方が報告に来た。

「立米さん、リューべを細かく検査しました。一部ショートしたところがあって部品を変えなきゃいけない。その時に初期化しないといけなくなるんです」

「えっ!初期化?」

利佳は「今までの事が消えてしまうの?」と込み上げる喪失感に泣いた。竜平を重ね合わせたリューべの記憶が消える。

平方は困った。

長い間一緒にいると情も移るよな、それが人間ってもんだよ。それに俺がパン屋で故障を確かめるために起動した時、一瞬m3は目を開けて首を右左に動かして「利佳」って言ったんだ。

人間みたいに。

驚いた。

平方は考えた。

そして会社に戻り、技術担当の岡野に掛け合ってリットルパンでの記録を一旦全て取り出してまた戻す事にして、それを利佳に報告した。

「何とか記録は残せそうです」

「平方さん、こんなにして頂いてありがとうございます」

「いやあ」

あんな涙を見てほっとけるもんか。

でもこれ、えらい高くつくから会社に内緒でやって貰ったんだ。技術とは長い付き合いで弱点も知ってるからな。そこをついてやらせたんだ。会社にバレたら俺はクビだな。

とは言えうちのm3をこんなに可愛がってくれてるんだ。このぐらい当然だよ。

「そうだ立米さん、m3は退院したぐらいに治ってきますよ。だからリハビリ頑張って下さいね」

「はい!頑張ります」

「それと、、」

「はい?」

「実は次にリューべが故障した時の事なんですが、初めは新型だったm3も今では随分旧式になってしまいまして、部品がもうないと言う事態になる事を覚悟しておいて下さい。折角治ったんですから大事に使いましょうね」

平方はにっこりした。

「わかりました。大切にします」

ベッドから平方の背中を見送りながら利佳は思った。

部品がもう無いなんてよく聞く話だわ。いつも本当に部品が無くて治せないのかしら?と思ってるけどどうなのかしら。

平方さんにはお世話になってるし、そんな事考えちゃいけないわね。


リハビリを頑張り、やっと退院して店に戻った利佳はリューべと久しぶりに再会した。

「リューべ、ひどい目にあったわね私達」

「利佳、久しぶりですね。私は長い事お休みしていました」

「なんだかチグハグな会話だわね」

それを聞いていた姉の真由が言った。

「あら、ちゃんと話せるわよ」

利佳はリューべを庇って言った。

「ねぇリューべ」

「はい、利佳」

「呼び捨てだわ」

「私がそうさせてるのよ」

「ええ?」

「その方がフレンドリーじゃない」

「まあいいわ。利佳がそれで良いなら。ところでね、あなたいつまでパン屋を続けるの?今回みたいな事になったら困るでしょ?そろそろ引退したら?もう年金がもらえる様な年なんだし」

「だんだん治ってきてるわよ。リューべもいるし。まだ頑張れるわ」

姉が心配するので利佳は開店を遅くして閉店の時間を早くした。

アール保険の木村がやってきた。「こちらが入院と手術費用の請求の申し込み用紙です。こちらに医師の証明を記入してもらって下さい。それにしても大変でしたね。結構怪我された方も多いです」

「地震、怖かったわ」

「気をつけて下さいね。年齢とともにこけただけで骨折なんて事になる方も多いんですから」

次は気をつけないとと、リューべと同じ様な事を言われて、利佳はリューべに「保険屋の木村さんがこんな事いうのよ」とか「今日は雨だから足が痛いわ」とか話した。

するとリューべは「そうなんですね、利佳、今日も頑張ってるね」と返事をした。

時々トンチンカンな返事をするリューべ、でもあなたのおかげで毎日楽しいわ。

利佳とリューべの毎日は静かに進んでいった。


何年かして、リューべは時々動きが止まる様になって来た。生地を練ったり、分割の時はまあいいが、焼成の時に止まってしまうと、リューべが動くまで窯の扉が開けられない時があって利佳を困らせた。

今度故障したら部品がないとか本当かしら、、

そうなったらリューべはどうなるの?

恐る恐る利佳は平方に相談した。

平方は「うーん経年劣化ですね」と言いながらリューべを調べた。

やはり、以前平方の言った通り見通しは厳しいらしい。リューべは今ではすっかり旧式になり、初めは新型ともてはやされていたのにもはや忘れられた存在になっていた。

「m3を使ってるのはリットルパンだけになってしまいました」

そうなのね、私も覚悟を決めないと。

あの、、

聞くのが怖かった。

「いよいよ故障して動けなくなったらどうなってしまうのでしょう?」

「そうですね、機密漏洩の観点からも基本引き上げて処分になります。つまり回収と言うことで、、」言いにくいなと思いながら平方は説明した。


工場でリューべといる時に、利佳は「リューべ、故障しないでね。いつまでも私と一緒にいて」と話しかけた。

「はい、利佳。今日も頑張りましょう」

リューべがまだ動くうちは私もリットルパンを意地でも続けるわ。

利佳の決意も虚しく、リューべの動きの鈍さは日毎に回数が増していく。

一度電源を切ってまた入れ直したり、入力を変えてみたりだましだまし仕事を進めた。もういっそ生地の量を減らす方がいいかしら。利佳は悩んだ。

リットルパンは休みが多くなり、パンは少ししか棚に並ばなくなって来た。

そしてある日とうとう

リューべは動かなくなった。

ところが

「利佳、おはようございます。今日も頑張りましょう」

身体の動かなくなったリューべはまだ話ができる様だった。

「おはようリューべ、私達とうとうパン屋さんを辞める日が来たわね」

平方がやって来て「会話の回路と身体の動きの回路が違うんですよ。だから話はできるんです。ですが、、言いにくいんですが、とうとうm3を連れて帰らないといけなくなりました」

「分かっています」

そう言いながら平方の前にも関わらず、利佳はリューべにすがりついた。

「リューべ、今までありがとう。大好きなリューべ」

来た時はツルツルだったリューべの肌は今やカサカサで破れかけのビニールの様だった。

「丁寧に使っていただいたからこんなに長持ちしたんですよ」

涙が溢れかえる利佳からリューべを引き離していいものかどうか平方は困ったが、パン屋を閉店したらリューべがいる理由は無くなる。

業者が来てリューべを車に乗せた。

その間も利佳はずっと泣いていた。

運転席で配送のものが言った。「あんなに泣くなんてよっぽど大事にしてたんですね。長いこと使ってると情も移りますよね。もらい泣きしそうになりました」

俺がミーテンリースに入社して以降、リットルパンには随分通った。初めて挨拶に行った時、あの奥さんは弾ける様な笑顔でよろしくねって言ったんだ。俺はずっとあの笑顔の為に生きて来たのに、あんなに泣かせるなんて。なんて因果な仕事なんだ。

今まで俺はこの会社の為にどれだけ頑張って来たか。それが最後はあんな風に泣かせる形で終わりになるとは。

このままで良いのか

このままで。

m3がたどり着いたのは廃品になったアンドロイドを置いておく安藤部品工場の倉庫だった。

そこはミーテンリースの委託の会社で、安置されたアンドロイド達は順にバラされて使える部品を海外に販売される。

社長の安藤に挨拶して「あのさ、頼みがあるんだけど」と言った。

「俺と社長の仲じゃんか」


リットルパンは閉店になり、周辺に住んでいるお客さん達は残念がった。

お客さんによって好みが違い、あのパンが良かった、このパンが良かったと様々に食べられなくなったパンの事を懐かしんだりした。

利佳はもう年なので、業者に頼んで中のものを整理して改装し、またお店を誰かに貸すことにした。

がらんとなった店の内部は綺麗に壁紙を貼り変えられ、以前の雰囲気はもうない。

以前工場の奥でリューべがいた場所も、機械は全て取り払われた。

終わりってこんな感じなのね。

利佳の胸に寂しさだけが残った。

竜平もリューべもいなくなったわ。

家に帰って塞ぎがちの毎日が始まった。

もうこれからはこうして1人静かに暮らすのね。

お茶を入れて机の前に1人座っていた時。

ピンポーン

と玄関のベルが鳴った。

平方が何か大きな荷物を背負ってやって来た。

「いや〜こんにちは立米さん」

「平方さん!こんにちは。それはなんですか?」

と言って布に包まれた荷物を指さした。

「これはね」

平方は荷物を縛っていた紐を解いた。

「あっ!」利佳は思わず叫んだ。

「リューべ!」

「そうなんです。廃品解体の社長に頼んで身体の中の部品以外をもらって来たんです」

そう言って首の後ろのボタンを操作した。

「残念ながら身体は動かせなくなったけど、話せるんですよ」

「ええ?」利佳は驚いてリューベと平方をかわるがわる見た。

赤いランプがしばらくして、緑に変わった。

平方はしばらく操作していたが、やがて

「これで大丈夫ですよ」と告げた。

「利佳、こんにちは。今日はいい天気ですね」

「リューべ、そうね、今日は本当にいい天気だわ。これでいっぱいお話ができるわね」利佳の瞳は涙でいっぱいになった。

「平方さん、なんと感謝していいか。本当にありがとうございます。私ずっと思ってました。あなたが私の誕生日や優しい言葉をリューべに入力してくれたんでしょう?」

「いやあ。あれはサービスですよ」

そう言いながら照くさそうに笑った。

「奥さん、僕も会社を退職する事になったんです。それでなんですが、僕も暇ができるので、こうしてリューべの様子を見に来てもいいですか?というかお茶しに来ても構いませんか?」

「はい、勿論」

ボディの部分が空になりすっかり軽くなったリューべに利佳は男物の服を着せて、食卓に座らせた。

もう休みの日とか日曜日とか関係なく、平方はしょっちゅう訪ねて来て、3人で仲良く会話をして楽しんだ。

おわり

パン職人の修造8 ペンショングロゼイユ

パン職人の修造 短編小説  ペンショングロゼイユ

このお話は「パン職人修造の第6部再び世界大会へ 前編」の、世界大会に出場する選手の江川拓也とそのコーチの田所修造の2人が大会の10ヶ月前に、出典作品のテーマである「祭」の芸術作品の案を考える為に、東北まで祭りを見に行った帰りの束の間の出来事です。


江川と修造は2人で東北と江川の店Leben und Brotとの通過地点にあるペンショングロゼイユ(赤スグリ)に泊まっていた。

ペンションは山間にあり静かな所で、洋館風の建物は古めかしいが雰囲気がとても良い。

周囲には花や果実のなった木もあり、手入れが行き届いていて眺めが癒される。

修造は昨晩、秋に出場するパンの世界大会の「パンで作る芸術作品」の原案を色々考えて眠れない夜を過ごした。

「おはようございます修造さん、大丈夫ですか?あんまり眠れませんでしたか?」

「うん」

無口な修造はあまり自分から話さないので、何か聞き出すのは容易ではなかったが、長い付き合いの修造の事なので江川は雰囲気で察するのが上手かった。

朝食の時間になり2人は1階の食堂へ移動した。自分達の他には客は夫婦らしいペアが2組しかいない。

江川はキョロキョロして、客室は8部屋中宿泊客は3組か。近所で有名な祭りをやっている時期なので宿泊客の多い時期のはずなのに。。と思っていた。

江川が運ばれてきた朝食を食べて驚いた。

うわ、目玉焼き焼き過ぎ、なんかありきたりなメニューだし、この丸パン、すごいイースト臭がする。寝坊したから間に合わせる為にイースト多めにしたのかな?それともわかってなくてやってるんだろうか?

修造さん、全然食べてないし。

江川はどんな人が作ってるのか厨房を見たその時。

「もうあなたとはやってられないわよ!」と怒鳴り声が聞こえた。

そして長い髪を後ろで束ねた細い背の高い女性がエプロンを外しながら厨房から出てきてそのまま外へ出て行った。

「うわ、喧嘩でしょうか?怒鳴ったのは今の厨房から出てきた女の人っぽいですね」

様子を見ていた修造が立ち上がって、厨房に1人で立っている男の人に言った。
「おい!早く追いかけて行け!何があったか知らないが謝ってこい!」

急に身長が180センチある、体格のいい修造に声をかけられ、驚いた男は慌てて出て行った。

「あの、あと2組が朝食を待ってますがどうしましょう?」

「え?」

見ると他の客はまだ何も食べてない様だった。

「あの調子じゃ2人ともいつ帰ってくるか分からないですよねぇ」

江川が修造に促す様に言った。

「仕方ないな」

修造は厨房に入ってさっきのメニューは無視してあるもので調理し出した。

食パンにハムと玉ねぎと粒マスタードを挟んだ砂糖抜きのフレンチトーストを焼いた後にチーズを乗せて、同じお皿に野菜、果物を美しく盛りつけた。

デザートはローテグリュッツェ(ベリーのフルーツソース)を作り、アイスに添えてコーヒーと出した。

2組の客は「うーん美味しい!」と感激して食べていた。
「美味しそう。修造さん僕もあれが良かったです。」と悔しがっていたら、さっきの男性が追いかけた女性と戻ってきた。

「先程はお騒がせしました。僕たち夫婦は2人でこのペンションを営んでいます。僕は初田紀夫、こちらは妻の美和子です」

「お料理をして下さったんですか?」

紀夫は他の客のお皿を見て言った。

皿の上の料理はよほど美味しかったのか、何が乗っていたのかわからないぐらい綺麗に食べられていた。

江川は「いつ戻ってくるか分からなかったから調理場に入らせて貰いましたよ」と、説明と言うか調理場に勝手に入った言い訳をした。

「すみません、ありがとうございました。コーヒーお出ししますのでおかけ下さい」
と美和子が頭を下げた。

そして4人で座って紀夫と美和子から話を聞いた。

修造が黙ったまま座っているので、江川が切り出した「さっきのは仲直りしましたか?夫婦喧嘩は犬も食わぬって言いますものね。僕たちが口出す事じゃ無いですし」

「私はこのペンションが心から好きで、建物の手入れも庭の草花の世話も手間を惜しみませんが、この人は本当にやる気が無いんです。初めは楽しそうに仕事してたのに、最近の手を抜いた朝食を見てると腹が立ってきて、、それで怒鳴ってしまったんです。全て1人でやるのは大変なので主人ももう少しやる気を出してほしくて」

江川は「あのぅ、僕からは言いにくいですがあまり美味しい朝食では無かったですよ。愛がないと言うか、やっつけ仕事と言うか」と言った。

「何でやる気が出ないんですか」修造が聞いた。

「僕は料理があまり得意で無いんです。簡単なやり方ならできるかと思って。それで7日分の料理を曜日ごとに出していて、その方が楽なので」

楽と聞いて修造の顔色が変わったのを江川は見逃さなかった。

「仕事に楽したいとかないだろ。食べる人の顔を思い浮かべてみろ、それが自分の作ったものでできた笑顔ならお前も嬉しいんじゃないのか」

「そうなんですが、、」

修造はこの男の意識から変えないと成り立たない話だと思った。

「数ある店の中からこのペンションを選んで来て貰ったお客さんに感謝の気持ちはないのか」

そして紀夫を厨房に連れて行った。

美和子が心配そうに見てるので、

江川は「大丈夫ですよ。あの人はドイツでパンの修行をして来たパンマイスターなんです。何が考えがあるんじゃ無いですか?」

「美和子さんは何故ご主人と結婚されたんですか?」

「私達は同じ会社で働いていて、同じ年に入社した同期なんです。付き合いだして将来は2人で何かやりたいねって言ってて、このペンションが売りに出されてたので相談して引き継ぐ事にしたんです。以前のここのご主人はこの方です」

美和子はファイルを取り出した。

ファイルには書類と写真が挟んであって、写真には赤い実の沢山なった背が低い木の前に60歳ぐらいの夫婦が立っていた。

「この夫婦が以前のオーナーです。このペンションの名前は以前は『ディ パンジオン ローテヨハネスレーベン』(ドイツ語でペンション赤スグリ)と言ったんですが、私たちの代になった時、ペンショングロゼイユに変えたんです。赤いスグリの事をグロゼイユともいうので。ペンションの前に何本か赤スグリがあって季節には小さな実が沢山できて真っ赤になるんです。この庭が気に入ってここを引き継ぐ事にしたんです。前のオーナーは奥様を亡くされてからがっくりきてペンションを売りに出されたんですって」

江川は「そうなんですね、今厨房にいる修造さんも奥様を亡くされて、それはそれは気落ちされていました。大切なものを無くすと辛いですね」

「江川さんはご結婚はまだ?」

「はい、まだなんです」

修造さんと亡くなった律子さんは僕の理想の夫婦だったんだ。

生活とパンと言う意味のパン屋Leben und Brot(リーベンアンドブロート)を修造さんが立ち上げた時、いつも2人の心が通い合ってたのを見ていて羨ましかった。

誰かと付き合ってるうちにあんな風になるのかと思ってたけど、未だにそんな人と巡り会えてない。

あんな風に目を見ただけで分かり合える仲なんて中々無いよ。僕には無理かな。

一方厨房では

修造は紀夫からまず興味を引き出さないとと考えていた。

しかしやる気のないやつから興味ってどうやったら引き出せるんだ。。

そうだ今日のパンの工程から見てみるか。

そして紀夫に「今日のパン作りの手順から教えて下さい。正直にね」と言った。

紀夫は紙に今日のパンの配合と工程を時系列で書いた。

紀夫の文字は、まるで揺れた所で書いた様なガタガタの読み辛い字だった。

「発酵時間が短いな。それを補う為かイーストを増やして、高温のホイロで無理矢理発酵させたな」

「はい、その通りです」紀夫は正直に言った。

「作り始める時間が短くて無理矢理やった感じです」

「手抜き、楽、それってその時は良くても続けると信用を失うよ。他人の信用って中々得られないじゃないですか」

「はい、それもその通りです」

紀夫の言い方は開き直ってる様にも聞こえた。

修造は前日に生地を作ってじっくり冷蔵庫で発酵させるレシピを書いて貼ったものの、これって実際にやってみないとなあ。でも明日は金曜日で麻弥の店の日だから今日中に帰らないと、、

「俺は今、そこに座ってる江川の店に在籍してるんですが、今度来て実際にこのやり方をやってみませんか?」とレシピを指差しながら聞いた。

「パン屋さんなんですか?行けたら行きます」紀夫は曖昧な返事をした。

「行けたら?今本気でやらないと、さっきみたいに愛想つかして奥さんが去って行ったらどうするんですか。このペンションも奥さんも失って初めて気がつく事になるんじゃないですか?」

「料理もパンも手間暇かけないと美味しいものは作れないんだ」

料理はどうなんだ、さっきこいつ料理が得意じゃないとか言ってたな。

そういえば冷蔵庫は出来合いのものばかりだったな。

「紀夫さん、あんたこのままでいいんですか?本当はこの仕事やりたかなかったんですか?」

「ずっと妻と2人で一緒にペンション経営をしていたかったです」

「していたかった?」

紀夫は近くにあった包丁を持って修造に見せた。

右手の付け根から伝わって、刃先が微かだが小刻みに震えている。

「ずっとじゃないんですが段々ひどくなってきて。身体を動かすと手が震えるんです」

「奥さんは知ってるんですか?」

「いえ、言ってません」

「医者は本態性振戦(ほんたいせいしんせん)と言ってます」

「初めて聞きましたが、、?」

「手、首、腕など人によって症状は様々なんですが、震えが出るんです。最近薬を飲み始めた所です。酷くなると手術になるそうですが怖くて」

「そうだったんですね、知らなかったとは言えキツめに言っちゃってすみません」

紀夫は修造を見た目はいかついのに心の優しい人だと思った。

「俺の亡くなった妻も初めは気にもしてなかった。何ともないって言ってたんです。どんどん悪化してそれが原因で亡くなった。止めようと思っても弱って、、細くなって、、もっと気をつけていれば良かったと後悔しかない」

「大切なものは守らないといけないですよ」

ーーーー

修造は江川を外に呼び出して事情を話した。

「え?手が震える?実際どうするんですかね?奥さんが作って旦那さんがサポートするとかが良いんじゃないですか?それか療養の為に旦那さんは休んで誰かを雇うとか?」

「そうだなあ。そうなっていくかもな」

2人が話してると1人のおじさんが庭を見て回っていた。
絡まった蔦(つた)を取ったり雑草を抜いたりしている。

江川はそのおじさんを見て気が付いた。

「あ!あなたは前のオーナーさんですよね?僕さっき写真見たばかりです」

おじさんは腰をとんとんと叩きながら伸ばして修造達を見た。
「ここのお客さんですか?そうなんですよ。ついつい気になってしまって、時々庭の手入れをしています」

「修造さん、こちらは以前ここのオーナーだったんですが、奥さんを亡くされてからここを売りに出されたそうなんです」

「神田清と言います」

「僕は江川拓也、こちらは田所修造さんです。僕たち2人ともパン職人なんですよ」

「パン職人。。私もここでよくパンを焼いたもんです。懐かしいなぁ。妻と2人で食事の用意やお客さんのお世話をしていました。妻はこの赤すぐりの木を気に入ってましてね。夏頃になると赤い実が一面に広がっていました」

「神田さんは今はもうお仕事はされてないんですか?」

「そうですね、思い出と共に生きてるようなものです。仕事をしてませんので結構暇ができて、たまにここに来ています」

「ここの料理やパンは何がお勧めだったんですか?」

「若い頃ドイツに少しだけ修行に行っていて、その時に覚えたものを出してました」

「ここで立ち話も何ですから中で話しましょう」神田を建物の中に入れて座らせた。

「俺と神田さんは境遇が似ています」修造は神田にシンパシィを感じていた。

江川が「修造さんも以前ドイツで修行されてたんですよ。奥さんが亡くなられて今はお店はやっておられませんが」と言った。

聞いてるうちに修造は段々落ち込んできた。
律子の事を思い出す言葉が多いせいだ。

表情を曇らせて窓の外を見出したので、内心余計な事を言ったと思いながらも江川は「以前はどんなパンや料理が人気だったんですか?」と神田に聞いた。

「ブロートヒェン(小型パン)やブレッツェル、カイザーゼンメルは人気でした。ミッシュブロートをサンドイッチにして出したりしてました。料理はグラーシュ(トマトベースの肉料理)、シュニッツェル(トンカツ)が人気でした」

「うわ!うまそうだなあ〜」

修造が向き直って「地元のものは何か使ってましたか?」と聞いた。

「はい、この辺はりんご農家が多いので季節には使っていました。アプフェルシュトウルーデル(りんごのお菓子)やフェアサンケナーアプフェルクーヘン(沈んだりんごのお菓子)を食後に出してましたね」

掃除をしながら聞いていた美和子が「凄い!うちもそんな料理やデザートが出せたらもっと賑わうと思います」

修造たちは紀夫を見た。

江川は、紀夫さん奥さんに病気の事言わないのかなあ、僕から言うのはお節介がすぎるし、、と思った。

紀夫は黙って立っている。

「俺はりんご農家が見たいんですが、案内して貰えませんか?紀夫さんも行きましょう」

紀夫は修造を見た。

何かまだ言いたい事があるんだろうか?

自分だってこのままではいけないのはわかってるんですよ修造さん。

「わかりました行きます」

修造、江川、神田、紀夫の4人は近くにあるりんご農家を訪れた。

「僕、りんご農家来たの初めてです修造さん」

「俺もだよ。南にはない空気感だなあ」

温度が低い冬場のせいもあって、空気は冷たく、澄んだりんごの木の香りが肺に入って来て心地よい。

修造と江川が始めてみたりんご農家のリンゴは、絵や写真で見るりんごの木のイメージとは違っていた。りんごの木一本一本はそんなに大きくなく、脚立に乗れば上まで手が届くように手入れされていて、わい下(わいか)と言って枝が下を向いていて、実が沢山なって収穫しやすい形になっている。そんなりんごの木が綺麗に整列した景色が広がっている。

神田の紹介してくれたりんごの農家の澤口さんが説明した。
「今は紅玉の季節は終わっていてここになってるのはジョナなんです。甘味や食感が人気ですよ。紅玉とゴールデンデリシャスを交配して作られたものなんです」

澤口さんが懐かしそうに言った。
「神田さんのりんごのケーキ、また食べてみたいです。ケーキ屋さんとかしないんですか?」

「もう新しく開業する元気はないですよ。妻もいないし、作ってみたい気持ちはありますが」

修造はジョナを指して「神田さんこれ、ペンションで何か作って貰えませんか?良いですか?紀夫さん」と言った。

「はい、勿論」2人が同時に返事をした。

農家のおじさんにりんごを少し分けて貰い、神田の知り合いのケーキ屋に立ち寄りアーモンドの粉末を譲って貰った。

修造達はペンションに戻り、修造と紀夫、神田が厨房に入った。

入りきれなかった江川は美和子と席に座ってりんご畑でのいきさつを説明した。

「今から神田さんが美味しいものを作ってくれるそうですよ」

「そうなんですか」

「美和子さんはご主人に変わって欲しいですか?以前はどうだったんですか?」

「そうですね、初めはもっとやる気だけはありました。さっき主人も言ってましたが、やり方がわからないのかもしれません。どなたか教えて下さればと思って料理教室に行ってくれるように頼んだんですが、行かないって、、」

「あの、奥さんその事なんですが、旦那さんは病気だそうですよ。さっき修造さんから聞きました。手が震えるそうなんですが気がついてませんでしたか?」

「え?そういえば最近良く物を落とします。それに朝起きるのも辛そうでした。でも全然知りませんでした。何故教えてくれなかったのかしら」

江川は修造に聞いた事を美和子に伝えた。

「心配かけたくなかったのかもしれませんね」

「それであんなに変わってしまったんだわ。何にも興味がないのかと思っていました。私紀夫に謝らなくちゃ」

2人は厨房を見た。

一方厨房では、神田がりんごのトルテを作ろうとしていた。さっきケーキ屋で手に入れたアーモンドプードル(粉末)とシナモンを効かせた生地を作って冷蔵庫で冷やした。

修造は「トルテの台ができたらひとつくださいよ」と言って冷凍庫の赤スグリを出してきた。

「これでおれもリンツァートルテを作りますよ」

神田は懐かしそうに「リンツァートルテもよく作りました。トルテに赤スグリのジャムを作って塗るんです」

「そうですね」

紀夫はそんな2人を見ながら、なんて楽しそうに作るんだ。自分はこんな気持ちで何かをつくった事があるだろうかと自問した。

「自分にも何か手伝わせて下さい」

「大丈夫ですか?じゃあグロゼイユ(赤スグリ)でジャムを、それとりんごでコンポートを作って下さい。ゆっくりで良いですよ。疲れたらいけないですからね」

修造は配合を紙に書いて紀夫が見やすいところに貼った。紀夫が困らないように時々説明して、自分も神田とトルテ作りをしていた。

「できたらすぐ冷まして下さい」

紀夫は言われた通りにジャムとコンポートをバットに広げて冷蔵庫で冷やした。

修造は形に敷いたトルテの生地を紀夫に渡した。

「今度は冷めたものを各々のトルテに広げて」

「はい」

「この生地を格子状に置いていって下さい」
修造は細長くカットした生地を渡そうとした。

「手が、、」紀夫の意思に反して手が小刻みに震えている。

神田もそれに気がついた。

「病気なんですか?」

「ええ、まぁ」

「大変じゃないですか」

「俺がやりますよ」修造は生地をトルテの上に貼り、周囲にも生地を張り付けてアーモンド散らばせてトルテをオーブンに入れた。

焼けるのを待つ間、修造と一緒に片付けをしながら神田が聞いてきた。

「手が震え出したのはいつからですか?」

「半年ぐらい前から徐々になんです。」

「何故奥さんに言わないんですか?」と修造が聞いた。

「自分は今、あまり妻との関係が良くないんです。失うのが早まるだけかなと考えていました。でもちゃんと話をしなかったから悪化してしまったんだなと今日悟りました。妻との関係もペンションの経営も」

「修造さんの言ってくれた言葉が全て刺さりました。心配してくれてありがとう」

修造は黙ったまま焼けたトルテをオーブンから出した。

あたりはトルテの良い香りが立ち込めた。

修造達は出来上がったトルテをカットして美和子の所に運んできた。

「奥さん食べてみて下さい」

2つともフルーツの甘酸っぱさとアーモンドクリームの優しい甘さが
口に広がり癒される。

「どちらも美味しいです」

「これをこのペンションの名物にしたらいい。夏の赤スグリの季節、そして冬のりんごの季節と分けるんです」

紀夫はびっくりした。

「自分がつくるんですか?」

「いや、作るのは神田さんです」

えっ!とみんな驚いて修造と神田を代わるがわる見た。

「神田さん、あなたここで調理をしないですか?このペンショングロゼイユの脆弱な部分を補ってあげて下さい」

神田はしばらく考えた、懐かしいこの場所で、亡くなった妻との思い出の場所でもう一度。

修造は紀夫と美和子にも「どうですか?」と聞いた。

「あなた、病気なのに何故隠したりしたの?私に1番に言わなくちゃいけない事なのに」

「すぐ直ると思っていたんだよ」

「それに美和子が頑張ってるのを見て、申し訳なくてどうしても言い出せなかったんだよ」紀夫は美和子を見つめて言った。

そして修造に言った。

「うちとしても勿論神田さんに来て欲しいけど、うちは今そんなに人を雇う収益が無いんですよ」

「そうじゃないんだよ。俺は金の事を言うのは好きじゃないが、神田さんが入る事で余裕ができる、夫婦2人でのもてなしに人が集まって来る、忙しくなる、それでお給料が払える。そう言う事だろう」

美和子は「本当にそうだわ。私も紀夫も大切な事を見失っていました。ギスギスしておもてなしの心を見失っていました。神田さん、我々と一緒にペンショングロゼイユで働いて頂けますか?」

神田は建物の中を見回した。

「妻を思い出して辛かった時期もありましたが、懐かしい思い出の方が多い。またここで働きますよ」と言った。

修造は朝作ったフルーツソースのあまりを冷蔵庫から出して持ってきた。

「それともう一つ、これも赤スグリで作ったローテグリュッツェというフルーツソースなんですが、甘酸っぱくてアイスにもヨーグルトにも合いますから夏になったらこれも出せば良いですよ」と配合を書いて渡した。

そして

「神田さん、2人はこれから頑張って行くでしょう。前のオーナーだし、色々気になるでしょうがあまり口出ししないようにね」とこっそり言った。

「わかりました。」神田が笑って言った。

「約束ですよ。」

以前のようでは無いけど、過去は戻ってこないけど、また新しく始めないといけないんだな。

俺は律子にもう一度会いたい、全然諦めがつかないんだ。

修造はマガジンラックのある雑誌を広げてしばらく眺めてから閉じた。

「そろそろ行くか江川」

「はい、荷物取ってきますね」

美和子が「修造さん、色々お心遣いありがとうございました。今日の事は忘れません。神田さんも協力してくれる事になりましたし、これから紀夫と2人で治療にも力を入れていきます」

修造は黙ってうなずいた。

そして外に出てスマホを開いた修造は「うっ!」と呻いた。

麻弥から100件ぐらいLINEが来ている。

どこにいるの?修造

早く帰ってきて修造

寂しい修造

愛してる修造

「うわ、凄いですね麻弥さん」

「江川、俺はもう麻弥に逆らわないようにしたんだよ。全てを受け入れてやりたいようにさせてやるんだ。はいはいはいってな。佐山も怖いし、麻弥は俺が隠れても地の果てまで追いかけて来そうだし」

「コンディトライマヤって凄い店ですね」

江川は修造を見つめた。

全てを受け入れる事にしたんだ。懐が深いな修造さん。

愛にも色々ありますからね。

「逃げたら困りますよ。世界大会もあるんですから」

「わかったよ、さあ、行こうか江川」

「はい、交代で運転ですよ」

「まだ少し時間があるから民芸館を見て帰ろう」

車で立ち去る2人を見送りながら美和子は考えていた。あの修造って人、どこかで見た事ある、、

と考えて思い出した。

あ!

さっき修造さんが見ていたパン好きの聖地2に載ってるあの人本人だわ。

全然雰囲気が違うから分からなかった。

美和子は走り去る車が見えなくなるまで外に立っていたがやがてペンションに入って行った。

過去は戻らず思い出が時に人を苦しめる。
だけど明日はやってきてまた新しく始まる事ばかり。

ペンショングロゼイユの中では3人が夕食の献立を考える話し合いを始めた。

おわり


このお話は2021年05月25日(火)グロワールのブログに投稿したものです。

パン職人の修造 第6部 再び世界大会へ 後編

パン職人の修造 第6部 再び世界大会へ 後編

パンの世界大会当日

「江川、緑! 今日は頑張ろう! 今までやって来たことを無駄にしないで悔いのない様挑むんだ!」

江川は、昨日ミヒャエルに何を言われたのかわからないけど修造さんが怒った所を久しぶりに見た。僕が一矢報いる様冷静に動かなきゃと思っていた。

「修造さん、頑張りますね! 今日は緑ちゃんを上手くリードします」

そう言いながら緊張で手が震えそうになるのを笑って紛らわせた。

各国の旗を持ち選手が次々に並び開会式が行われた。

隣のミヒャエルが「修造、よく眠れたか?」と嫌味っぽく言ってきた。

「ああ、よく眠れたよ。余裕たっぷりだからな!」

日本のチームも開始の音と共にブースに入った。

キッチンの配置は江川が作った試作室と同じで慣れた環境で動く事ができた。

練習通りに生地作りを始め素早く仕上げていった。

ヴィエノワズリー、タルティーヌ、カンパーニュなど様々なパンが素早く出来上がっていく。

種類ごとに同じ形で同じ大きさのものが綺麗に並べられて行った。

「いいぞ、予定時間通りに無理なく進行している」

出来たパンは次々にカットされ、ピールにのせられ並んで座っている審査員が試食して点数をつけていく。

修造とミヒャエルはお互いの作品をチェックして、正直僅差だと感じていた。

俺がエーベルトを独り占めしてると感じていたんだな。あの素晴らしいベッカライ、エーベルトベッカーがもう亡くなったなんて信じられない。

エーベルトを恨まないでくれミヒャエル。。。

修造は江川の次の作業がスムーズにいくように声を掛けていった。

江川と緑は土台の燃える花をモチーフにしたカンパーニュの上に薪を組み、その上に焦げ茶色の太鼓を取り付け、手に五穀豊穣祈願の棒を持った男を立たせた。

一番難しかったのは薄い炎の形の生地を外れず割らずに取り付ける所で、内側は固定してかなければならない。固定してるのに動きをつけるのは容易では無い事だが、そこは日本でも何度も練習した。

炎の形をいくつも作り、下から上へと色を変えながら取り付けていき、それは彩りも美しく、荘厳で炎が風に煽られて燃え上がる感じが上手く表現できていた。まるで火の粉が見えるようだった。

江川の勢いのある正確さと緑の素早い動きは絶妙なコンビとして人々の目に映った。

2人はパンを次々完成させて並べ、飾りパンを手前の台に置いた。片付けを済ませて終了の赤いカーテンを引いた。

並べられた作品を見比べてミヒャエルが「見てみろ我がドイツ国の美しい芸術作品を」と言ってきた。

「おいミヒャエル。お前の目は節穴か? 見てみろこの炎の芸術を」

手をかざすと作品の赤が手に映え、まるで炎が映ってるようだった。

選手たちは集まって集計を待った。

「お母さん、お父さんと私、頑張ったよ」

緑は祈った。

江川と緑は3位以内に入り、応援と拍手に迎えられ3か国が並んで知らせを待った。

日本、ドイツ、イタリアの3か国の選手が緊張の一瞬を迎えた。

その時世界大会の会長がマイクで告げた。

「JAPAN!」

江川は世界1位になった。

「ぅおおおおおお―――――っ! やったーーーっ!」

江川が柄になく大声を出した。

江川はペストリー部門、サンドイッチ部門、芸術作品部門の3冠に輝き、緑はベストアシスタント賞に選ばれた。

2位のドイツとは僅差での危ない優勝だった。

修造は感動して泣いている西畑の肩を叩いて、

「西畑ありがとう。緑を頼むよ」と言った。

「修造さん。僕途中で気が付きました。緑さんに実力で負けないように僕を育てて下さってたんですね」

「それはな、西畑。お前が頑張ったからだろう。頑張らなければ無かった事だ」

去り際に西畑の方を振りむき薄く笑いながら「急にドイツに一人で行くとか言ったら俺がボコボコにするからな」と言った。

「わわ、気を付けます!」

修造はミヒャエルを探し声を掛けた。

「お前は俺の事をどう思ってるか知らないが、エーベルトは俺の恩師なんだ。お前のお父さんには抱えられない程のものを貰ったよ、だからお前にも礼を言わせてくれ。ありがとうな、ミヒャエル。また会おう」

修造はミヒャエルの手を握り、ミヒャエルは少しだけ頷いて、

「修造、昨日は大会前でお前にかましたのさ。本当は都心部の近くの店舗での薪窯が段々規制が厳しくなって来たんだ。親父は改装を嫌がってたけど、親父も亡くなったから思い切ってイメージを一新したんだ。何も連絡しなくて悪かったな」

ミヒャエルは修造の手を握り返して去って行った。

ーーーー

帰国後、江川はますます人気シェフになりLeben und Brotは沢山のお客さんの大行列ができた。

江川と緑は取材の嵐で忙しかったので、修造は西畑や他の職人達と大量のパンを作った。

様々な人がSNSで店の事を知らせ、それを見た人達がまた押し寄せた。

修造は西畑と持って帰って来た炎の祭りの飾りパンをもう1度組み立てて店に飾った。

するとその写真を撮る為にまた人が押し寄せた。

これは当分忙しくなるな。

修造はテクニカルアドバイザーとして数件の企業に声を掛けられ条件のいい高額の提示をされていたが、どこにもまだ忙しいからと断っていた。何処にも、何にも修造の心を動かすものがなかった。

金曜日、修造は麻弥の店に来ていた。

「修造、優勝おめでとう、私も嬉しいわ」

麻弥は豪華な花束を用意していた。

「ありがとう麻弥」

世界大会が終わった、でも、もう帰る場所が無くなってしまったな。江川の店も忙しいし、大地の練習も見なくちゃならないから、しばらくこのままで、その後は、、

麻弥は修造の背中を見て思った。

「あなたは私がどんなに愛情を見せても寂しそうだわ」

「私の心はいつまでも届かないのね」

麻弥はいつも修造に負担をかけない様に努めて明るく振る舞った。

例え、いくら忙しくても修造の前でだけは余裕のあるフリをして。

そんな麻弥の心も限界が来ていた。

同じ頃

緑と西畑が大地のところに挨拶に来ていた。

「大地、西畑さんよ。私たち結婚するの」

「西畑さん、お姉ちゃんはファザコンですが、よろしくお願いします。姉ちゃんも結婚したらあんまりお父さんお父さん言わない方が良いよ」

西畑は苦笑いした。

「大丈夫です。僕はそこもひっくるめて緑さんと結婚させて貰います」

「もうなによ〜! 2人とも!」

「あのさ、ママさんって、、、麻弥さんって知ってる?」

「知ってるわ。お父さんにベッタリの人でしょう」

「あの人も式に呼ぶ?」

「お父さんとお母さんが仲良かった所がまだ記憶に新しいのに? 私達が彼女を呼ぶの?」

「呼んであげたら? このままでは良くないよ。新しいことに気持ちを切り替えさせないと。それにママさんはそんなに悪い人じゃないよ。ただ親父が好きなだけなんだと思うよ」

「なによママさんって! 少し気が早くない?」

「そういうあだ名の人なんだよ」

「お母さんのお仏壇の前でこんな話、、」

「ママさんはいつも綺麗に掃除してくれてるよ」

大地は律子の仏壇を見ながら言った。まるで公認だとでも言わんばかりに。

大地は普段なにも話さないのにこんな事を考えてたんだと緑は思った。

お父さんにとって過去は戻りたいけど戻れないとても辛い所なんだわ。

「わかった。麻弥さんも呼ぶわ」

待ちきれなかった西畑は緑と挨拶に来た。

「修造さん、改めてご挨拶に来ました。僕と緑さんはLeben und Brotで結婚式を挙げます。これ、麻弥さんの招待状もあります」

「お父さん、私たち2人でパン屋さんを開くのが夢なの。Leben und Brotみたいにお客さんがパンを楽しんで選んで笑顔で食べてる、そんなパン屋さん。」

「楽しみにしてるよ」

「麻弥さんも式に来てくださいね」

「素敵ね。2人でウェディングケーキを作らない?」

「そうだね」

式の当日、修造と麻弥は4段のケーキにマジパンの花と、バゲットを持った新郎新婦を飾った。

「良いのができたわね」

「そうだね」

結婚式は花が咲き乱れたLeben und Brotの庭で行われた。

律子の若い時にそっくりになったドレス姿の緑はとても美しかった。

「綺麗だな」

自分の若い時を思い出し、あの時式をあげて律子にドレスを着せてあげたら良かったと修造は後悔した。

大会の後、自分を責める寄せては返す波の感覚が随分空いて来ていたが、まだこんな時は辛さが勝つ。

遠くを見つめる修造に気が付いたが、」披露宴の間麻弥は修造の腕を組んで明るく振る舞った。

「2人で上手くやっていくんだよ。幸せにな」

「修造さん、お、お父さん。僕、緑さんを幸せにします。次はお二人の番ですね!」

腕を組む修造と麻弥を見てそう言ったが、修造は返事をしなかった。

ーーーー

雨が降っていたある日

修造は麻弥の店に呼び出された。

お店は定休日で、電気の消えた店に麻弥は一人で座っていた。

「私、、もう疲れたわ。私はきっと亡くなった奥さんに勝てない。あなたが私を愛する日は来ないのよ」

緑と西畑の姿を自分に重ね合わせて見ていた事を、麻弥に見透かされていた。

その時初めて修造は麻弥の顔を真っ直ぐ見つめた。

「なぜあなたは私の言いなり人形の様に振る舞うの? 私の事を馬鹿にしてるの?」

涙をいっぱい溜めている麻弥。

瞳から溢れ出る涙を見て初めて麻弥の事がわかった気がした。

「麻弥、心から謝るよ。こんなに無理させて、、俺は麻弥のことを誤解してたんだ」

「麻弥聞いて欲しい事があるんだ」

「俺はまだ心の中に穴があいたまま生きてるんだ」

修造は初めて律子が亡くなった夜の話をした。

その時抜け殻の様になってしまった事も。

寄せては返す後悔が自分を責め続けている事も。

麻弥は修造の隣に座って手を握り、泣いていた。

今日修造は初めて本心を明かした。

「もっと早くこの事を打ち上げれば良かったね」

「麻弥」

「俺は山の上であのソファに座りながら自分が死ぬのを待っていたんだよ。自分から死のうとしたわけじゃない、そうじゃないんだ。ただいつか自分が終わるのならその時をじっと待っていようと思ったんだ。俺は頑丈だったよ。。でも流石にもう少しで自分は終わる、、そう思っていたら、麻弥が俺を訪ねて来たんだ」

「そして何かが不思議な力で俺を立ち上がらせたんだ」

「麻弥が帰った後、俺は何日か座ったまま過ごしていた。そしたら凄い風が吹いて来てその時聞こえたんだ。確かに。怒った声で『立って!』っていう声が。我慢してたけどとうとう切れたって声だった」

「俺はその後何日か待ってた。もう一度声が聞こえるかもと思って探したよ。でも何も起こらなかった。今となっては空耳だったのかどうか」

「律子が子供達を叱る時あんな言い方だった。だからいつまでもじっとしてる俺をとうとうあの世から叱りつけたのかもしれないな。そう思ってこっちに来たんだ」修造は途切れ途切れ話した。

「その後、麻弥のシュニッテンが俺を救ってくれた。俺の次の生き方があの時から始まったんだ」

「俺は若い奴らに色んな事を教えなくちゃいけない。そういう事だったんだよ」

前を向いて行け。そう言いたかったのか。。

「麻弥」

修造は麻弥と向き合って言った。

「フラついていた俺のせいなんだ。俺達は間違った付き合い方をしてたんだよ」

「君をずっと傷つけていて悪かった。親友であり、懐かしい同僚であり、同じ体験をした仲間なんだ。大切な人なんだ。麻弥を失いたくないんだよ」

「もう明るい振りしなくていいんだよ。泣きたい時は泣いたり、疲れた時は疲れたと言ってくれ。本当の自分を見せながら一緒に生きていってくれないか」

ーーーー

麻弥はそれ以降顔を見せなくなった。

仕事場にも来ないし家にもおらず忙しい様だった。

店の窓から外を見ながら麻弥の事ばかり考えている事に気づいた。

麻弥は心の真ん中で真っ赤に燃えていた。

「バカだなあ俺は」

振りむいて仕事中の佐山に「俺は今、ちゃんとしてあげて下さいの意味がわかったよ」と言った。

「今ですか? 全く呆れますね」

佐山は軽蔑の眼差しで修造を見た。

「あなたは一本気過ぎるんですよ。一つの事が終わらないと次のことがわからない不器用な人ですね」

佐山はスケジュール帳を開いて指さした。

「麻弥さんが確実につかまる日がありますよ。ほら」

そしてスマホを素早く検索して「丁度隣が空いてるから取っといてあげますから今から準備したらどうです?」

走って去っていった修造に「鈍感な人だ。僕はただボスに幸せになって欲しいだけ、それが何故かあいつにはわからない」

修造は佐山に教わった時間に飛行場に来た。

「麻弥」

ドイツ行きのゲート前で修造は声をかけた。

「どうしたの? 私は仕入れに行くだけよ? 何かあったの?」

「俺も仕入れに付き合うよ。ノアに会いたいんだ。さっきメールして約束したよ」

麻弥は不思議な気持ちだった。

修造、雰囲気が変わったわ。表情がスッキリしてる。そういう私も前と違う。あれから修造を信頼してる。今までは何処かに行ってしまったらどうしようって不安だったけど、その不安はなぜか消え去ってしまったわ。

ドイツに着いた後、麻弥と仕入れを済ませ懐かしいヘフリンガーに出かけた。

お世話になったマイスターは髪が真っ白になっていたがまだまだ元気そうだった。

久しぶりだなあこの雰囲気。

なんて素晴らしい場所だったんだ。

ここでパン職人の自分は生まれた、そんな気持ちになった。

そして麻弥ともここで出会ったんだ。

その時修造は思い出した。

あの角から、あの店の中からいつも麻弥が修造に向かって手を振っている所を。

あの時から麻弥は俺の事をこんなに長い間想ってくれていたのか。

「忍者! 久しぶりだなあ!」親友のノアが待ち構えていた。

「久しぶりだねノア、忍者なんて、もうあの時みたいに機敏に動けないよ。おじさんになっちゃったからね」

「お前のことはずっとSNSで見てたよ。お前らが付き合ってるって知らなかったけどね」

パンとビールで話はいつまでも弾んだ。

楽し過ぎる時間だった。

修造は久しぶりに笑った。

そして帰り際にノアから紙袋を受け取った。

「親友のノア! ノアに頼んで良かったよ」

「うまくやれよ」ノアは笑って修造の背中をポンポンと叩いた。

ーーーー

「やっぱり寒いわね、この時期は」

麻弥はオレンジ色のコートに白い帽子を被っていた。

修造と麻弥はやっと心が通じた感覚を2人で感じ取っていた。

心の道が出来た、そんな感覚だった。

修造は麻弥のふとした表情に胸打たれる瞬間が増えた。

「俺は今から行きたいところがあるんだ。一緒に行ってくれる?」

「どこなの? それ」

それはクリスマスマーケットだった。

巨大な施設に屋台が沢山並んでいる。

各店々に沢山のクリスマスの飾りや置物、食べ物などが売っていて目移りする。

ホットワインと焼きソーセージを食べてゆっくり回った。

石畳みはヒールで歩きにくく、つまづきそうになった時、修造が麻弥の腰に手を当て支えた。

「ドイツ式の石畳は結構歩きにくいんだよ」

人混みの中を歩きながら麻弥は気づいた。

修造は私が誰かにぶつからない様にさりげなく避けてるんだわ。

ひょっとして私を守ってくれてるの?

「あれ見て、移動式の観覧車よ。こんな大きいものどうやって運ぶのかしら。凄い迫力ね」

「いいね、乗ろうよ」

キラキラと色を変えて輝きながらゆっくりと回る観覧車からはマーケットや川のイルミネーションが延々と続いてるのが見えた。

町中がクリスマス色に輝いている。

「綺麗ね」

外を向いている麻弥をこちらに向かせてノアが作ってくれたレープクーヘンを首にかけた。

Willst du mich heiraten? (結婚してくれないか?)

意外過ぎて麻弥は涙が止まらなくなった。

麻弥の頬の涙を指で拭いながら「麻弥、俺は熱くなる性分なんだ。これから麻弥の姿が見えないと追いかけ回すかもしれないぞ。それでも良いなら俺と結婚してくれ。」

「ふふ、怖いわね。今まで私が修造を追いかけ回してたのに、、」

麻弥は2人の冷たい手を摩り合わせて暖めた。

「ねえ、私は温かいでしょう?」

「うん」

「私は修造より長生きするわ。まだまだバリバリやらなきゃいけない事があるの」

「ねぇ、修造、私はこの半月程物件を探してたのよ。あなたと私の新しい店を」

「あなたがドイツのパンを作って私がドイツのお菓子を作るの」

「どう?」

「それはもうやってる事だろう? 君はまだお店を増やす気なの?」

「ええ、ドイツのパンとお菓子のお店よ。修造と麻弥のお店」

修造は驚いた。

麻弥の小さな身体からいったいどうやってこんなバイタリティが生まれてくるのか。

これから自分は麻弥を手伝って生きていくかもしれないと思ってはいたけど。

「これから一緒にどこにお店を開いたらなるべく沢山の人達が来てくれるか調べましょう。そしてみんなが知りたがっていて、みんなが食べたがっているパンとお菓子を考えましょう」

「俺たちはドイツのパンや文化に対して敬意を払っている立場で、一過性の流行りを作って売り出せって言うのかい? 流行りが終わったらそれは古いイメージになってしまう。それは俺のやるべき事じゃないだろう」

「あら、違うわよ。ドイツには何千種類のパンがあるのにほんの少ししか紹介できてないわ。その沢山ある中から知って欲しいパンやお菓子を選んでみんなに食べて欲しいのよ」

「ドイツのパンの中から」

「明日ノアの所に戻って色々話を聞いてみるか。他にも店を廻ってみよう」

「ミヒャエルの店にも行こうか。挨拶もしたいし。緑と西畑がワーホリを使ってフランクと交換留学をするらしいんだ。世界大会の時に約束したんだってさ」

「その店は凄い人気よ。行列ができてるらしいわ」

「好都合だよ。店内の様子をじっくり見よう。みんな何を選んでるかもわかるし」

ドイツのパンとお菓子か、、本当に奥が深い。案外麻弥の言ってることは難しいぞ。

ドイツから店一軒移すぐらいの気持ちでないと、、

それに今の麻弥の2軒の店と百貨店の売り場の商品は今は1号店で作ってるが手狭だし、いっそセントラルキッチンを作って俺が管理して、1号店と2号店は佐山に回させて麻耶は経営って感じになるだろう。

麻耶が一等地に店を出すんなら家賃が高いだろうから、セントラルキッチンは結局家賃の比較的安い1号店の近くに作らないと。。

あっという間に修造の頭の中はそれでいっぱいになってきた。

「帰ったら物件を見に行きましょ、良いところがあるの」

「麻弥、これから大変だぞ」

「あら、平気よ修造がいるんだもの」

そう言って2人はドイツの夜の街に消えていった。

おわり

パンと出会い、人を愛し熱く生きた修造の人生。読んで頂いてありがとうございました。修造はサクセスストーリーに興味はなかったと思いますが、読んでくださった方の中に、一人でも多くパン屋さんになりたい、修造の活躍に憧れるなどの職人さんが増えたら良いと思います。誰かに言われてやる仕事は辛いかもしれません。でも自分でやる仕事は楽しいものです。今回この話には自分の知っているパンに纏わるあらゆる事を盛り込みました。パン屋さんにも色々な店があり、製法も様々です。沢山の考え方があると思います。例え始まりが修造の様にやる気なく始まったとしても、興味が湧き、追求していける様になればいいと思います。

※尚、このお話はフィクションであり、実在する人物、団体とはなんら関係ありません。

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